2017.4.11

制作を媒介に神話的世界へ。
上妻世海インタビュー(後編)

2014年から15年にかけて、「wave internet image browsing」展、「世界制作のプロトタイプ」展などのキュレーションで注目を集めた上妻世海による最新企画「Malformed Objects:無数の異なる身体のためのブリコラージュ」展。キュレーターと11名のアーティストとの「対話」によって組み立てられた本展では、そこを訪れる来場者に対しても、「指示書」というかたちでキュレーターからの「対話」が試みられた。はたして、その狙いはいかなるものなのか。後編では、上妻自身の来歴を経由しながら、「展覧会」「キュレーション」に対する考えを聞く。

聞き手・構成=原田裕規

「Malformed Objects」展会場風景。上妻のキュレーションのもと、11名の作家たちが新作を発表した。左から涌井智仁《BOMBERMAN》、永田康祐《Function composition》、三野新《Ghost hand》、高田優希《IoO -Internet of Objects-》 Courtesy of YAMAMOTO GENDAI Photo by Keizo Kioku
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これまでの歩みについて

──そもそもアートとの出会いはいつ・どのようなものだったのでしょうか?

 もともと、中学生のときから哲学や小説や社会学の本を読むことが好きで、高校生になると小説家になりたいと思っていました。しかし、親が厳しかったのでそういうことを言うと驚くだろうということがあり、また大阪の出身で東京に出たいという気持ちもありましたので、親を驚かせることなく上京するための手段として慶應義塾大学の経済学部に入りました。

 大学入学後、アートが面白いと思った最初のきっかけはアンディー・ウォーホルの《ブリロ・ボックス》(1964年)とマルセル・デュシャンの《泉》(1917年)でした。僕は美術大学の出身ではありませんし、どちらかというと書物から美術に入った人間です。本のなかには歴史上、名前が残っている人だけが存在=記述されているので、そこだけを見るとわかりやすく整理されているように思えます。しかし「アート」という言葉のうちには「これはアートではない」と認識されるプロセスが必要な条件として埋め込まれています。「アートは既存の枠組みや文脈に安住するのではなく、その文脈を破壊し更新しなければならない」という自己矛盾をアートの定義自体が孕んでいることに面白さを感じたんですね。

 その一方で、経済学部で学ぶことはある現象や対象について数学や言語を用いて説明しようとすることです。その説明が事実としてその現象や対象を説明できているのかどうかはわからないですが、少なくとも説明することが重要でした。もちろん、説明することで何かが「わかる」ことも重要なのかもしれません。しかし、分析したり説明することによって「わかる」こともあれば、矛盾を抱えたプロセスのただ中で愛する/されるといった只中で「わかる/わからない」といったレイヤーもあると思うのです。それこそ、哲学とはそもそも「知を愛すること」という意味でした。知識を収集したり分類することではなく、愛することが知ることの始まりにあると僕は思っているのです。

 アートの世界では、ただの洗濯用品のボックスを模しただけのもの(《ブリロ・ボックス》)や便器を裏返しただけのもの(《泉》)に大きな価値が生まれることがあります。なぜそのような価値が生まれるのかが「わからなかった」ことにワクワクしたということが、アートにのめり込むようになったきっかけでした。

──その「わからなかった」感覚は、先ほどグロイスを引用して述べていた「わかる/わからない」話とは異なる感覚ですか?

 厳密に言えば違うものだと思います。当時は何も知らなかったので、ただただ「すごい」と思ったんですけど、そのときワクワクさせられたことを振り返ると、ちゃんとその表面で「演出」させられていて、人が感動するようになっていたことを後々学んだんですね。それは歴史や教養の有無だけでなく、虚構の表面をリアリティをもって成立させるために何をしているかを知るというより実践的な側面の話です。それは「天才」などといった言葉で特別視することなく、彼らがやってきたことを可能なかぎりリバースエンジニアリングする作業です。僕は彼らがやっていたことは「虚構のリアリティ濃度を高めるために、虚構それ自体の前提を演出していくプロセス」であるととらえています。僕は印刷された表面を見ながらそこにある奥行きに驚いたわけですが、実はそれはつくらされた奥行きだったわけです。

