改めて問う、なぜゴッホは自画像を描き続けたのか?

昨年、リニュアルオープンしたばかりのコートールド美術館で行われている、ゴッホの自画像展。彼が生涯に描いた自画像の大半が展示されるのは今回が史上初となる。16点の自画像を通して、彼の人生と自画像に込めた思いを紐解いていく。

文=加藤真由 All photos by Fergus Carmichael

展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《自画像(パレットを持ったもの)》(1889、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)

 フィンセント・ファン・ゴッホの画業は、27歳でパリに引っ越してから、自ら命を絶つ37歳までのわずか10年ほど。さらにゴッホの代表作と言える自画像は、37点すべてが1886年の春から89年9月までのたった3年半(33歳から36歳まで)のあいだで制作された。35点の彩色された肖像画とドローイングの2点のうち、16点の自画像が今回コートールド美術館で開催中の「ファン・ゴッホ:自画像展」(〜5月8日)に集った。

展示風景より、右はフィンセント・ファン・ゴッホ《自画像》(1887、シカゴ美術館蔵)

技法の探求から自己開示手段へとなった肖像画

 ゴッホの自画像を大まかに分けると、パリにいた1868年から88年と、パリを離れて南仏で過ごした88年から89年にグループ分けできる。このふたつの時期では、完成させた作品数も制作目的も大きく異なってくる。当時の芸術の都と呼ばれたパリにいた頃は、印象派を影響を受けて新しい技法に挑戦しながら、スタイルを探求していった。初期の作品をみていると、オランダでよく見られた暗い色使いをしているが、段々とスーラが生み出した点描画法を取り入れているのがわかる。短期間に27点をも完成させる生産性の高さで、自分をモデルにすることでコストも抑えられた。

展示風景より

 反対にアルル時代に描いた肖像画は8点のみ。より大きなキャンバスに描くようになり、何週間にもわたって制作されたのだ。パリ時代とは異なるペルソナを描き出し、さらに力強い自己表現が見てとれる。自画像を描くという行為が自己内省の方法となり、また自身のアイデンティティを構築する方法となっていった。この時期に描かれたパーソナルな自画像のほとんどが、家族や友達、そして仲間の画家であったゴーギャンとチャールズ・ラヴァルへと送られたのだった。

展示風景より

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