2022.5.13

【DIALOGUE for ART Vol.4】美大生の青春から美術家として活躍するまで、ふたりが描いた真逆の軌跡

「OIL by 美術手帖」がお送りする、アーティスト対談企画。京都在住の加納俊輔と、大阪在住の安田知司は、嵯峨美術大学出身の同期生だ。加納がロジカルに作風とキャリアを積み重ねてきたのに対し、安田の作家歴は迷走と愚直さに満ちている。対照的な個性と深い友情で結ばれた彼らが、たがいの軌跡と作品について語り合った。

文=小吹隆文 撮影=麥生田兵吾

加納俊輔のアトリエにて。安田知司(左)と加納俊輔(右)
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──おふたりが出会った頃の話を聞かせてください。

加納俊輔(以下、加納) 我々は京都の嵯峨美術大学(以下、嵯峨美)出身なのですが、うちの大学では1年生のときに専攻を問わずにクラス分けをして、ベーシックな美術の授業を行うんです。安田君とは別のクラスだったけど、生徒の人数がそんなに多くないし、男子学生が少なかったので、おたがいになんとなく知っていました。

安田知司(以下、安田) 最初はぜんぜん違うグループでしたね。

加納 彼は大学に遊びに来ているようなグループにいました。当時の安田くんは、まだ高校生みたいな感じで幼い印象もありました。そのグループはあんまり好きじゃなかったのですが、安田くん自体は気の良い人なので喋ってはいましたね。いっぽう、僕は2浪で入学したので少し擦れていた感じもあったかもしれません。そういう感じでおたがいに知っているし、安田君の授業の課題を見て「面白いことやるな」と思ったこともありました。

安田知司

安田 僕は高校受験のときに美術大学の存在を知って、美大に入学するにはデッサンが必要だと知り、高校の美術部に通ってデッサンをするようになりました。すると顧問の先生に「油絵もやらないか」と誘われて、そこで油絵を描くことの魅力を知り、その後、デッサンと平行して両方をやることになりました。大学受験で嵯峨美に受かったけど、先生と些細なことから喧嘩になって。それからなぜか美術自体が嫌になり、大学に行ったら遊ぼう、美術からできるだけ遠ざかろうと思って日々を過ごしていました。でも、授業の講評会で作品を批判されると悔しくて、2年生ぐらいから徐々にやる気が戻ってきました。

加納 当時の嵯峨美には3年生のときに別の専攻を選ぶことができる「副専攻」という制度があったんです。例えば、油画の学生が日本画に行くことができたりするんですが、その制度を使って安田君は油画専攻から彫刻専攻に行きました。僕は版画専攻だったのですが、彫刻と版画は隣の部屋にあるので、彫刻の部屋を覗くと「あ、(安田君が)いるやん」と。徐々にやる気が戻ってきたと言っている通り、たしかにそのときにはやる気にあふれている感じでしたね。

アトリエでの安田知司(左)と加納俊輔(右)

──加納さんはどうして美大を志望したのですか。

加納 僕は、当初はビジュアルデザイン科を志望していました。高校生の頃に大阪に遊びに行ったりすると、ライブハウスとかに格好いいチラシがたくさん並んでいて、「ああ、こういう仕事がしたいな」と。でも当時のビジュアルデザイン学科はすごく倍率が高くて、受験が上手くいきませんでした。2浪をして、そろそろなんとかしなければというときに、版画も印刷だから、突き詰めたらビジュアルデザインと同じなんじゃないかと考えて、版画を学ぶことになりました。

