──2021年にBAF STUDIO TOKYOで、今年の1月には渋谷のOIL by 美術手帖ギャラリーで個展を開催されました。また今回はオンラインで新作を発表。そのほかでも作品発表の機会が相次いでいます。その間、制作への心境や環境に変化はありましたか?
描くことに打ち込みたいという気持ちが、このところ増大しつつあるのはたしかです。長年従事してきた仕事を辞めて、今夏から画家専業にもなりました。以前は仕事を終えて家に帰ってから、夜に絵を描くという日々だったのですが、いまは日中から筆を握れるようになりました。自分なりの制作のリズムを、早く確立しなければと思っているところです。
会社を辞めて食い扶持を失うことへのプレッシャーはもちろんありましたが、ここでやらないときっと後悔する、そんな気持ちが勝って行動に移しました。アーティスト仲間や知人からも、仕事を辞めて絵に専心したほうがいいんじゃないかとアドバイスをもらうことがあって、自分の気持ちを後押ししてくれましたね。絵画に専念していられるこの環境を、大切にしていきたいです。
──これまで一貫して油彩画にこだわってきたのはなぜですか。
ひとことで言えば、身体に馴染んでいるということになるでしょうか。子供の頃からずっと描いてきたので、自分にとっては、ごく自然に身近にあるものなんですよね。他の画材を試したこともあるけれど、気持ちはやはり油絵へと戻っていく。
どこにそんなに惹かれるのか。これまでに膨大な作例があり、自然の光景のなかに人の営みを表す典型的なモチーフが好きという面もあるし、筆触が残りやすいため数百年前の作品でも筆のタッチから作家の心情を推し量れたりするので、まるで絵自体が生きているように感じられるのもいい。なんだかロマンがあるな、と感じられるんです。
私は幼い頃から絵が好きだったので、親にお願いして小学1年生から絵画教室に通わせてもらいました。その教室で、3年生くらいから油絵を描き始めました。小学校に上がりたての頃、給食センターのなかで好きなものを描くという写生大会があって、釜に手を突っ込んでいる「給食のおばちゃん」の絵を描いたらずいぶん誉められたんです。自分ではうまいともへたともわからず、ただ夢中で描いただけでしたので、賞状をもらえたりして嬉しくて、描くことがますます好きになりました。それでたしか絵画教室にも行ってみたい、となったんです。
小学校の5、6年の頃には、ちょっと描くのに飽きてしまった時期もありましたけど、なんとか続けてきました。中学・高校では部活で剣道に打ち込んで、絵から気持ちがちょっと離れたりもしましたが。考えてみると何事もすぐのめり込んでしまうほうなのかもしれません。
──美術というジャンルへの関心も、小さい頃からあったのですか?
絵を描くのと同じように、観るのも大好きでした。小さい頃は母親がよく上野公園に連れていってくれて、国立西洋美術館や東京国立博物館、上野の森美術館や東京都美術館といったところを観るのが楽しかったですね。小学3年生くらいのときに上野へ展覧会を観に行き、いまとなってはタイトルも定かでないのですが、森を描いたピカソの風景画に強く惹かれました。他の作品はなんだかよくわからなかったけど、その作品だけはずっと観ていられたんですよね。
いったい何に惹かれたのか。言葉で説明できるようなものではなく、雰囲気としか言いようがないのだけど、絵のなかには見たこともない異国の雰囲気があり、無性に絵の世界の側に行ってみたいという気にさせられました。好きな作品ができると、絵を観るのも描くのも、さらに好きになるものです。そういうことは大人になったいまもよくあります。いい作品に触れると、作風に影響が出るようなことは少ないにしても、モチベーションになります。
──ピカソ以外に、影響を受けたアーティストや作品はありますか?
