ドローイングをするように木を彫る。中村萌インタビュー

ポーラ ミュージアム アネックスとギャラリー椿で個展を同時開催中の中村萌。子供の頃のひとり遊びで思い描いたイマジナリーフレンドのような、妖精のような姿を立体と絵画で表現する彼女に話を聞いた。

文・写真=中島良平

「inside us」展が行われたギャラリー椿での中村萌

──ポーラ ミュージアム アネックス(以下、ポーラ)の「our whereabouts - 私たちの行方 -」とギャラリー椿の「inside us」というふたつの個展を同時開催しています。それぞれのコンセプトをお聞かせください。

 両会場とも、ちょうど空間の中心に大きな彫刻を置いているのですが、どちらもその中心の作品をメインに展開しています。もとは1本の大きな丸太で、それを半分に切ってそれぞれ新作としてつくりました。ギャラリー椿の作品は丸太の根元の部分を使い、ポーラ ミュージアム アネックスの作品は上の部分を使って作品にしました。

 ポーラ ミュージアム アネックスでは、先行きの見えない今の閉塞感漂う状況下で、彷徨いながら、私たちのむかう先に、わずかでも明るい光があることを祈って、空間全体を明るく、外に向かっていくようなイメージで構成しました。中心の作品から外側に向かっていくような、自分自身が彷徨いながらその先にあるものを探るようなイメージから「私たちの行方」という展覧会タイトルにしました。

 ギャラリー椿では、逆に自分の内側に向かうことをイメージし、胸元の穴の中を探るような、目を閉じて自分の内面へと向かっていくような作品を中心に置き、光の影に存在する、拭いきれない孤独のようなものに寄り添うことができたらと思い、作品を展開しています。

「inside us」展展示風景。中村が言及する中心の作品が中央の《Inside me》(2021)
「our whereabouts - 私たちの行方 -」展展示風景。手前の《Our whereabouts》(2021)が中心の作品となる

──まずギャラリー椿の展示構成からお聞かせください。 

 中心に木彫が1点、その周囲の丸太の上で13体のブロンズがいろいろな方向を向いているのですが、この作品はポーラに展示している木彫のひとつを型取りし、ブロンズで鋳造して、ひとつひとつ異なる色で手彩色した作品です。一見、彩色してあることで木彫と同じように見えるかもしれませんが、近づいてよく見てもらうと、ブロンズの地金の色や素材の強度に気付いてもらえると思います。木は時間が経つと割れたり捻れたり呼吸するように変化しますが、ブロンズは1000年後も形の変わらない素材なので、その対比も面白いと感じます。

「inside us」展展示風景より 《inside us-13》(2021)などブロンズ作品は彫り跡の地金の色合いが特徴的

──奥にはキャンバスの大型作品が1点、紙に描いた4点のペインティング作品もあります。

 私は子供の頃から絵が好きで、大学でも油絵を専攻したのですが、立体をつくる機会や木に描くことが増えていたので、じつはキャンバスに向かうのが久しぶりでした。ようやく立ち向かえるような気持ちになって、最後の最後で100号のキャンバスに油絵を描くことにしました。表現の原点に立ち戻りたいという気持ちが自分のなかで消化されて、この絵を描けたと感じています。ブロンズの子たちが目を閉じているので、対称的にキャンバスに描いた子は目を開けています。

 和紙にアクリル絵具で描いた作品も4点展示しています。高級な紙に描くのは緊張してしまうので、ドローイングは安い紙にばかり描いていたのですが、コレクターの方にもっといい紙に描いたらと、良い和紙をいただいて、そこにアクリルで描きました。改めて支持体によって絵具の響きの違いを感じることができて、少し今までと違う意識で描くことができました。

「inside us」展より、《light inside》(2021)
左より、《Untitled (drawing-21-08)》(2021)、《Untitled (drawing-21-11)》(2021)。 和紙にアクリル絵具で描いた作品は「inside us」展に展示

──絵から立体に興味が移った経緯を教えてください。

 子供の頃の妄想というか、ひとり遊びをしているときのイマジナリーフレンドみたいな存在というか、妖精だったり小人だったり悪魔っぽいような姿を子供の頃からずっと落書きのように描いていました。油絵でもそういうものを描いたり、静物画を描いても果物台のところに小人みたいなのがしがみついているような絵を描いたりしていたんですね。絵が描きたくて女子美の付属に行って、中学と高校で真面目にデッサンをやっているうちに段々と自由に描いてはいけないような気がして、少し窮屈になってきました。