加納俊輔

──おふたりは学生時代からアーティスト志望でしたか。

加納 僕が学部を卒業したのは2008年で、リーマンショックの前には日本でもちょっとしたアートバブルな感じもあって、当時、若い作家は早いうちに注目されて飛び出していこうという雰囲気だったと思います。僕はというと、どうやったらコマーシャルギャラリーで展覧会ができるのか、『美術手帖』などのメディアに取り上げられるのか、そういったことを考えていたと思います。3年生のときには友達と、大学のクラブやサークルが使用していた部室棟の26部屋それぞれを個展会場とした「one room」という展覧会を行いました。そこに安田くんも参加してくれて、先輩から後輩まで皆それぞれが初めての個展を手探りでつくっていくという感じでした。また、ゲストに会田誠さんや金氏徹平さん、飯川雄大さんを招いてトークイベントを行ったりしたんです。これだけやれば否が応でも注目されるだろうという期待もありました。当時、京都の卒業制作展では京都市立芸術大学が一番目立っていて、嵯峨美はあまり注目されていなくて、そういう状況をなんとかしたいという気持ちもありました。

安田 僕はアーティストとして生きるということは、ぜんぜん考えていませんでした。絵を描きたい、続けていきたいというようなことだけを考えていました。作品を発表して、販売して、生活していくことまで頭が回らなくて、ギャラリーの仕事がどのように成立しているのかも知りませんでした。実際に考え始めたのは、社会に出てしばらく経ってからです。

加納 友達のなかでは安田君のことを「嵯峨美の象徴」と呼んでいました(笑)。どのようにお金を得て、いつまでにどれくらい活躍してとか、そんな野心が一切ない。前途が真っ暗ななかで、ただひたすら絵を描いている印象でした。

安田 描き続けていれば誰かが見てくれる、チャンスが来ると思っていたけど、そんなことはぜんぜんなくて(笑)。自分から動かないと誰も見てくれないことに、卒業後1、2年経ってようやく気付きました。でも自分が何をしたいのかよくわからなくて、茨木(大阪府)と亀岡(京都府)の府境の山中に家を借りて、1年半ほどそこで暮らしました。昼間は街中の小さなたこ焼き屋で働き、帰宅後はひたすら絵を描く、そんな生活でした。でもその状況にもだんだんしんどくなってきて、絵も描けなくなっていきました。

加納 一度、彼の山の中の家に遊びに行ったことがあるんですが、そのときに安田君の様子を見て「ちょっとやばいな」と。当時僕は大学院生で、色々な人の意見を聞きながら制作していたけど、彼は誰の意見も聞かないし、展覧会をする気もない。そんなときに淀スタジオという共同スタジオが作家を募集していると聞き、安田君に勧めて、そこに入ることになったよね。

安田 淀スタジオに入居した最初の頃は、周りの人が全員敵みたいな気持ちで過ごしていました。アトリエスペースを解放して作品を見せる「オープンスタジオ」も、そのあいだは制作を中断せざるを得ないし、自分のペースで描けないから嫌でした。当時は自分と作品しか見えていなかったんです。そして、ずーっと悶々としながら描いていた。自分のなかでは、前に描いた作品よりも良くならなければ意味がないと思っていて、完成が現状の少し先にあって、常に届かない感じ。1枚のキャンバスに描いては上書きするのを繰り返していた。

加納 結果、残った作品は1点。

安田 そう。

加納 ヤバいやん(笑)。

同級生の良い関係が続くふたり。学生時代を思い返しながら話は尽きない

──なんとも対照的なふたりですね。次に、おたがいの作品について聞きたいです。安田さんの現在の作品は、粗いピクセルがブロック状に集積した感じの油彩画で、それぞれのピクセルは分厚く盛り上がり、ぬめっとした質感と筆跡を持っています。

安田 あるとき、ネットを検索していたら小さな女の子の画像を見つけ、よく見てみたいと思い拡大したら、粗いピクセル状になって目の前に現れたのがきっかけです。自分の認識が、小さいサイズのときは可愛いと思ったけど、拡大したら可愛くなくなってしまった。人間の認識というのはすごく浅いものではないのか、自分が何に感動しているのかがわからなくなったということに興味を持ち、そのあたりをうまく制作に置き換えることができたらと思って始めたんです。

安田知司《1.149ppi_75(indulgence)》(2021)

加納 僕には安田君がコンピューターを触っているイメージがまったくなかったんです。なので、いまの作風に変わったときはすごく驚きました。彼のことを知らない人が見たらデジタル系の人だと思うかもしれないですが、実際はそうじゃなくて、それこそ「メールは使えますか?」というぐらいそっち方面には疎い人という印象でした(笑)。これまでの作品っていうのは鑑賞者を必要とせず、ひたすら絵と自分の関係だけを追い求めていたと思うけど、鑑賞者という第三者を必要とする瞬間があったんかな?

