ムンク美術館移転の理由
エドヴァルド・ムンクは亡くなる4年前の1940年に、遺言書にて自身の遺産(2万8000点以上の芸術作品、書簡、写真、個人的な所有物など)をオスロ市に寄贈している。この寄贈がコレクションの元となり、ムンク生誕から100年後となる1963年、トイエン地区に開館したのがムンク美術館だ。トイエンのムンク美術館は建物のセキュリティーが十分ではなく、作品が盗難される被害が相次ぎ度々問題となっていた。2004年には重要なムンク作品《叫び(The Scream)》(1910?年)と《マドンナ(Madonna )》(1894年)が盗難に遭ったものの、06年に発見。これを機に、美術館移転の機運が高まった。
08年に移転計画が決定し、新ムンク美術館の建築デザインコンペティションが実施。スペインの建築デザインユニットEstudio Herrerosの設計案に決まり、13階建ての新美術館が誕生することとなったのだ。新美術館の建設場所には、トイエンを含む候補地が挙がったが、ムンク芸術を広めるのに適しているとの判断から、開発が進むウォーターフロント区域のビョルヴィカが選ばれた。オペラハウスやオスロ公共図書館などの施設があるビョルヴィカ地区は芸術文化振興の役割も果たしており、新ムンク美術館もこれに貢献することになる。
新ムンク美術館は1階から13階までのフロア構成で、3〜4・6・7・9〜11階に企画展示室と常設展示室を配置。1階にはミュージアムショップ、12階にはレストラン、13階にはスカイバーを有する。