ナン・ゴールディンがMETで抗議行動。鎮痛剤「オピオイド」乱用問題の事態改善を訴える

アメリカでは現在、鎮痛剤「オピオイド」の乱用による健康被害が深刻な問題となっている。これに対し、自身もオピオイド中毒を経験した写真家のナン・ゴールディンが、事態改善を訴える団体「P.A.I.N」を設立。オピオイドの普及のきっかけをつくったサックラー一族の名を冠するメトロポリタン美術館「サックラー・ウィング」で抗議行動を行った。

文=國上直子

P.A.I.Nのウェブサイトより

 アメリカで大きな問題となっている「オピオイド・エピデミック」に関する抗議行動が、3月10日にメトロポリタン美術館で行われた。抗議を率いたのは、自身もオピオイド中毒を経験した、写真家のナン・ゴールディン。ゴールディンは、オピオイド問題の事態改善を訴えるために「P.A.I.N」(Prescription Addiction Intervention Now)という団体を立ち上げ、そのメンバーとともに今回の抗議に参加した。

 抗議が行われたのは、メトロポリタン美術館内随一のハイライト、デンドゥール神殿がある「サックラー・ウィング」。このウィングの建設資金を提供した、アーサー・M・サックラーとその兄弟は、医療業界専門の広告・出版と製薬業で130億ドルの資産を築き、一族はアメリカで最も裕福なファミリーの一つとして知られる。サックラー一族は、美術館や大学などへ多額の寄付を行う慈善事業でも知られており、「サックラー」の名を冠した文化・教育施設が世界各地に存在する。しかし、サックラー一族が保有する、製薬会社「パーデュー・ファーマ社」が「オピオイド・エピデミック」に深く関わっていることは、まだあまり知られていない。ゴールディンが立ち上げた「P.A.I.N」の目的は、サックラー一族に対し、オピオイド危機に関する説明責任と誠意ある対応を要求することである。

抗議行動の様子。メトロポリタンのパンフレットを模した「P.A.I.N」の宣誓書が配られた。神殿を囲む人工池には薬品ケースが投げ込まれ、「Die In」パフォーマンスも行われた

 もともと、末期がん患者向けなどの強力鎮痛剤として、限定的に使用されていた「オピオイド」。ところが1990年代中頃から、製薬会社によって「中毒性の極めて少ない鎮痛剤」としてのマーケティングが進められ、頭痛や腰痛など、軽度かつ慢性的な痛みの緩和に用いられるようになる。このマーケティング戦略の先陣をきったのが、サックラー一族のパーデュー・ファーマ社であった。

 「合法的なヘロイン」と呼ばれるほど、非常に依存性が高く、処方には細心の注意を要するオピオイドだが、巧妙なマーケティングによって、「安全な鎮痛剤」としてのイメージが定着すると、医療の現場で急速に広まっていった。患者は、医師からの処方薬ということで警戒なく服用してしまうため、自分でも知らない間に、オピオイド中毒に陥るという事態が相次ぐようになる。オピオイドの乱用が最も深刻なオハイオ州では、2016年、住民の5人に1人にあたる230万人がオピオイドを投与されており、その浸透度の高さが伺える。

 オピオイドの処方箋が切れると、中毒患者はヘロインやフェンタニルなど、同様の効果を持つ他の薬に手を伸ばすようになる。2016年の統計によると、210万人がこれらの薬を乱用しており、それによる死亡者は4万2千人となっている。つまり毎日、平均で115人が命を落としたことになる。現在、処方されたオピオイドを含む、これらの薬のオーバードーズは、50歳以下の死因のトップとなっている。

 オピオイドの危険性は、繰り返しメディアで報道されているが、事態が収束する兆しはなく、16年7月から17年9月にかけて、オピオイドのオーバードーズは30%増加している。この先10年で少なくとも50万人の犠牲者が出ると見込まれており、政府によって「非常事態宣言」が出されているが、即効性のある解決策は、いまのところ出ていない。

 この「オピオイド・エピデミック」の引き金を引いたのが、サックラー一族が率いるパーデュー・ファーマ社とみなされている。その危険性を知りながらも、自社のオピオイド製品を、中毒性のないものかのように偽って宣伝し、オピオイド市場を開拓・拡大することで、巨額の利益を生んだ。また、パーデュー・ファーマ社が作り上げた「安全なオピオイド」というイメージは、他のオピオイド・メーカーの市場参入を容易にし、より事態を悪化させたと見られている。同社に対しては、アメリカ各地で訴訟が起こっているが、サックラー一族の責任が表立って問われることはこれまでなかった。

ナン・ゴールディンのインスタグラムより オピオイドの中毒症状に苦しんでいるなか撮影された写真が公開されている

 ゴールディンは14年に手術を受けた際、パーデュー・ファーマ社のオピオイド「オキシコンチン」を投与されたのをきっかけに中毒となり、生死の境をさまよう状況にまで陥った。その実体験を、18年1月号のアートフォーラム誌上で赤裸々に告白している。「たった一晩でオピオイド依存症になった」と生活が激変していく様子を生々しく綴ったゴールディン。依存症の治療後、オピオイドについてリサーチを進めるうちに、美術館などでよく目にしていた「サックラー一族」が、この危機の発端となっていることを知ったという。

 エイズ危機に対し「ACT UP」が立ち上がったのと対照的に、「オピオイド・エピデミック」に対する政治的活動団体が存在しないのを知り、「P.A.I.N」を立ち上げたとゴールディンは語る。この団体を通じ、サックラー一族に対し、オピオイド中毒患者に対する治療を提供するとともに、オピオイドの危険性を周知するよう要求している。また文化施設には、サックラー一族からの寄付を一切受けないように訴えている。

 今後、エイズを凌ぐ犠牲者を生むと見られている「オピオイド危機」。果たしてこれから「P.A.I.N」の行う活動が、変化を生むことができるのか注目される。

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