──今のお話の流れから、今日聞いてみたかった質問につなげさせてください。今までの上妻さんの仕事を振り返ると、一方で鑑賞者は死んでみんな「制作者」になったと言い、近代的な枠組みの虚構性を指摘しながら、他方で自身は「展覧会」という近代的な枠組みに対して従順に振る舞っているように見えます。このことは「世界制作のプロトタイプ」展のときにも批判的に指摘されていたことでした。かたや、僕にとってそれはかつての「現代美術」を想起させる態度のようにも思えています。雑な言い方になりますが、かつての「現代美術」が理想的な状況について語りながらも、美術館や市場に回収されていったという歴史的な事実は、ある点において現代美術のプログラムの「失敗」を示していると言えます。そして、上妻さんの振る舞いがそのこととパラレルなものに映ったんです。しかし上妻さんがその事実を知らないことはないだろうから、そうした振る舞いの背後には(「批判的再検証」であれ「再演」であれ「反復」であれ)どのような意図が含まれているのかをぜひ聞いてみたい。

 ネタばらしになってしまうような鋭い質問ですね。これは……あぁ、まあ仕方ないか。「世界制作のプロトタイプ」展に関しては、そういった「既存の枠組みを使ってベタな仕方で展示すること」を問題視されるであろうことは予測できていたんです。それよりも僕が懸念していたのは、最初から「奇妙なこと」を「奇妙な仕方」で展開してしまうことによって、たんにイロモノの人に見られて終わってしまうということなんですね。

「世界制作のプロトタイプ展」会場風景

 見る人の側から「アヴァンギャルドな人たちだね」と既存の認識に収められてしまうと、ある種の「対決」が生じにくくなってしまいます。原田さんがおっしゃられたように「かつての『現代美術』が理想的な状況について語りながらも、美術館や市場に回収されていったという歴史的な事実」というのは、外側での理想は内側に回収されてしまうということを意味しているように思います。なので僕はちゃんと内側にいながら、どれだけ内側の制度とは違ったことをできるのかということに挑戦していきたいと思っていました。

 僕のラディカルな言動が好きな人が多いことは知っているので、教科書的なラディカルさが求められていることはわかっています。しかし、ギャラリーや美術館で展示をすることによって「これはだめなんだ」「これはいいんだ」ということに気が付いて、ネゴシエーションの技術が身に付いていく。そうやって積み上げていくことが、一見ラディカルに見えなくてももっともラディカルなことだと考えています。つまり、美術の歴史や制度と向き合っていくためには、実験精神を忘れないままに、内側で挑戦し続けることが必要であると考えています。

 今の自分は100の力のうち25くらいまでしか出せていないと感じているんですが、現在の時点で理想通りのことをやろうとしてしまうと一歩も足が踏み出なくなってしまいます。だって、本当に自分が理想としている規模で何かを展開していこうとすると、今すぐそれができるわけはないので。

 それって「100点取れない限りは試験には行かない」と言っているのと同じで、40点しか取れなくてもちゃんと模試には行って復習して点を上げていくみたいに、僕はたとえできなくても内側にいながら、違ったことを模索していきたいと思っていますね。

──そこだけを聞くと真っ当な受験生的発言に聞こえるというか、上妻さんのアグレッシブな印象とは違って面白いですね(笑)。

 普段は聞かれることもない質問なので、本当は秘密にしておくべきことを答えてしまいました(笑)。

「柔らかい身体」を獲得するために

──「展覧会」という既存の枠組みにおいて、「観客」の存在をどのように定義していますか?

