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今回の出展作品として刊行されたアーティストブック《scrapbook》は、3冊セットのうちの1冊が前作、「六本木クロッシング 2016展」(森美術館)出展作のソースとなった1960年代のスクラップブックの複製に充てられている。当時一鑑賞者であった西山輝夫が作成したその内容は、65年から66年にかけて東京で開催された前衛美術の展覧会や演奏会、演劇、映画上映会の重要な鑑賞記録である。A4サイズの市販のスクラップブックに、案内状やチケットなどの印刷物(約70点)と合わせ、モノクロのスナップ写真(約340点)が貼られ、余白には鑑賞日や作家名、作品情報、プログラムなど詳細なメモが記載されている。63年工学部の学生だった西山は、偶然訪れた「第15回読売アンデパンダン」展に衝撃を受け、「芸術とは何か」を知るために都内の画廊巡りを始めた。就職間近の65年3月にはキヤノンFXを入手し、その直後から日記代わりにと展示やハプニングを写真に収めた。それらの鑑賞リストをもとに、時系列に沿って作成したのがこのスクラップブックである。美術界とは無関係だった西山が、前衛芸術の熱気に強力に引き寄せられながら、可能な限りの方法で美術情報を収集し、作家の有名無名を問わず会場に足を運び、記録したものだ。そして西山にとってこのスクラップブックは40年近く、他者と共有する必要のない自分自身の記憶のための大切な記録であった。
このスクラップブックは、2004年の「フルクサス展―芸術から日常へ」(うらわ美術館)をはじめ、12年「クロニクル 1964 ―OFF MUSEUM」(東京都現代美術館)などの60年代の前衛美術を回顧する展覧会に一部が展示され、貴重な資料として当時の記録や記憶を補填してきた。チュンとマエダがこれと出合ったのは、 15年、調査のために一時的に預けられていた慶應義塾大学アート・センターでのことだった。ページを追いながら、「内容の貴重さよりも作成者の特異性と美術への愛情の間にある不調和に驚き、西山さんのオルタナティブな手法が美術を見ることの可能性を広げている」(マエダ)と強く関心を持ったという。そして瞬時に、このスクラップブックに関する本をつくろうと考えた。10年にアーティストブックとして『ハンス・ウルリッヒ・オブリスト インタヴュー Volume 1』の翻訳本を自費出版した二人にとって、〈本にする〉ことは作品制作を意味した。
01年にフランクフルトのシュテーデルシューレ大学で出会ったチュンとマエダは、コラボレーションを開始して15年になる。初期作品のひとつに2枚の写真からなる《Modus Tollens》(2003)〔数学用語で対偶証明を含む間接証明の意〕がある。この作品は「チュンとマエダが一生再会できない」という虚偽のシナリオを、誰にも知らせずに二人で演じながら1ヶ月間生活を続けた後、別れの記念写真を想定して撮影したもので、彼らはこれを2回繰り返した。強い冬の日差しのなか、空港テラスに立つ二人の表情には、どこかユーモラスで切ない雰囲気が漂っている。この間、つねに他者も自身をも欺きながら、二人は「〈信用(confidence)〉について深く考察した」という。彼らは前提や既存の価値観を問い、美術における批評と表象について考え、美術史を参照し、模倣を試みながら、他者との関わりを注意深く観察してきた。移動しながら、対話しながら、恊働しながら、とことん自らに反照させることを選び、誠実に作品化を重ねてきた。
西山にスクラップブックを利用する了解を得るのは容易ではなかったが、ようやくスナップ写真の複写画像の使用許可を取り付け、昨年の「六本木クロッシング」のインスタレーションを実現させた。リプリントされた10点は、西山の立ち位置が見える、ほかの観客や作品との距離感が伺える写真が選ばれた。突然現れたチュンとマエダから「作品に使用する」という目的だけを聞かされ、何がどう作品となるのか不可解なまましぶしぶ許可した西山は、その展示を観た後に、作品には理解を示さなかったが、二人にスクラップブックを委ねてくれた。使い終わったら必ず即返す約束で。彼らの作品は西山の記憶の奥底にあった〈63年の衝撃〉を揺れ動かしたのではないだろうか。念願叶ってオリジナルを手にした二人は、再び、西山の記録を追いかけ、数ヶ月かけて編集方法を模索した。「美術は何もかも取り込んでしまう。西山さんがしたようなことも取り込まれてしまうのがつねだが、西山さんはどこか抵抗しているところがある。アート業界と直接関わりを持たない人がそうすることに一体どういう意味があるのか、とても興味が湧く」(マエダ)。西山に話を聞き、試行錯誤を経て、潔く忠実に複製することを決断した。そして、西山の手法に倣った自分たちの17年版スクラップブックをつくることにし、東京に滞在した2週間の間に行われていた展覧会を可能な限り巡り、記録した。西山版とチュンとマエダによる17年版は精巧に複製され、西山へのインタビューを掲載した翻訳版と3冊構成となった。
西山に彼らの新作の制作意図が十分に伝わったかはわからないが、忍耐強く付き合ってくれたという。できあがった3冊に目を通して笑いがこらえられない様子だったそうだ。二人による17年版のスクラップブックは〈東京のアートの今〉を綴じ込め、今回の個展を構成する鍵となっている。また、2つのスクラップブックの表紙を担うかのようにコラージュ2点《Untitled (arrows)》と《Untitled (logos)》が制作され、合わせてインスタレーションとして展示された。
《scrapbook》によって誰もが個人的な記録にアクセスできるようになり、ページをめくりながら当時にタイムトリップする。何に出合うかは観る者次第。オリジナル の熱量を維持したまま《scrapbook》は制作者の手を離れ、閲覧者(それは未来の閲覧者かもしれない)の手の中で、あらゆる可能性を帯びて自立している。
オープン初日は《scrapbook》を見た見た気分上々の人々であふれ、西山は不在だったが「西山サン」の名があちこちで聞こえた。
(『美術手帖』2017年8月号「ARTIST PICK UP」より)
※「scrapbook」の表記について本誌では《Scrapbook》、web版では《scrapbook》に変更した
All Images: © Jay Chung & Q Takeki Maeda