大正から昭和初期にかけて活躍した彫刻家・陽咸二(1898〜1935)。その全貌を明らかにする初めての大規模な回顧展「陽咸二展 混ざりあうカタチ」が、2月19日~4月16日の会期で宇都宮美術館にて開催される。
陽は小学校卒業後、牙彫や篆刻の職人として修業したのち、島田墨仙に日本画を学ぶ。ほどなく彫刻家・小倉右一郎の門下生になったのを機に、本格的に彫刻の道に進んだ。帝展や東台彫塑会への出品を重ねながら、じょじょに頭角をあらわしていった。1927年には彫刻団体「構造社」に参加、主要メンバーとして活動し、「彫刻の社会化」を目指した同社の理念を象徴するような作品を精力的に発表した。
本展は、5つのキーワードを手掛かりに陽咸二の独特な芸術世界を紹介するもの。その芸術の特徴のひとつは、ひとりの作家の手によるものとは思えないほどの多様な作風だと言える。絵画、版画、工芸、表紙絵など手がけた分野が幅広く、モチーフやテーマも和洋を問わず人物、風景、説話など様々だ。具象や抽象、簡素なタッチから細密描写にいたるまで、多様な様式の作品を生み出し続けた。
また、ひとつの作品のなかで異なる要素を並べたり、重ねたりしながら、これまでにない新たなイメージを創出することもひとつの特徴。その代表作の《降誕の釈迦》は、釈迦と摩耶夫人を西洋の「聖母子像」のフォーマットを借りて表現したもので、その創作の革新性が見てとれる。
なお、陽咸二は生花、釣魚、麻雀など数多くの趣味に興じ、とくに蒐集趣味においては、希代の趣味人・三田平凡寺が立ち上げた「我楽他宗」に参加していた。「横臥山夜歓寺(おうがさんやかんじ)」と名乗り、「支那趣味一切」を蒐集対象とし、社会的地位、性別、国籍などを問わず、様々な人々と交流した。
作品制作においても交友関係においても、異(他)が入り混じる状況を積極的に生み出した陽の生涯をたどる本展をぜひお見逃しなく。