biscuit galleryをオープンする以前、代表の小林真比古は広告会社で音楽のプロモーションに携わっていた。日本美術の研究者として著名な小林忠を父に持つなど、美術に触れる下地はあったが、固有の業界に苦手意識を抱き、気持ちが音楽に向かったのだという。5年ほど前に壁の真っ白な新築マンションに転居した際、ピクチャーレールがあることに意識が向き、直感的にアートを飾ってみようと考えた。5年ほど前の話だ。
「ちょうど働き方改革の時期で、自分もデジタル系セクションにいたので、率先して働き改革を実現しようとしていた時期でした」と小林は当時のことを話す。「当時はアート作品をどこで買えるのかもよくわからず、ひとまずインターネットで検索しました。そしてたどり着いたのが、Oumaさんという作家がご自身で運営するネットショップでした。海外のアーティスト・イン・レジデンスを渡り歩いている元獣医の日本人作家で、制作で生まれた複数の作品の切れ端を手術糸で縫い合わせた2500円ぐらいの小さな作品を2点購入しました。作品はフィンランドから届いたのですが、すごく精巧につくられた素敵な作品で、額装して飾ると部屋が一気に変わるのを感じました」。
アートを購入する手段を調べようとしてもなかなか適当な情報に出会えない状況で、自分のように困っている人もいるだろうと考えた小林は、会社の仕事をする傍ら、個人でアートのサイト「Bur@artぶらっとアート」(https://burart.jp)を立ち上げた。自らコレクターとして作品の収集を開始し、その経験やリサーチをもとに記事を発信すると、やはり自分のように興味を持ちながらも作品の購入方法がわからない人たちから反応が届いた。
SNS経由でつながりは広がり、サイトを立ち上げてから1年ほど経った頃、「買える!アートコレクター展 Collectors’ Collective(コレコレ展)」(MEDEL GALLERY SHU、東京、2019)と題するコレクターによるコレクション展をサイト運営を通じてつながったコレクター仲間と開催した。それぞれのコレクションを展示すると同時に、作家には新作も用意してもらい、あわせて展示する企画だ。これが評判を呼んだことで、アート界の外から入ってきた自分だからこそできることがあるのではないかと、アートへの意識は徐々に大きくなっていった。
「サイトはいまも細々と運営していますが、作家や記事によってPVを数値化できるのも面白いですし、コレコレ展にも反応があったので、アートについていろいろと考えたい気持ちが大きくなりました。コロナ禍で社会のデジタル化が進み、だからこそ逆に、ステイホームとは逆のフィジカルな場をつくることに可能性があると感じ、ギャラリーを始めようと決めました」。
人通りが多く感度の高い人が行き交う場所にある路面店を求め、松濤の物件と出会った。そして、そこに行けば「若手作家の最先端の現代アートに出会える」と思ってもらえるような場づくりを目指そうと考えた。イメージは、かつての「新宿LOFT」(*)だと話す。
「サザンオールスターズやブルーハーツなどが駆け出しの頃に出演していたライブハウスなんですが、日本のロックシーンの最先端に出会うことができて、レコード業界の人も含めて新しい音楽に敏感な人が集まる場所でした。渋谷はアパレルや音楽、アート業界の人々もいて、アートの多様性と裾野の広さを見せられるような、手に取りやすい価格帯の作品を紹介するために必然的に若手作家の作品を展示する開かれたギャラリーを目指してオープンしました」。
広告会社での仕事を通して培われた「生活者目線の消費者の興味関心をどれだけ引き出すか」という意識を生かし、年齢も性別も国籍も宗教も超える存在で、かつキャッチーで手に取りやすいものの象徴として「ビスケット」の名前を選んだ。作家への責任をどう示すかという意味で、自分の名前を冠することも必要ではないかという意識も出てきているというが、まだ創業から1年なので探りながら運営を続ける予定だ。「広告代理店出身なので、自分はあくまでも裏方であり脇役で、作家がメインなんです」と「ビスケット」の意図を語るが、その意識が鮮明に表れているのが、現在5名の作家と結んでいるマネジメント契約だ。