 まず、「観客」とは近代的な制度や文脈や教養などを暗黙の前提とすることによって成立していた概念だったと考えています。つまり、そこでは単一的な美術史や美術制度が前提となっているのです。しかし、そうした前提が変容してしまった現代では「観客」に向けて展覧会をつくることは、存在しない理想化された「誰か」に向けてつくることに等しいことです。よくインターネットやスマホのせいで現代人は劣化していると主張する言説を見かけますが、その指摘が本来意味していることは、以前の「人間」概念を基準にした場合、今の「人間」という言葉が持っている概念はそれを満たさないという意味に過ぎません。つまり、概念の前提となる磁場が変化したということを意味しているだけなのです。

 現在は多様なパースペクティブが存在しています。多様な解釈枠組みも存在します。僕は展覧会場に在廊していたのでどういう人が来ていたか見ているのですが、どの界隈の人がどの作品の写真をSNSにアップするかだいたいわかってしまうんですね。Twitterのアーキテクチャ上、一度にアップできる写真は4枚に限定されている。ここに僕たちの無意識がアーキテクチャによって可視化されているのです。「どの作品も良かったよ」と意識上は述べていても、載せるために選ばれた写真は4枚なので。

 つまり、それぞれの来場者はそれぞれの文脈や専門性を持っており、それに関連する解釈枠組みを持っているということです。そしてその無意識をアーキテクチャは可視化している。しかし問題は、先ほど申し上げたように、僕が好む作家や作品は既存のカテゴリーで解釈するとその面白さが汲み尽くせないという点にあります。例えば、永田康祐くんの作品はこれまで比較的メディア・アートやそれに付随する界隈の人たちが接してきた作品です。しかし僕の考えでは、印象派やキュビスム、ポップ・アートが好きな人たちが観ても楽しめる作品だと思いますし、そのように複数の枠組みを移動しながら解釈していくことでより豊かに開かれていくと考えています。そしてその開かれ方は、ステイトメントで指示するという仕方だけでなく、より具体的な方法論でなければ達成できないものであると考えています。

 「人間」という言葉は同じであっても、「人間」という概念の意味内容は、そのときどきの時代背景や技術的環境によって変化するわけです。しかし、過去の概念をもとに人々は「変化」に対して「劣化」という価値判断をしてしまいます。既存の概念を正しいものとして基準に添えた途端、「変化」は「劣化」を意味してしまいます。あるいは「日本特殊論」のようにねじ曲がった形での「肯定」になります。しかし、僕は価値判断の手前に留まって、現代におけるある言葉(今回の場合は「鑑賞者」)がどの様な意味論的変化を遂げてきたのかを捉えたいと思っています。繰り返しますが、僕は「鑑賞者」という概念を頼りに展覧会を設計することはできないと考えています。しかし、物理的な意味での「お客さん」はいる。僕はそれを面白い状況として捉えています。今展覧会を見にくる人はどのような概念的な枠組みを持って見にきているのかを考えなければならない。そこで僕は「制作者」という概念を使って考えています。それは肯定も否定もしていないのです。

──「制作者」という概念について詳しく教えてください。

 僕が提唱する「制作者」という概念は、複数の意味を持っています。

 第1に、「制作者」は既存の文脈にとらわれて既存の意味の領域で解釈するのではなく、色やかたち、濃淡や機能、作家の制作プロセスなどをリバースエンジニアリングすることによって、自らの「制作する身体」を組み替えるために作品を素材として扱う人々を指しています。つまり、たんに意味や記号や刺激を消費するのではなく、制作する身体の素材としてブリコラージュするためにそれらと真摯に関係する人々のことを指しています。

 第2に、先ほど僕は芸術作品とは「モノ」と「見る人」の間に立ち上がるものであると指摘しました。つまり、芸術作品は制度や文脈に支えられて芸術作品になるわけではなく、見る人がそのモノの余剰と関係することによって初めてモノが芸術作品というステータスを得るのだと考えています。個人がつくったモノがいきなり芸術作品という公共的なカテゴリーに分類されるのではなく、つまり一人称と三人称が無媒介に接続されるのではなく、あなたという二人称がモノとそれぞれの仕方で真摯に向き合うそのプロセス、ネットワークが小さな三人称(芸術作品というステータス)を立ち上げるものだと考えています。それを可能にする二人称的な「主体とも客体とも言えない存在」、そういう人たちを「制作者」と呼んでいます。

「世界制作のプロトタイプ展」会場風景

──展覧会という物理的な制約のある空間において、どのようにして私たちは「制作者」になりえると考えますか?