安田 自分が作品を通して何を伝えたいのかということを整理して制作し始めたんだと思う。

──近くで見たときと遠くで見たときの差、肉眼で見たときとカメラのモニター越しに見たときの違いが極端で、イメージと物質性が見る距離によって大きく変化する二面性を持った作品ですよね。いっぽう、加納さんの作品は写真を用いつつも、そこに写っている図像だけでなく、写真というメディアが持つ特性・構造にも言及しています。コラージュという要素も重要で、鑑賞者の既成概念にゆさぶりをかけるような作風が持ち味です。また、THE COPY TRAVELERSというグループでは、コピー機を使ってまるで音楽のセッションのように即興的な作品制作を行っています。

加納 自分はイメージを平面的にしか処理できないというか、そういう感覚が初期からずっとあります。写真を撮るにしても、写真には奥行きがあるけど、それをあえて平板に撮ることで自分の作品になる感覚があって、空間自体をどのように圧縮できるのかを追求してきた。初期の作品では写真とマンガを組み合わせて、そこに同じ形が並んでいるとか、写真の図像の中に幾何学的な形態が紛れ込んでいる、といった作品を制作していました。イメージの類似性や意味が反復されていく初期の作品は、自分の思うコラージュを手法として制作したものなんです。

 また、いま取り組んでいる「Pink Shadow」というシリーズでは、写真に映り込んでいる表側のイメージと同時に見ることのできない裏側というものも同時に見ようという試みなんです。この作品をつくるきっかけになったのは、電車の車窓に写真を1枚貼って車窓を撮り続けるという映像作品を作ったことなんです(《Cool Breeze On The Rocks》(2015))。そこでは電車なので、トンネルや木陰に入ると、暗くなったり、明るくなったりして写真が見えにくくなったりするんです。そういった裏側からの干渉によって動くことのない写真というものを動かすことができるのではないか、ということから始まっています。

加納俊輔《PinkShadow_83》(2022)

安田 加納君の作品は(テレビ番組の)ドッキリの構造と似ていると思っています。ドッキリって、仕掛け人とターゲットがいて、仕掛け人がターゲットの生活をバレないようにコントロールしながら、最後にインパクトを与えて強引に仕掛け人の時間軸に引き戻してドッキリを成立させている。加納君の作品に当てはめると、印刷されたイメージが貼り付けられた素材(大理石や木材)が仕掛け人で印刷されたイメージ(写真)がターゲットになっていると思うんです。

 素材が強制的に存在を定義しているにもかかわらず、正面で作品を観察したときに立ち現れる印刷されたイメージの虚偽性にいつのまにか飲み込まれている感じ。その引き込まれる魅力は最初の作品の印象を起因とする印刷されたイメージの違和感のつくり方が上手いんだと思います。

 それからまた、作品を観察できる範囲外まで離れると印刷されたイメージの詳細が見えなくなって素材のそのもののイメージに戻される。

 ドッキリ番組では普通、最後にネタを明かして終わりだけど、加納くんの作品は主体と客体の関係がいつまでも入れ替わり続け、ずっと不安定なまま。僕なりのドッキリで例えると、『自分が友だちと歩いていました。すると前からやってきた人に、隣にいた友達が突然殴られる。仰向けに倒れた友だちは馬乗りにされ、タコ殴りにされているところで、その友だちがこっちを見て「(これは)嘘だよ!ドッキリだよ!」と言い続けている』、みたいな(笑)。

 友達がボコボコになっているという衝撃的な状況に対して、嘘だよ!ドッキリだよ!という言葉がちゃんと聞こえるのにその言葉を上手く受け入れられないような感じ。

加納 なるほど、例え話の内容は怖いけど、なんとなくわかります。物質とイメージの関係を拮抗させたいと思っていて、ドッキリかどうかはわからないけど、ふたつの関係が行きつ戻りつするというところは、僕の試みている部分だと思います。