「作家が自らSNSで発信したり、個人で作品のECサイトを始めたりしている状況で、ではギャラリーの存在意義とはなんなんだろうと考えたときに、やはりこれも音楽業界をなぞらえるようにマネジメント契約という発想に至りました。作家が制作しやすい環境と展示場所を提供し、作家が制作に専念できて、また自分には海外進出という目標があるので、そこを目指してパートナーとなる2年ごとの契約です。開廊から1年で15本の企画展を行ったのですが、最初のグループ展開催時にすでにお客さんや関係者から作家の所属ギャラリーを尋ねられたので、作家に対しての責任をどこで取るのか、ギャラリーとしての意思表明が必要だと考え、昨年(2021年)の9月からマネジメント契約を開始しました」。
現時点では、岡田佑里奈、那須佐和子、布田葉太郎、山ノ内陽介、永田優美という5名の作家とマネジメント契約を結んでいる。契約は2年。緊張感を持ちながらパートナーとして前に進んでいくために、2年でどちらから解消することも可能という契約を設定し、アーティストを拘束せずに制作しやすい環境を提供できるような契約内容を考えた。契約期間中に他ギャラリーと所属契約を行うことは認めていないが、展示を行うことは自由であり、ただスケジュールや展示場所などの情報は、小林が管理することが契約内容に盛り込まれている。契約作家のひとりであり、1周年記念展「grid」にも参加する那須佐和子は次のように語る。
「去年初めてこちらで展示させていただいたあとに、ギャラリーが新しい展開として短い期間で自由な関係のマネジメント契約を考えているということで、自由に制作活動をできるのは魅力的だと思ってお受けしました。2月に銀座 蔦屋書店で展示をしたときも、搬入時間が限られたなかでも展示にこだわりたい私の要望を先方に通してくださったり、私が展示にこだわりたいのを理解してくれて、新しい空間での展示などもご提案いただけるので自分の制作にも広がりが生まれる契約だと感じています」。
「grid」展では、biscuit galleryの壁面の柱に合わせて、サイズの小さな絵画を箱と組み合わせて縦に並べる展示を行った。箱は作品のキャプションとしても機能し、展示が終わると購入者はそこに包装した作品を持ち帰ることができる想定だ。
「私はいつも展示を空想しながら絵を描きます。鑑賞者がこういう経路で絵を見るから、この壁にこういう絵があったら、その隣にはこういうピースがあったらいいんじゃないかと考えて描いたりするんです。今回の展示も、『grid』というタイトルを自分なりに解釈を膨らませて、絵のなかのコンポジションの切り取り方をどう変えていくかと考え、箱と組み合わせて柱に見立てて展示を決めました。どんな場所でも、壁面をつくり込んだりしながら自分の作品に出会う経路をイメージして展示を考えるので、実際に作品を展示して空間にピースがハマったと感じたときは嬉しいですね」。
そして「grid」展では、前後期に分けて合計50名の作家が出品する。小林が一緒に仕事し、注目していきたいと考える「作品イメージにせよコンセプトにせよ強いオリジナリティを持ち、コレクターとして欲しくなるような作品を制作する作家」が集まった。壁一面か展示台ごとに作家のグリッドを区切り、それぞれの作品を楽しめる展示となる。この1年でbiscuit galleryに展示した作家、これから個展やグループ展を予定する作家、今後も注目していきたい作家には、東京初展示の作家やまだ美大在学中の学生も含まれている。
「『grid』の開催と同時に、1周年のアニュアルブックも販売します。オープニングからグループ展『re』までの展覧会の写真とテキスト、座談会の記事などを収録し、日英バイリンガルで編集しました。記録をしないと展覧会もどんどん流れていってしまうので、きちんとアーカイブし、ストックすることで価値を蓄積させることは大事です。また、海外に行くことも目指しているので、そこで自分たちの活動を見せるためにもこの本が必要だと考えました」。
日本の美術というエッセンスを中心に据えた作家のセレクトで、西洋のモノマネではない日本人アーティストの価値の発信を目指すbiscuit gallery。若手アーティストの作品を購入して保有し、美術館をはじめ企業や商業施設への貸し出しを受け付けることで、作品の展示機会創出をサポートする「biscuit gallery Collection」も1周年記念展「grid」と時期を同じくしてスタートした。音楽フェスをイメージした1周年記念展の会場では、日本の現代アートの最前線に触れることができるだろう。
*──1976年から東京・新宿にあるライブハウス。登竜門的存在としてサザンオールスターズなど、数々のミュージシャンを輩出してきた。現在は、配信イベントも行うなど、ライブに限定しない空間の提供を行う。
出品作品は、「OIL by 美術手帖」で販売中。