 「作品を見る」ことや「展覧会に行く」ことは、ある種独特の時間を経験することである一方で、本当にその時間を体験するためにはその都度身体の振る舞いを切り替える必要性があります。

 例えば、東京から沖縄に旅行するときにあまりガチガチに予定を組んでしまうと、普段仕事をしているモードから切り替わることにならないので、本当の意味で沖縄を「体験した」ことにはなりません。ではなく、一週間くらい近所の人たちとだらだら喋って泡盛を飲んだりしながら過ごすことによって、「沖縄の時間の流れってこういう感じなんだ」と身体が理解するようになる。そのときに初めて「体験できた=身体が行った」ことになると思うんです。

 それを実感する上で「観客」という枠組みだとユニヴァーサルで「正しい振る舞い」に回収されてしまうので、「違った仕方」で展開していく振る舞いに合わせることができない。「硬い身体」になってしまうんですよね。そうすると本当の意味で多様性を受け入れる身体にはならないと考えています。

──どのようにして身体を「柔らかく」するのでしょう?

 この展覧会をつくっていく過程でいろいろな人たちと話したり文章を書いたり議論したりしたんですね。その過程で「様々な振る舞いができる可塑的な身体性」を持っていることと「言葉の上での多様性」は全然違うことなんだなと実感しました。同様の問題系として、ポリティカル・コレクトネスの過剰化は様々な仕方で問題を引き起こしていますが、僕にとっては「身体的なリアリティなき言語上の多様性がフェイクであると伝わってしまうという問題」として受け取っています。例えば、名家出身のエリート政治家がいくらリベラルな発言をしても、「お前なんかに俺たちの辛さを理解できるわけない」と言われてしまうことなどは象徴的です。もちろん身体的リアリティがなければ言語上の多様性を容認できないのだとすると、それは非常に大きな問題です。なぜなら、僕たちが自分自身の有限性を受け入れた途端、すべての身体を経験することなど不可能になるからです。収入の格差や育ちの差異がある場合、共感不可能であると即座に認定してしまうことは社会の分断を激烈にもたらすことになります。

 さらに言えば、例えば僕はアジア系なので黒人や白人の人々について、言葉の上で理解することはできてもその身体になりきることはできないわけですよね。国籍や地域によって育った環境や歴史や文化が異なるわけですから、習慣や伝統も異なります。つまり、言葉でいくら「共感するよ、理解できるよ」と言ったとしても、現実に生きているなかでその先にある身体を生み出した環境まで到達することはできません。

 僕は「自由」や「平等」という理念を近代が生み出した護るべき達成であると考えています。しかし、僕自身が中学生くらいのときに190センチくらいある屈強な黒人男性を前にして、「差別」という気持ちとは関係なく身体が「怖いな」と思ってしまった経験もリアルでした。でもそういう人と長く時間を共にすること、近くにいることを通じて「身体はでかいけど気は弱いし自分と一緒じゃん」とか、「ここは同じだけどこういうところは違うな」ということがわかってくる。そして相手も自分について「あれこれ」考えたり感じたりしていることがわかり、お互いがお互いに対して考えや不満を持っていたこともわかります。

 上記のプロセスを意識的に言語化して、腹を割って対話すること。そうすれば「人それぞれ違う」とか「多様性を受け入れよう」とかいうスローガン的な理解ではなく、一人ひとりの差異を身体と身体の振る舞いを通して理解していくプロセスによって「他者」を受け入れられることを幾度となく経験しています。僕には「みんな」という概念を更新できるほどの力はありませんし、これからも持つことはないでしょう。なので、僕のアプローチは二人称的な小さなものです。しかし、少なくとも近くにいる(君やあなたと呼ぶべき)二人称的な誰かについては相互に生成していけるという希望を持っています。遠くの、多くの、抽象化された誰かを変える力はなくても。身体を柔らかくするプロセスはそれと似ているように思います。

