フィンセント・ファン・ゴッホの画業は、27歳でパリに引っ越してから、自ら命を絶つ37歳までのわずか10年ほど。さらにゴッホの代表作と言える自画像は、37点すべてが1886年の春から89年9月までのたった3年半(33歳から36歳まで)のあいだで制作された。35点の彩色された肖像画とドローイングの2点のうち、16点の自画像が今回コートールド美術館で開催中の「ファン・ゴッホ:自画像展」(〜5月8日)に集った。
技法の探求から自己開示手段へとなった肖像画
ゴッホの自画像を大まかに分けると、パリにいた1868年から88年と、パリを離れて南仏で過ごした88年から89年にグループ分けできる。このふたつの時期では、完成させた作品数も制作目的も大きく異なってくる。当時の芸術の都と呼ばれたパリにいた頃は、印象派を影響を受けて新しい技法に挑戦しながら、スタイルを探求していった。初期の作品をみていると、オランダでよく見られた暗い色使いをしているが、段々とスーラが生み出した点描画法を取り入れているのがわかる。短期間に27点をも完成させる生産性の高さで、自分をモデルにすることでコストも抑えられた。
反対にアルル時代に描いた肖像画は8点のみ。より大きなキャンバスに描くようになり、何週間にもわたって制作されたのだ。パリ時代とは異なるペルソナを描き出し、さらに力強い自己表現が見てとれる。自画像を描くという行為が自己内省の方法となり、また自身のアイデンティティを構築する方法となっていった。この時期に描かれたパーソナルな自画像のほとんどが、家族や友達、そして仲間の画家であったゴーギャンとチャールズ・ラヴァルへと送られたのだった。