 僕らの作品は共通して平面であり、パッと見たときと近寄って見たときの印象が違うとか、時間をかけて見ていると認識が変わるような作品をつくっていると思うんだけど、そういう作品をつくっていると、鑑賞者は最初はそれが何かよくわからなくて、でも何が描かれているのか、どんな構造なのかがわかると「はい、わかりました。終了」みたいになってしまうことってあったりすると思ってて。作品の構造や描かれている内容がわかった後も感動を持続させることはできるのか、そういうことを考えたりしない?

安田 うーん、これは難しい。たしかに鑑賞者のなかには「あ、〇〇が見える、わかった」で終わる人がけっこういると思う。それで終わるのはもちろん悲しいけど、同時に避けられないとも思っていて。この問題を解決するためにイメージをもっと不安定にする方法があるけど、それだと鑑賞者が納得できなくて、見てもらえなくなるかもしれない。だから、いまの作品でそこは解決できないと思っていて、やるとしたらまた別の作品になると思う。

加納 コンセプトを読んだり、構造を理解したということで鑑賞が終わるのではなくて、それが何なのかわかっても、わからなかったとしても、目の前に現れたイメージを見て心が揺れ動くような体験が長く持続することができれば、「読み解く」ことから「体験として見る」というようなことができると思っています。

安田 僕の個人的な感想だけど、加納君の作品はこれからどんどん横に広がっていくような気がする。これまでの作品は自分のやりたいことを深化させて突き詰めていく感じだったけど、尖鋭化し過ぎると鑑賞者が置いてけぼりになる可能性も増えてくる。だからTHE COPY TRAVELERSみたいな、自分の作家性が外部に溶け出ていくような活動が増えるのかもしれない。

加納 昔とある人に「シリーズを増やした方がいいのか、それとも同じことをやり続けるのが良いのか」と尋ねたら、「両方やれ」と言われたんです。まあそうだろうなと思いつつ、当たり前のようなことですが、わりとその一言を信じて今もやっているところがあります。もうひとつ、僕は、作品をつくるうえで「これはやらない」というような禁止事項がけっこう多いタイプなんです。しかし、グループでやることによってそういったこだわりを解きほぐすことができて、自分の幅を広げるきっかけをつくることができると思っています。

加納俊輔のアトリエ
もとは版画家のアトリエで、そのまま引き継いで入居したため、十分な環境が整っている

安田 前は自画像や風景画などの具象的な絵を描いていたけど、いまの作風になるときに、自分がやりたいことを一から整理しました。自分にはどういうことが合っているのか、どういうことが得意なのかがなんとなくわかるようになってきた。次の展開を考えるときも、同じように自分を見つめ直してやりたいこととできることのバランスを考えながら制作したいと思っています。

加納 僕の場合は、THE COPY TRAVELERSもそうですが、ほかにも同世代の作家との共同制作や展覧会の企画などを行っていて、そういった色々な人との関わりが個人の制作に良い展開を与えてくれていると思っています。そう考えると、安田くんは一貫して自己との対話の中で展開しているし、僕はずっと他者と関わることが制作の大きな原動力になっているので、そういうところも大きく違う点ですね。

安田 僕は大学を卒業したときから加納君の活動をずっと見て、お手本にしてきました。こういう活動をするのか、こういうふうに作品を展開していくのかと。大学では同期だけど、年齢は僕より2歳上だから先輩のような意識もあります。だからこそ、いつか倒さないといけない相手だとも思っています(笑)。この対談の企画が来たときに、最初に浮かんだのが加納君。ここからまた頑張ろうという意味も込めて。

──対談中、ふたりのあいだには笑い声が絶えなかった。そして取材終了後も安田の実家(和菓子屋)の話題で盛り上がり、エンドレスの様相に。そこには、着かず離れずの関係を保ちつつ、おたがいを認め合う美術家の姿があった。

アトリエでの安田知司(左)と加納俊輔(右)

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