現在では日常生活の様々な場面で用いられているレース。その歴史は古く、かつてはヨーロッパの王侯貴族たちの間で富と権力の象徴としてつくられ、歴史上でもつねに重要な価値を担ってきた。熟練した職人たちの長時間にわたる手作業によって生み出されるレースは、豪奢な装飾品の域を超え、時には城や宝石をしのぐほどの価値を持ったという。
現在ではほとんど失われてしまった超絶技巧によって制作されてきたアンティーク・レースの展覧会が、渋谷・松濤美術館で開幕した。本展は1954年ベルギー・アントワープ生まれのアンティーク・レース鑑定家でコレクターのダイアン・クライスのコレクションによるもの。クライスはレース職人にしてコレクターだった祖母の影響を受け、ロンドンのヴィクトリア・アルバート美術館でレースを学び、2005年の日本国際博覧会(愛知万博)でのベルギー館とアンティーク・レースの展示プロデュースも手がけた人物だ。
そんなダイアン・クライスコレクションは数万点にもおよび、本展ではその中から16世紀から19世紀のレース全盛期の作品を中心に約170点が紹介されている。
第1章「誕生と変遷」では、そのタイトルのとおりレース技法の誕生から発展を時代を追って見ることができる。レースは刺繍の技術をもとにした「ニードルポイント・レース」と、房飾りの技術をもとにした「ボビン・レース」に大きく分類され、それぞれの技法についても見ることができる。
続く第2章「レースに表現されるもの」では、技法の発達によって植物や動物、動物、王侯貴族から農夫、そして天使や神仏までがレースで表現される作例を紹介。これらはレースを美しく飾るとともに、願いや意味が込められたものでもあったという。その細部にまで手が加えられた、繊細な表現を楽しむことができる。
第一展示室の最後を飾る第3章「王侯貴族のレース」では、カトリーヌ・ド・メディシスやマリー゠アントワネット、ナポレオン・ボナパルト、ヴィクトリア女王らに由来するレースが紹介される。レースは16世紀初期の誕生以来、瞬く間にヨーロッパ中の宮廷に広まり、王侯貴族たちは高価なレースを買い求めた。それによって、職人たちの技術が向上し、様々な華麗な作品が多く生み出された。
2階の第二展示室では、華やかなドレスに施されたレースやその繊細な細工の数々に目を奪われる。
そして第4章「キリスト教文化に根付くレースの役割」でまず展示されているのは、繊細かつ華麗な乳児用の洗礼用のヴェール、ドレス、そしてボンネットだ。レースはキリスト教文化に根付いたもので、洗礼や初聖体拝領、結婚、喪といった人生の節目の宗教儀式にも用いられてきた。ここで展示されている乳児用のドレス一式は、所蔵者であるクライスの曾祖母の時代である1860年から現在まで受け継がれているという。
また、ドレスのレースも見逃せない。位階や序列を重んじる宮廷社会において、装いとふるまいは相手への敬意をあらわすものだった。そのため、「清潔」を礼儀とするうえでも袖からのぞく白いレースが重宝されたという。
レースがほどこされるのは、祝いの席のための衣裳だけではない。喪に服すときもまた、繊細なレースを身にまとうことによって弔いの儀式を行ってきた。
ここで注目したいのが、死者の髪の毛で編まれたというレースだ。故人を偲んで、レースには故人の名前などが編み込まれている。光を当てると、影にしっかりとアルファベットが浮かび上がるというその技術力の高さがうかがえる。
そして本展の最後を飾るのが、第5章「ウォー・レース」だ。19世紀、産業革命や戦争により、手工業のレース文化は大きな打撃を受ける。1914年の第一次世界大戦の影響で、ベルギーでは5万人にも及ぶレース職人たちが困窮した。それを救うために、のちのアメリカ第31代大統領ハーバート・クラーク・フーヴァーによってベルギー救済委員会が設立。糸と食料が職人たちに供給され、レースの維持が図られた。この時期のベルギーのレースが「ウォー・レース」と呼ばれているものだ。本展のようにまとまったかたちで見ることができるのはとても貴重な機会だという。
ここで注目したいのが、レースに編み込まれている世界各国のモチーフだ。「ウォー・レース」は戦争によって生まれたものだが、だからこそ平和への深いメッセージを表しているとクライスは語る。
本展に際しクライスは「展示されているレースは家の中で桐箪笥に入っていて、ずっと展示されていませんでした。だからこの機会に感謝しています。きっとレースも喜んでいます」とコメント。
アンティーク・レースはただ華麗で美しいだけではなく、ヨーロッパの歴史そのものを映し出すものでもあることがわかる本展。単眼鏡が無料で貸し出されるので、じっくりその超絶技巧をすみずみまで堪能しながら、レースがつくられた時代に思いを馳せたい。