9世紀の終わりに、理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)によって開かれた京都・醍醐寺。真言宗醍醐派の総本山で、世界遺産でもある同所では、国宝、重要文化財をはじめ数多くの文書や宝物が守り続けられてきた。
東京・六本木のサントリー美術館で行われる「京都・醍醐寺展 ー真言密教の宇宙ー」展は、同寺所蔵の仏像や仏画を中心に選りすぐりの約100点を展示。4章にわたって濃密な密教美術の世界を紹介するとともに、普段は非公開の貴重な史料や書跡を通して、平安時代から近世にいたるまでの醍醐寺の変遷を辿ろうというものだ。
平安時代の定観16年、天智天皇の流れをくむ僧の聖宝(しょうぼう)は、東大寺で諸宗を学んだのち、醍醐味の水が湧き出る笠取山を見出し、草庵を結んで准胝(じゅんでい)・如意輪(にょいりん)という観音像を安置。この2体の菩薩像から醍醐寺はスタートした。
本展の1章ではまず、その2体のうちの1体で、これまで数多くつくられてきた如意輪観音像のなかでも代表作と名高い重要文化財《如意輪観音像》を紹介。小柄ながらも密度の高い観音菩薩像が来場者を迎える。
そして本展最大かつサントリー美術館としても過去最大級の展示物であるという国宝《薬師如来および両脇侍像》は、会場吹き抜けにて展示。本作は延喜7(907)年に醍醐天皇御願として聖宝によりつくり始められ、6年後に完成。中尊は力強く質量感に富み、両脇侍は奈良時代の仏像を意識した造形を見せる、10世紀の彫刻を代表する堂々とした優品だ。
続く2章では密教美術にフォーカス。仏教の一派である密教は、願いをこめて祈ることで願いを叶える、現世利益の宗派だという。その本尊となるのが仏像や仏画であり、曼荼羅(まんだら)や複数の手足を持つ多面多臂(ためんたひ)の仏像、怒れる姿も特徴のひとつ。
本展では仏像・仏画とともにその設計図にあたる白描図、加持祈祷の法である修法をあわせて展示することで、造形物が生まれてくる背景も知ることができる。
そして3章では、修法が多く行われるうち、枝分かれするように生まれたいくつかの法流を紹介。また足利尊氏の政権における僧・賢俊や、足利義満以下三代の将軍に仕えた僧・満済など、権力との結びつきをひもときながら、文書、書跡によって寺の繁栄をふりかえる。
「義演、醍醐寺を再びおこす」と題された最終章の4章では、応仁の乱で甚大な被害を受け、五重塔のみが損傷を免れたという荒廃から復興整備を行なった義演(ぎえん)。そして、それをバックアップした豊臣秀吉に焦点を当てる。桃山時代の華麗な文化を象徴する「醍醐の花見」に関連する品々や、金銀に彩られた襖絵、俵屋宗達をはじめとする諸流派の絵師が描いた屛風は、など、当時の醍醐寺の繁栄を伝える名品が並ぶ。
展覧会の担当学芸員、佐々木康之(サントリー美術館)は本展について「密教の濃厚な美術と、近世の華やかな美術という2層からなるイメージで展覧会を構成しました」話す。そして、そのどちらにも通底するのが人々の祈りだ。約1100年にわたって守り継がれてきた作品が並ぶ展示室を歩けば、醍醐寺と壮大な祈りの歴史を追想することができるだろう。