グルベンキアン財団とCAM
欧州でもっとも重要な私立財団のひとつ、カルースト・グルベンキアン財団(以下、グルベンキアン財団)は、アルメニア人の実業家・蒐集家・慈善家のカルースト・サルキス・グルベンキアン(1869〜1955)の遺言を受け、1956 年にリスボンに設立されたものだ。グルベンキアンはアルメニア人の両親のもとオスマン帝国・スクタリ(現在はトルコ・イスタンブールの一地区ユスキュダル)で生まれ、高校でフランス語を、ロンドンで英語と石油工学を習得したのち、帝国崩壊やアメリカの進出による混乱にも関わらず「赤線協定」を定め、石油ビジネスで中東と西洋を仲介し莫大な財を成したとされる。1940年、第二次世界大戦ですでに占領下にあったパリからヴィシーを通ってリスボンに渡り、そこで晩年まで過ごした。
グルベンキアン財団は、芸術・科学・教育・人文にわたる広域な分野で賞や奨学金の授与、事業の共催や助成などを通じて促進活動を行っている。また財団は1983年に近現代美術館「Centro de Arte Moderna(在日ポルトガル大使館の日本語表記では「モダンアートセンター」、通称CAM)」を創設しており、 そのコレクションは約1万2000点にも及ぶ。コレクションには、ヘレナ・アルメイダ、パウラ・レゴ、マリア=エレナ・ヴィエラ・ダ・シルヴァなど、同国を代表する女性アーティストらの作品のほか、ロベール・ドローネー、デイヴィッド・ホックニー、ブリジット・ライリーといった国外アーティストによる作品も含まれている。
また財団はCAMだけでなく、グルベンキアンが生前蒐めた古代から近代・東西の美術・装飾品を含む約6000点のコレクションを保存する美術館、オーケストラ・合唱団とコンサートホール、美術図書館、科学研究所も運営。さらに、「公平性と持続可能性」を戦略的優先事項とし、気候変動対策のための革新的なプログラムやプロジェクトを開発している。イギリスとフランスにも拠点を持ちこれらの国の団体と共同するほか、ポルトガル語を公用語とするアフリカ諸国(PALOP)との国際協力や、アルメニア文化・言語の保存にも努めている。この学際的な財団の複合施設は、18ヘクタールもの森林に囲まれた複数のポルトガル人建築家による特徴あるモダニズム建築群で、同国の遺産認定も受けている。
新たな美術館スペース
今回、財団の膨大なコレクションのうち現在も増えている近現代の作品を多角的な視点から再考し、新しい展示やCAMが力を入れるライブ・アーツプログラム(*1)の活動も可能とする場所づくりが望まれた。その建築・インテリアのコンペで、日本人建築家・隈研吾の案が審査員の満場一致で採択されたという。隈本人のSNSの投稿によると、「広大な庭園を有するリスボンの文化の中心を、庭を主役として再編成する試み。『エンガワ』は、ポルトガルを象徴するマテリアルである陶板と木材でできていて、庭とミュージアムというハコとを調停する」とある。
5月末にパリで行われた記者発表では、複数の3Dイメージと建設中のビデオが紹介されていた。まず目を引くのは、ポルトガル産の白いセラミック・タイルが覆う全長100メートルの張り出し屋根だ。いっぽう、その内側は隈が得意とする木材で、セラミックと合わせ地元産業との親和性を保っている。その屋根の下の空間に内と外をつなぐ「縁側」のタイポロジーを取り入れることで、人々がゆとりを持って憩う景色が室内から周囲の庭園にまでシームレスに広がっている。館内で美術作品を鑑賞する豊かな時間を過ごしながらも、外の環境の変化への感知も促す開かれた場所を目指すものだ。

© KKAA (Kengo Kuma Associates)

