2018.10.4

佐藤晋也インタビュー
万物の根源的な美しさを探して

「描きたいものを描きたいように」という信念を込め、 自らの中に生まれる世界を描く佐藤晋也。この秋、個展開催を控えた作家に、絵画への思いと発想の源泉について話を聞いた。

文=杉原環樹

個展会場の隱丘畫廊 HILLSIDE GALLERYにて 撮影=菅野恒平
前へ
次へ

──佐藤さんが絵画を通して探求してきたモチーフとは?

 根源にあるのは、理想の世界を描くことで、人間の想像力や物質世界の美しさをとらえ直したいという意識だと思います。描く対象は生活のなかで見つけることも多いですが、自分のフィルターを通してデフォルメすることで、最終的にはどこにもない風景や人物になります。

 僕が能動的に見ることで、モノの見え方は変化すると考えています。こうした感覚は普段忘れがちですが、量子力学では観察者の意識によって、物質はその振る舞いを変えると言われます。人は自分がつくった世界に住んでいる。僕には現実とはあまり生きやすい場所ではないですが、それも心の持ちようで変わる。絵では、その理想をかたちにしたいんです。

写真左から最近作の《TENPAKU》(2018)《EYE》(2017) 撮影=菅野恒平

──多くの作品で人物が正面に置かれていますが、造形や肌の質感が特徴的ですね。

 色のトーンをいちばん大切にしています。どんな色にも意味がある。以前、デザイナーをしていたのですが、例えばチョコのパッケージでは、少し青みのある茶色で描くと苦味があるように見えるんですね。絵を描くときも、色を折り重ねて心地よいグラデーションをつくっています。

 フォルムはこのとき凸凹を減らすなかで、偶然に生まれるものです。顔が大きいのは、彼らを未来の人間のつもりで描いているから。自分の視点から生まれる変化こそを見せたいので、余計な情報のない、斜に構えない構図をつねに意識しています。

孤独の美しさを描く

──いっぽうで、画面からはどこか疎外感や孤独感も感じます。

 昔からあまり周りになじめなくて、デザイン会社を辞めた後も社会からはじかれている感覚がありました。その頃、海外を放浪しながらいろいろな名画にふれ、絵描きになる決心をしました。当初はシュルレアリスム風の作品を描いていたのですが、知識や技術に縛られてうまくいかなかった。だけど、2002年にあるシンガーのライブを見て、その赤ん坊の第一声のような歌声に震え、それまでのつまらないこだわりが消えたんです。素直に表現する楽しさを知って、現在の作風になりました。

 以降は、東京や地元で制作を行い、少しずつ評価してもらえるようになりました。けれど、孤独な時間は僕にとって、いまでも制作のための大事な時間です。今回出品する「何処へ行くの」は孤独の美しさを描いたシリーズで、年に描き始め、数年に一度立ち戻る重要なシリーズになっています。

写真左が《何処へ行くの?》(2009)、右が《馬と女》(2014) 撮影=菅野恒平

──最後に、今回の展示について聞かせてください。

 今回は「佐藤晋也」という作家の全体像を、年以上のあいだに制 作した作品を並べることで見せたいと思っています。また近年、夢の世界に関心を持っているんです。面白かったのは、夢のなかで自分が見たこともない絵を描いていたこと。最近はそれを頭に留めておき、現実に描くこともしています。発表することでいろんな意見が出てくると思うのですが、そのガヤガヤに惑わされず、これからも自分の世界を守っていきたいです。