友沢こたおインタビュー。大事にしているのは「痛みやドキッとするような感覚」

スライム状の物質を用いた独特な人物像で注目を集める若手作家のひとり、友沢こたお。銀座 蔦屋書店に新たなアートスペースとしてオープンした「FOAM CONTEMPORARY」のこけら落としとして、個展「Monochrome」を開催する友沢に話を聞いた。

文・写真=中島良平

友沢こたお

──自作して色も粘度も調整したスライムをご自身の顔にかぶった自画像や、赤ちゃんの人形の顔にかぶらせて描いた作品シリーズは圧倒的なインパクトを放っています。スライムは子供の頃から好きでしたか。

 本当に幼い頃からすごく好きで、買ってほしくてたまらなかったのですが小学校に入るまで買ってもらえず、ずっと渇望していました。小学校に入ってから与えてもらうと、触り過ぎて1日で真っ黒にしてしまうぐらい夢中になって遊んでいました。

──触感に夢中になった記憶は強く残っていますか。

 そうですね。小さい頃に撮影したビデオを見ると私は感覚がすごく繊細で感情の振れ幅が激しい子供だったようです。スライムもそうですが、何かに触れてはきゃーって叫んでいるか、泣いていました。

「Monochrome」展展示風景より
「ギャラリーの空間をイメージしながら照明で画づくりをしました」と説明する友沢

──では、そのスライムを絵の題材として選ぶことになった経緯を聞かせてください。

 子供の頃に夢中になって、飽きるほど長いこと遊んで実際に飽きて、それからスライムとはしばらく疎遠になっていました。東京藝術大学に入って1年生のときに友だちが家に遊びに来て、スライムを置いていったことで久しぶりに再会したんです。じつはその当時アイドル活動もしていて、精神的にすごく混沌とした状態にありました。病んでいたというか。ステージはキラキラしているけどこの世界には偽りしかないんだ、みんなが見ている私だって虚構なんだというように、自分がわからなくなっている状態だったんです。

 そんな精神状態で久しぶりにスライムに触れてみると、感触が気持ちよく、なぜだかわかりませんが、気付いたときには自分の顔にかぶっていました。かぶってみると息苦しさがありますし、口や鼻にも侵入してくるのでなんとも言えない感覚が生まれるのですが、たしかに本当の自分がいるように感じられました。原始人から変わらない人間としての自分です。スライムに覆われることで、人に対して取り繕って自分をつくるような意識から離れ、自分の本質に立ち返ることができたように思えたのです。

──スライムに対する身体感覚が自我への意識と結びつくとは、風穴が開くような出来事だということが伝わってきました。

 そのときは一度だけの神秘的な体験で終わってしまい、まだ絵を描くまでには至りませんでした。当時、精神的に病んでいたという話にもつながるのですが、藝大に入ると周りの同級生はデッサンなどが上手い人ばかりで、自分がどれだけ頑張っても敵わないような気持ちになっていました。萎えてしまって全然絵が描けなくて、インスタレーションをやろうとするなど絵と向き合わない方法を探っていたんです。

 しかし、1学期が過ぎ、藝大では夏に「藝祭」というお祭りがあるので、逃げていても仕方ないと思い絵をもう一度描くことにしました。そのときにスライムの神秘体験を思い出し、スライムであれば上手く描けるかもしれないと考えてチャレンジしてみたんです。想像していたよりはるかに上手く、スライムよりスライムなのではないかと思えるぐらいの絵が生まれ、自分の感じたものをシンプルに表現できたことがすごく気持ちよかった。自分が感じた皮膚の粘膜の記憶を描き、あの神秘体験を追体験するような感覚で絵を続けていきたいと思えたんです。

「Monochrome」展展示風景より、左から《slime CXXIII》(2022)、《slime CXXVI》(2022)、《slime CXXIV》(2022)
自身がモデルとなった作品を前にする友沢

