将来の日本の芸術界を支える人材の育成のため、若手芸術家の海外研修を支援する「新進芸術家海外研修制度(在研)」を1967年度から実施してきた文化庁。この成果発表の場として1998年から開催されてきたのが「DOMANI・明日展」だ。
今年度、第25回目となる「DOMANI・明日展」が、東京・六本木の国立新美術館で開幕した。会期は2023年1月29日まで。
約2年ぶりの開催となる今回のテーマは「百年まえから、百年あとへ」。これまでに同館での「DOMANI・明日展」で本格的に取り上げることができていないキャリアの豊かな作家と、比較的近年に在研を終えた清新な作家を紹介。また、同展史上初の同館2度目の参加となる近藤聡乃の作品も展示されている。参加作家は伊藤誠、丸山直文、小金沢健人、近藤聡乃、大﨑のぶゆき、北川太郎、石塚元太良、池崎拓也、黒田大スケ、谷中佑輔。
展示冒頭で目を引くのは、文化庁の研修員として2008年に渡米、以後、ニューヨークに14年間在住している近藤聡乃の原画やラフだ。現地で結婚し永住権も得た近藤は、10年にわたりコミックエッセイ「ニューヨークで考え中」を連載しており、その原稿が会場には並ぶ。ニューヨークという街でこの14年という時間を過ごし、近年は新型コロナウイルスのパンデミックや「Black Lives Matter」などを経験した近藤の日々の営みが、一コマ一コマから伝わってくる。
小金沢健人もまた、海外に長く居を構えて作品制作を行ってきたアーティストだ。小金沢は1999年にベルリンに渡り、01年度から3年間の研修を経たあとも16年まで同地を拠点に活動してきた。
本展で展示されているのは、ビデオモニターを回転させ、そのなかで紙が重なっている箇所にドローイングをしていくという作品。ドローイングというシンプルな行為を重ねることで、渾然とした迫力が生まれている。壁が崩壊してまだ10年ほどしか経ていないベルリンの街で湧き上がっていた、音楽や映像といった新たな表現の熱気を体験した小金沢らしい、ミニマルでありながらも多弁的な表現といえるのではないだろうか。
新型コロナウイルスのパンデミックという、世界中で同時に起こった未曾有の体験は、海外で研修をしているアーティストにも大きな影響を与えた。2020年、ウイルスが蔓延し始めた時期にドイツ・シュトゥットガルトへの研修が決まった大崎のぶゆき。不安を抱えて渡独し、知らない国での生活を始めた大崎は、周囲の支えてくれる人々の温もりを感じながら、流動的で不確かな世界に生きていることを実感し、その先につながる未来を考えたという。
自身の記録と記憶の滞在記として帰国後に取り組んだ「Travel Journal」として、ハガキ、手紙、雑誌などとともに写真、映像をともに展示した大崎。美術であるからこそ伝えていけるものがあることを教えられる。
1996年度にベルリンで研修をした丸山直文は、2011年の東日本大震災のときに描いた作品を展示している。丸山はこの2011年という年を「社会に対して自分がある程度納得して理解し、整理してきたものが全て崩れ落ちた年でした」(展覧会図録p50より)と述べる。
キャンバスの上に水を張り、その上に描かれた丸山の絵画は、具象的なモチーフを想起させもするが、同時にその像は流動的に揺らいでいる。こうした不安定さと対峙することで、コントロールできない大きな潮流にしなやかに向き合う。
ペルー・クスコで2007年度から3年間の研修を行った北川太郎は、模倣ではない彫刻を求めて、インカの形態やヨーロッパの美とは異なる表現を探っていたという。しかしある日、アンデスの山中の大地、空、雲などが織りなす情景に新たな世界を見出し「無理をせず石と向き合えるようになった気がする」(展覧会図録p66より)と述べている。
やわらかく、おもわず触りたくなる北川の石彫群は、作家が石とともに過ごした時間と、淡々と手を動かしてきた事実を雄弁に語る。
現在もベルリンで研修を続けている谷中佑輔は、人体彫刻群《Pulp Physique》を展示している。谷中はベルリンでダンスを実践の軸として活動し、身体の標準化という力学に疑問を投げかけることを試みた。人のかたちを像として表現することについて、鑑賞者が持つ固定概念を揺さぶる。
国外の環境や状況に触れたことで、自身の作品を高めていった作家たち10人の展覧会。25周年の節目に、ぜひ触れてみてはいかがだろうか。