 それでも絵は好きで、「良い絵とはなんだろう」などとモヤモヤ考えながら、大学も油絵科に進みましたが、もともと彫刻にも興味があったので、立体をつくる授業などをきっかけに、自然と気持ちがどんどん彫刻に向かっていきました。おそらく、彫刻は物質感が強いから、自由な表現をしても許されるような感覚があったのだと思います。

 油絵科の中にいたからこそ、これを学ばないといけないというのを考えることなく自由にのびのびとドローイングするような気持ちで彫刻と向き合っていけたと思います。

 でもいっぽうで、私は自分自身を彫刻家とはいえない思いが心のなかにあって、またキャンバスに立ち戻りたいという気持ちも持ち続けていたので、今回ようやく久しぶりにキャンバスに描いて展示することができました。

「inside us」展より 作品の後ろ姿も愛らしい

──筆とチェーンソーでは道具として扱い方がだいぶ違いますよね。

 最初は顔の表情を表現することに集中してつくっていて、もちろん難しいとは思いましたが、作業としてすごく楽しかったんですね。木目がどういう風に出てくるのかがわかったり、木は彫りながら見えてくることが多いんです。感覚としては、チェーンソーで荒く削っていくときは、大きな筆でストロークを描くような気持ちで、テクスチャーを細かく鑿で彫っていくときは、細かく画面に筆を入れるような感覚なので、絵を描くのとあまり変わらない気持ちで入っていけました。ここ数年は特に、絵画的な彫刻というのを意識してつくっています。

──ギャラリー椿に展示された大きな木彫作品もそうですが、360度どこから見ても丁寧に彫られていて画家の視点だけではないように感じられます。

 そうなってきたのは最近です(笑)。最初は正面から見たかたちや顔の表情ばかりを考えていて、横から見た様子はさほど気にしてなかったというか、最終的に全体を彫っていけば否応なく横も後ろもできあがる、というような気持ちでつくっていました。制作を続けるうちに展覧会全体の空間を考えるようになり、やはりいろいろな角度から見ても美しく見せたいと思うようになって、意識は変わってきたように思います。一見、顔にしか目がいかないかもしれないけど、顔じゃないところを見たほうが素直にテクスチャーが綺麗に見えるなとも感じます。

──クスノキを用いた作品とブロンズはそれぞれ何で彩色しましたか。

 すべて油絵具です。油絵具がすごく好きで、塗っていてうっとりするぐらい綺麗だなぁと思います。とくに、楠の木目と油絵具が混ざり合っていく感じが好きです。曖昧な表情とのバランスで、あまりビビッドな強い色よりも、綺麗だけど、少し濁ったような、曖昧なニュアンスの色を選びます。

 ブロンズは色を塗るのがわりと大変で、一層薄く塗っただけだと地金の色が出て顔色が悪くなってしまうので、薄く塗ってから乾かして、5層ぐらい塗り重ねて厚化粧をします。少しずつ定着させて、彫り跡のところを後から鉄ヤスリでこすって地金の色を出しています。

「inside us」展出品の樹脂製フィギュア作品《Bud of hope》(2021)は、ギャラリー椿で9月25日まで抽選販売されている(OIL by 美術手帖では完売)
「our whereabouts - 私たちの行方 -」展より、《Bud of hope》(2020)原型の木彫作品
「our whereabouts - 私たちの行方 -」展より、手前・奥ともに《inside us》(2021)。「inside us」展のブロンズ作品は、この木彫作品を原型として鋳造された

──ギャラリー椿にも木の板に描いた絵画が1点、ポーラ ミュージアム アネックスには、木彫作品9点(1点はブロンズも組み合わせてある)と木の板の絵画15点が展示されています。絵と立体で同じ子を表現した作品もありますが、制作する順序は決まっていますか。

 絵を描いてから立体をつくることも、立体ができてから絵を描くこともあります。こういう作品をつくりたいからこういうサイズの木を買ってくる、というのではなく、どちらも木のかたちを元に考えます。木を見ながら、こんなかたちにしようかなというのをちょこちょこ落書きして、彫ってみて違うと思ったら変えて、ドローイングに近い感覚で立体を彫っていますし、木の板に絵を描くときも木のかたちに合わせて考えます。