──モデルはこたおさんご本人か、赤ちゃんの人形ですね。

 やはり、自分でやってみることが重要だと思うんです。最初のきっかけは、気づいたらかぶっていたという衝動的なスライム体験ですが、実際に顔に載せると苦しいし、呼吸ができなく死んでしまいそうだという気分にもなります。しかしその体験があるから、絵を見たときにドキッとするような感覚が表現できているはずです。痛みのような、苦しさのようなものが背景にあるから、見た人の身体が「おっ」と反応するのだと思います。

 赤ちゃんの人形を用いた作品に関しては、スライムのいろいろなかたちや光沢、粘度の違いを表現するためや、自分の顔だけでは限界のあるポーズなどの可能性を探るためという習作のような意識もあります。もちろん、赤ちゃんにしか出せない空気感もあるのでシリーズとして続けていますが、自分がモデルになるときよりも実験的な要素は多いかもしれません。

──ご自身をモデルにするときは、自撮りをされるのですか。

 そうです。スライムの載せ方によっていろいろな絵が生まれるのですが、頭のなかにあるイメージを追いかけて絵づくりをすることがあれば、垂れてくるスライムの動きを利用して偶然性に任せて絵づくりをすることもあります。自分の顔にスライムをかけてパシャっと自撮りをすると、そこで一度絵が決まる。それから絵具で色づくりを徹底し、あの光沢のヌメヌメ感を追求したうえで作品が完成する。そのような制作プロセスです。

「Monochrome」展展示風景より、《slime CXXIV》(2022)

──スライムを用いた作品で自らがモデルとなり、本当の自分を感じたことを作品に反映させることへのこだわりの背景には、映画『ゆきゆきて、神軍』(1987)(*1)の鑑賞体験があると以前インタビューで拝見しました。

 最初に見たのが小学生の頃なのですが、よくわからないけどすごいものを見てしまったという印象でした。それから何度か見て、高校生になって見たときには、バッと身体に熱風を受けたような感覚がありました。主人公の奥崎謙三がシンプルに生きていることの凄みのようなものが映画に記録されていて、それによって、見る人の身体に刺さるような強さがある。そういう感動が自分にとって表現することの原点になりました。

  熱くて、生々しくて、でもどうにも言葉で形容しにくい映画です。大学で自分の好きな映画タイトルを挙げ、「芸術寄り」「キッチュ寄り」などチャートに分類する授業があったのですが、『ゆきゆきて、神軍』は平面のチャートに収められない映画だと感じました。奥崎の生きる姿がそのまま収められているし、「芸術寄り」にはしたものの単純に芸術に括るのも違和感がある。奥崎が元上官をタコ殴りにする場面に限らず、映画全編を通して痛みがあるし、脳ではなく身体に伝わり心拍数が上がってしまうような場面が続く。その「ドキッ」とさせるような表現というのは、自分の感動指標において重要な要素だと感じています。

「Monochrome」展展示風景より、左から《slime CXXV》(2022)、《slime CXXV》(2022)
「Monochrome」展展示風景より、《slime CXXVII》(2022)

──お母さまでマンガ家の友沢ミミヨさんの強烈な表現からの影響もありますか。

 たくさんあります。子供の頃は読んではいけない漫画もありましたが、じょじょに大人になっていろいろと見るようになると「お母さんほんとにやべえ」と思えて、こんなやばい人から私は生まれたのだと噛み締めるようになりました。子供の頃から家にあったガロ系の花輪和一さんの漫画などには影響を受けていますし、1970年代の『クレクレタコラ』という、いま見ると暴力場面がひたすら連続で描かれているようなテレビ番組も好きでずっと見ていました。

──身体感覚に直接訴えかけるような絵画表現の背景に、そうしたものからの影響があるのですね。

 そうした影響から、痛みやドキッとするような感覚を大事にしているのかもしれません。今回の個展にはモノクロ作品のみを出品しているのですが、光沢をただキラッと綺麗に描くのではなく、光沢のヌルヌルが動く感じや、左右の目の焦点がうまく合わずに飛び出てくるように見えたときのドキッとする感覚というのは、人間が持つ五感に触れるからこそ生まれると思うのです。人間が時代を超えて持っている原始的な五感というのかな。それは痛みも然り、気持ちよさも然りと言えるかもしれませんが、そこに触れられる表現こそがドキッとさせる強度を持つように思います。