18〜19世紀ドイツの画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ。19世紀米国の写実画家、ウィンズロー・ホーマー。それに17世紀のスペインの宮廷画家、ディエゴ・ベラスケスでしょうか。フリードリヒとホーマーは、ともに壮大で恐ろしげでもある自然を題材にして、そこに人の姿を描き込むのが得意です。自然と人物という典型的な油彩画のモチーフを自分も試みるようになったのは、このふたりの影響が大きいです。ベラスケスは、人の内面描写がうますぎるところに惹かれます。彼の描く人の表情を見ると、描かれた人物の人となりがわかるような気がします。心まで描き出すような深みのある表現に憧れますね。
こうしたオールドマスターから学び、受け取った「自然と人」「内面描写」というテーマは、自分にとっても油彩画によって表現したいもの。大変な課題なのは承知ですが、時間をかけて突き詰めていきたいです。
──オールドマスターの作品に憧れてきたとはいえ、多岐にわたるモチーフや表現手法には、「サブロ流」とでも呼びたくなる特色がありますね。
ただ、オールドマスターからの影響はやっぱりあります。例えば人体を膨張させて描くのは、私の表現のひとつの特徴になっているかと思いますが、これはオールドマスターの作品が大いにヒントになっています。
ピカソの《海岸を走る女たち》(1922)は好きな作品なのですが、ふたりの巨大な女性の身体が膨張して描かれていて、頭部だけがずいぶん小さく見えます。エル・グレコの作品でも人の身体がタテに長く引き伸ばされていたりします。膨張表現によって、人体のダイナミズムを感じさせることができることを知り、自分でもやり始めました。あれこれいじってかたちをつくっていく作業は好きなんです。制作に入るまでにドローイングを何枚も描くので、絵具を使うまでにはずいぶん時間がかかりますよ。長いときは1週間くらいドローイングをし続けています。
映画が好きというのもあって、ストーリー性のある絵を描きたいという思いもまたずっと念頭にあります。ジム・ジャームッシュ作品のような、静かで根底に優しさの流れる作品が好みなので、最初はそうした映画のワンシーンを模写したり、動画の一場面を描写したりしていましたが、なかなかピンとこない。今年、OIL by 美術手帖ギャラリーで個展を開催したとき、自分が長年描きたかった、前後の時間軸があるような場面を絵にできたという実感があり、ようやく達成に近づいてきたかなと思いました。
「絵画に時間を取り入れ、物語を感じさせるコツが見つかった!」と言えるほど方法が確立できているわけではないのですが、登場人物の人となりや心情を想像し、それに合わせて空の色を選んでいくと、ひとつの世界観と物語が生まれると感じているところです。
それぞれの作品シリーズは、どれもそうやって一つひとつ時間をかけてつくってきたものです。アートは独学のため、なんらかの答えを探すのにどうしても遠回りして時間がかかってしまうんです。漠然と美大に行きたいと思ったこともありましたが、中学高校で剣道に夢中になり、美術の勉強もたいしてしていなかったので、美大に行くという道は考えられませんでした。
以前、デザイン事務所で働いていたことがあるのですが、その仕事を長く続けることができませんでした。好きな絵を活かせる仕事かなと思ったけれど、仕事上で自由な表現はできず、つらくなってしまったんです。とことん好きな絵に打ち込むしか、自分のやれる道はないと感じました。デザイン事務所を辞めた直後、キャンバスを立てて油絵を描いてみたら、すごく開放的に楽しく描けて。ああこれだ、お金を稼ぐことよりも、描いていられることが自分には大事なんだとつくづく思いましたね。
──今回の出品作は、以前から継続して制作しているシリーズですね。
はい。まずファイアーマン、すなわち消防士を題材にしたものが2点あります。しばらく前から描き継いでいるシリーズで、背景がこれまではベタ塗りだったものを、今回は自然を背景に描き、そのなかに人がいるかたちにしてあります。
ファイアーマンは自分にとって「心の火消し」のように思います。制作するようになってからはプレッシャーや焦りをつねに感じていて、性格的にシリアスになりがちなんです。そんな自分への戒めもあってか、心の救済者のような存在としてファイアーマンを描いています。この作品を飾ってもらえるとしたら、火の用心の貼り札みたいに使っていただくのもいいかもしれません。
もうひとつは、保安官を描いたシリーズ。カウボーイが出てくるような西部劇の世界観がカッコいいといつも思っていたので、その気持ちが発露したのでしょう。
また、ドーベルマンを描いたシリーズは、ふと思いついて描いてみたらとてもしっくりきて、続けて描いていこうとなりました。ドーベルマンという犬種の歴史を勉強して再解釈しました。ドーベルマンとはとあるドイツ人の名前で、税金徴収のようなお金を運ぶ仕事をしており、護衛のため改良して生み出した犬が、ドーベルマンと呼ばれるようになったそうなんです。犬をボディガードにするなんて、よほど人を信用できなかったのでしょうか。精悍で力強い外観に、どこか虚勢や人間のエゴが滲み出ているような気がします。
これら3つのモチーフに共通点があるとすれば、強さとともに、どこか孤独な影を感じさせるところでしょうか。今回の出品作はどれも自分の創作にとって何か大切なものが含まれていて、これから先も長く描いていくことになるんじゃないかという予感があります。これらのモチーフを描き続けることによって、油絵の可能性やおもしろさを変わらず追求していきたいと思っています。