──展示空間はどのように構成したのですか。

 木の板に描いた作品を絵画と立体の間のような曖昧な存在にしたいと最初に考えました。彫刻と平面作品が同じような感じで浮かび上がってくるようにしたいと思って、展示台も板が木彫作品と同じように立ち上がって見えるようなかたちにしました。その中を彷徨い、回遊できるような空間を考えましたが、台の高さをどうするかなど、悩みに悩んで搬入前に計画しました。

 目を閉じた作品と開いた作品、口を閉じた作品と開いた作品というのも、それぞれ表情が変わってくるので、そのバランスも考えながら作品のレイアウトを考えました。以前は作品をつくるので精一杯で、つくったら白い台座に乗せて並べて見せるようなシンプルな展示でしたが、去年台湾で大きな個展をやらせていただいたあたりから、空間にどういう風に置くかを改めて意識するようになりました。

「our whereabouts - 私たちの行方 -」展展示風景
「our whereabouts - 私たちの行方 -」展より、《where the light is》(2021)
「our whereabouts - 私たちの行方 -」展より、手前から《towards the light》(2021)、《I’m nobody》(2019)、untitled(2021)

──制作していて一番好きな瞬間、盛り上がる瞬間みたいなものはありますか。

 立体はいつも顔から彫るんですけど、顔を彫ると周りが見えてきて、どういう装飾を足したらいいか、頭の上をどういうかたちにしたらいいか、というイメージが湧いてきます。そして彫り終わって最初に色を塗るのも、顔なんですね。制作していて一番好きなのはその瞬間ですね。表情がやっと出せるみたいな気持ちになるんです。

 毎回、新作ができあがるともうこれ以上良い作品はできないみたいな気持ちになって、実際にそのあと新たにつくり始めても全然良くないかもしれないという不安な気持ちで作業を続けるんです。そんな状態が続くのは苦しいんですけど、かたちができあがってみて、顔に色を乗せると「いままでで一番良いんじゃないか」みたいな気持ちになることの繰り返しで、本当にテンションが上がるのはいつも同じタイミングなんです。

──命が吹き込まれる瞬間を感じるのかもしれないですね。生木を彫ってかたちができた時点で、色のイメージはでき上がっているんですか。

 頭のなかに顔の色のイメージはあるので、まず実際に顔に色をのせるんですが、そこからまた悩みますね。顔を塗ってから、塗っていない部分の色を考えるのは大変です。写真を撮ってそこに色をのせてみたり、いろいろ試します。でも、絵の場合は、そうやって色とずっと格闘し続けますが、彫刻の場合は、かたちができるまでは無心で素材と向き合い、体を動かす気持ち良さを感じながらつくるので、絵画と立体を行き来しながらつくれるのは精神的にも健康かなと思っています。

「our whereabouts - 私たちの行方 -」展より、《Glow in silence》(2021)。丸太から削り落とした端切れを頭に付け加えたのは初の試み
「our whereabouts - 私たちの行方 - 」展より、《Waiting for spring》(2018)(部分)
「our whereabouts - 私たちの行方 -」展より、《looking for me》(2021)

──木の物量があるので、やはりフィジカルな楽しさがあるんですね。

 この子が丸太から出てきたときの「きた!」っていう感じがすごく好きなので、粘土で造形を足していくよりも木を削っていく工程に惹かれます。生きている素材と向き合うことでしか、感じることのできない部分もあると思います。

──コロナ禍で一気にこれだけの点数の作品を制作して、2会場で見応えのある個展を開催されましたが、この期間で改めて感じたアートの魅力、意義といったものがあったらお聞かせください。

 コロナ禍でとくに意識せざるを得なかったのが、閉鎖的な気分になっている人も多いなか、今回は展示を見た人に少しでも希望を持ってもらったり、安心感だったりホッとするような気持ちを感じてもらいたいという思いで制作しました。今までは自分の感じたことなどをストレートに表現することに集中していて、見る人の気持ちにはあまり寄り添えていなかった気がするのでそこは変わった点です。作品を見て自分の子供時代とか、自分の過去に立ち戻れるような感覚を持ってもらえたらうれしいですね。誰もが一度は子供時代を経験しているので、まだ自分が何者なのか、良いとか悪いとかも意識していない頃にしかなかった曖昧な気持ちや、忘れてしまったけど大事なものを、作品の子たちの表情を見て思い起こしてもらえたら何よりです。

「our whereabouts - 私たちの行方 -」展より、《in the heart》(2021)
中村萌

編集部

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