石ころや木片を、投げたり積み上げたり、宝物に見立てて蒐めたり。ものと戯れて遊んだ幼いころの記憶が蘇ってくるようで愉しい。
岩手県立美術館での「開館20周年記念 菅木志雄展〈もの〉の存在と〈場〉の永遠」。岩手県盛岡市に生まれ、少年時代は花巻で過ごした菅にとって、故郷での大規模個展となる。総計約120の作品を10年ごとに区分しながら時代順に見せ、これまでの歩みをたどろうとの趣向だ。
多摩美術大学在学中から作品を発表し、60年代末から「もの派」のひとりとして注目され、その後も様々な手法・素材を駆使し創作を続けてきた菅のキャリアはすでに半世紀におよぶ。会場にはオールタイムベストの作品が並び、木、石、金属、ガラス、コンクリート、ビニール、ロープ……。様々な素材が駆使してあって、めくるめく作品世界の多様さに目を奪われる。と同時に、半世紀にわたる菅の創作が、いかに一貫した考えと手つきのもとに行われてきたかも見てとれて興味深い。
いつの時代も菅は、素材として選んだモノに、ほんのすこしだけ手を加える。並べたり重ねたり、切ったり貼ったり、くっつけたり離したり、曲げたりひねったりと、誰でもできるような操作をし、その過程でモノのあり方をよく観察し思考を巡らせ、そのモノの本質やリアリティはどこにあるのか探っていく。
空間に対しても同様。空間を何らかのかたちで区切りフレームをつくり、そこにモノがそのモノらしさを発揮できるような配置を試みる。モノがもっとも生き生きとして主役となる場を生み出すための考えが尽くされているのだ。
創意工夫を凝らして菅がしつらえた空間に身を置いていると、従来の意味を剥ぎ取られて単なるモノと化した木片や枝や小石がやたらくっきりと見えてきて、こちらに迫ってくるかのよう。そんな印象は、10年ごとに区分された展示会場のどのセクションに身を置いても、みごと変わらないのだった。
展覧会に際して菅本人がいくつか言葉を残している。紹介しておこう。
まず自身の出発点となった「もの派」について。「自分がもの派と見られ、そう見なされていることは僕自身も知っています。が、どうして僕らの活動がそう言われるようになったのか。これはいまだはっきりしないんですね。当時わけのわからないことをやっている人たちがいて、それを規定するにはどうしたらいいか皆が戸惑っていて、誰かがなんとなく名づけたんだろうと思います。
とにかくその頃から僕は、たんなるモノや、役割を排除したところのモノの物体性、モノの法則性みたいなことを考えて作品をつくっていた。そういうことをアートで扱うのは当然という状況をつくること、それは少なくともできたんじゃないでしょうか」。
岩手で生まれ育ったことと作品への影響についてはこう語る。
「影響はもちろんありますよ。僕は小さいころからあちこちをよく歩いていた。学校へ行くのも、遊んだり街へ行ったりするのも、すべて徒歩でしたから。その土地がどういう状況でどんな様相をしていたのかは、足の裏の感覚がよく覚えています。
その後もいまだに僕は、年がら年中散歩しています。それが僕の生きるための方法であり、創作の第一歩でもある。岩手で培った足裏の感覚が、僕を支えてくれています」。
本展は活動の全体を通覧できる機会であり、菅作品に初めて触れる人もいるだろう。どこに着目すればいいだろうか。
「それはこちらから言うわけにいかないですね。つくる側としては、どこからどう見られてもいいという裸の状態でやっているので、観る側も自由に受け取ってほしい。会場にあるのは木や石、ロープなど誰しも目にしたことあるものばかり。それぞれの生活ともつながっているでしょうから、自分の内側から何かしら思うところを引っ張り出してもらえたらうれしいです」。