──どのような意図でモノクロ作品に絞ったのでしょうか。

 モノクロ作品を展示するのは今回が初めてなのですが、私はもともとすごく色にこだわりがあります。1色をつくるのに4時間ぐらいかけて混色を試すこともありますし、スライムのヌルヌル感を色でどうやって表現できるかというのはすごく大事にしています。そのように続けてきて、もしかしたら黒の深みみたいなものがあるのではないかと、ふと思う瞬間がありました。黒はすべてを破壊する色ですが、もしかしたら、一番創造的な色にもなるかもしれないと。今回は黒と白の2色を基本として、どれだけ色の深みを表現できるかということにチャレンジしました。

 テレビを見ていたら何かの番組でアンミカさんが「白って200色あんねん」みたいなことを言っていたんですけど、本当にそうなんです。白だけでも200色どころではないバリエーションがある。黒もそうです。暖かい黒も冷たい黒もあるし、色味がある。影を描くのが本当に難しかったのですが、赤い物体の影には黒のなかに赤が入るし、影には空間の色が含まれる。これは高校の時の先生の教えですが、本当にそうです。黒のなかに赤や緑など様々な色が見える。そこにこだわることができたのは、また次のステップへと進むうえで貴重な機会でした。

「Monochrome」展展示風景より、左から《slime CXXII》(2022)、《slime CXXIII》(2022)

──モノクロだから実験できたことが、またカラーの作品にもフィードバックされて新たなスライムの表現が生まれそうですね。

 黒と白の2色とはいえ、色を混ぜることや光沢のヌルヌル感をどう表現するかということには、はてしない深みがありました。ただ、もちろん色をつくることなどの下準備にはすごく時間をかけますが、スライムの質感を表現するためにはスライムの気持ちになることが重要で、スライムの動きを絵に表現するために、時間をかけずに描くようにしています。本当に集中して一瞬で終わらせるようなイメージです。そのためにトランス感というものをすごく大事にしています。周囲の意識が削ぎ落されて1センチ四方ぐらいに狭まった視界のなかで描いている感覚なのですが、例えば唇を描いているとしたら、そのシワの1本と横の光沢だけに意識が向かって、そこを遊泳しながら描くように進めます。スライムは1秒と同じ形状で止まらないので、集中してトランス状態に入ることで自撮りした写真と皮膚の粘膜の記憶から、鮮度を保った状態で画面にドキッとする感じが生まれます。制作はその繰り返しで、アトリエにこもって風呂も入らずご飯も食べず続けてしまうので、安定した環境で絵を描き続けられることは、とても大事です。

──今回のモノクロ作品のように新たな挑戦を続けながら、五感に触れるような表現を追求していくのですね。

 私が絵を描いていて一番心が踊るのは、作品を展示して空間が完成した瞬間です。そこが「キュン」ポイントなので、今回も白黒の作品が展示室を埋めるとどうなるかイメージしながら制作しました。展示風景を考えてウキウキしながら大きな絵を描いてみたり、3連作を計画したりするわけです。スライムを用いて毎回同じような絵を描いているように思われるかもしれませんが、毎回自分なりに課題を設けて、新たなワクワクに出会いたいと思って制作しています。自分が描けそうだと思う絵を描いても、それはただの作業になってしまいます。自分にはとうていできないかもしれないと思うような課題を設けることで、制作のモチベーションが生まれ続けるのだと思っています。

衣装協力=アディダス

*──『ゆきゆきて、神軍』(1987)は、原一男監督による1987年公開のドキュメンタリー映画。第二次大戦に招集され、ジャングルの極限状態の生存兵として帰国した奥崎謙三を追いかけるドキュメンタリー映画。戦時中の不条理に憤り、1969年の一般参賀で、戦死した友の名を叫びながら昭和天皇に向かってパチンコを発射するなど、自らの信念と怒りをバイタリティとして「神軍」の一員を名乗る奥崎。街宣車を走らせ、戦時中の闇を炙り出す奥崎の姿が衝撃を呼んだ問題作。

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