© Luxigon Kuma Lisboa
日本人作家にも注力
ディレクターは、パリ出身で、ニューヨークやロンドン、サンフランシスコなどでメディアアートのスタジオ運営やキュレーションに深く携わってきたベンジャミン・ウェイル(*2)。プレゼンの冒頭で、ウェイルはその使命とビジョンを次のように力強く述べた。「私たちは、アートの持つ変革の力、そして個人的・社会的変化を動機づけるその可能性を解き放つことを目指しています。私たちは、幅広い観客とともにこの力を活用することで、私たち自身、私たちの世界、そして私たちに共通の未来を形作る上で一人ひとりが果たす役割について、衝撃的な変化をもたらす体験を提供できると信じています」(*3)。こけら落としのメイン展示では、ベルリンを拠点に活動するポルトガル人アーティスト、レオノール・アントゥネスの大規模個展「The Persistent Inequality of Leonor's Days」を予定している。アントゥネスは、彫刻、建築、デザインを通じて現代美術と物質文化を独自のアプローチで探求してきている。2022年の「国際芸術祭あいち」でも、丹下健三設計の近代建築での展示が記憶に新しい。CAMでは新作を含むインスタレーションを同館所蔵の異なる世代の女性アーティストたちによる前衛的な作品と共に展示し、ポルトガルの近現代美術史における女性の不可視性を問い直すという。
昨今CAMが傾注しているのは日本建築だけではない。2023年に創立40周年を迎えると同時に、ポルトガルと日本の国交樹立480周年を記念し、日本の現代美術シーズンを開始。第1弾では、目[mé]による《まさゆめ》を空に打ち上げ、池田亮司の「100のシンバル」ライブコンサート、パリ在住のアーティスト斎藤麗による食べられるランドスケープ・パフォーマンスを展開。第2弾では、フルクサス運動への日本の参加を讃え、塩見允枝子に敬意を表すプログラムで、山崎阿弥、石川高らが参加。第3弾ではChim↑Pom from Smappa!Groupがパフォーミング・アーツフェスティバルの一環で地元団体と協力し、まちなかに「社交の場」をつくりだした。

© KKAA (Kengo Kuma Associates)
これらを精力的に企画したキュレーターのエマニュエル・ド・モンガゾンとCAM学芸員のリタ・ファビアナが、今秋以降のプログラムも担当。まず、渡辺豪と森永泰弘が招聘される。油絵を学んだのちデジタル技術を駆使した映像と写真作品に取り組んできている渡辺は、CAMの新しい「プロジェクトスペース」に合わせて、静物に当たる光が現実のようだが架空の精緻さと速度で変化するその外観を淡々と表現するビデオインスタレーション《M5A5》(2017)を再構成。「見る」という日常的行為への意識を促し、私たちの身体感覚を変容する。
サウンドアーティスト兼サウンドデザイナーとして活躍する森永康弘は、東京藝大を経て渡仏、映画理論家で作曲家のミシェル・シオンに師事。主要な国際映画祭やヴェネチア・ビエンナーレなどで作品を発表し、多くの著名アーティストとコラボレーションしてきた。同時に、民族誌的フィールドワークを通じて録音した音を用いた没入型インスタレーションを制作している。今回CAMの展示では、ポルトガル宣教師の朗読や長崎に伝わる隠れキリシタンの弁論に、アマゾンの先住民族の精霊の歌、グレゴリオ聖歌隊の合唱をリミックスした多声音楽作品《The Voice of Inconstant Savage》(2023)を発表するという。
ほかにも、1960年代にグルベンキアン財団の助成を受け日本の書道を学んだフェルナンド・レモスの展覧会では彼のドローイングや写真が、グルベンキアン美術館所蔵の日本の版画作品とともに展示される。 また、地下階の内部が可視化された収蔵庫に併設されるコレクション展示ギャラリーで、90点以上の作品で構成される「Tide Line」(満潮線の意)が開催。領海を決める基準となる干潮とは反対のラインが公海を想起させつつ、自然、私たちの内面、押し付けられた境界線、破壊や革命について考察するものだ。
16世紀にポルトガル人が種子島に漂着して以来、両国間の交流が始まったが、これは日本にとって最初の西洋との出会いでもあった。今秋の欧州旅行にリスボンを組みこみ、現代の日葡交流を体感できるグルベンキアン財団のCAMを訪ねてみてはどうだろうか?
*1──ライブ・アーツ・プログラムには、トーク、パフォーマンス、映画上映などのイベントのほか、新作の委嘱・発表機会も含まれ、CAM新棟のほか庭園でも開催される。
*2──Benjamin Weil、キュレーター。横浜トリエンナーレ2008に特別展示されたポルトガル人建築家でアーティストのディディエ・フォスティノが設計した移動式の映像上映室「H BOX」(企画・制作:エルメス)をプロデュースした人物でもあり、今回CAMの新棟にHBOXが常設されることがわかった。*3──ウェブサイトでステートメント全文が読める。
