──「制作者」という概念は、カテゴリーの硬化を導いてしまう「鑑賞者」という概念に対置されているのですね。

 もはや存在していない「鑑賞者」という枠組みに頼ることで、「鑑賞者」は劣化しているなどと嘆いたり批判したりすることよりも、現代社会における概念的な枠組みをつくり、血肉化したいと思っています。もちろん、来場者がどのような概念で世界を把握しているのかの全貌は僕には分かりません。しかし事実上「いる」。それはとても面白い状況であると僕は思いました。なのでその状況に対するアプローチとして、今回は「指示書」を設置することにしたのです。

 それによって、来場した人に「鑑賞者」や「制作者」という枠組みをそれぞれ意識していただけていたなら嬉しいです。一人ひとりが自らの枠組みを自覚し、それらを自由に切り替えることができるようになればいいなと思っています。

「Malformed Objects」展で配布された来場者への指示書

「キュレーション」の問題

──この展覧会を訪れた人は「指示書を読まない人」としての「通行人」、「指示書に従わない人」としての「観察者」、「指示書に従う人」としての「制作者」の三者に分けられることになっています。なかでも「制作者」は能動的な行動を取るべく「演出」の影響下に置かれ、例えば「電子機器を開くこと」が禁じられたりすることによって没入の契機が与えられます。僕が気になっているのは、ここで「指示書に従う人は「制作者」という役を演じる」とされていることです。つまり、この没入は「演じられたもの」なのでしょうか? それとも「本当の」没入が想定されているのでしょうか?

 少し前の話とも重なりますが、僕は高校生の頃、小説家になりたかったんです。そのとき、「今・ここ」とは違う物語のなかに没入することの楽しみを享受していました。しかし、今はフィクションについて別の視点からも考えるようになっています。お金も一つの虚構だし、政府も一つの虚構だし、日常も一つの虚構であって、それらは小説や映画と同じなのではないかと。それではなにが異なるのか。それは、虚構がもつ実在性(リアリティ)の濃度ではないかと考えています。

指示書に記載された登場人物

──「実在性の濃度」とはなんでしょう?

 小説は現実と虚構という二項対立を用いることで、現実という虚構の安定性を揺るがせない構造になっています。つまり、本を閉じれば現実世界に戻れると、建前上はそうなっているのです。もちろん、真のテキストの快楽は現実という虚構の安定性を揺るがしうるものでもあるのですが。近代国家もベネディクト・アンダーソンが指摘するように、「想像の共同体」なわけです。政府は制度を整え、教育施設、国語、伝統、法をつくりだすことで、近代国家という虚構が持つリアリティの濃度を高めたのです。それは共有される虚構として機能するようになりました。

 同じように、虚構を生活のレベルで機能させるためには非常に多くの労力が必要になります。法定通貨であれば国家の安定性や歴史の蓄積が信頼を担保するだろうし、ビットコインであればデジタル暗号を読解されないためのセキュリティ技術であったり、P2Pでのトランザクションを成立させるブロックチェーンの設計が信頼のプロトコルになります。近代国家は想像の共同体なのだからリアルではないという主張は間違っています。なぜなら仮に他のシステムを制度や法からつくり直し、伝統を再創造し、人々の習慣を一から構築し直したとしても、それもまた一つの虚構なのですから。様々な仕方がある、それだけのことなのです。

 僕は日常のなかで虚構の実在性を成立させている構造を学習し、異なる仕方で組織化し、制度を構築することで、別の虚構にリアリティを持たせることができると思っています。僕たちは有限性のなかにいて、例えばそれは「ヒト」という動物の生物的限界かもしれないし、空間を成立させているモノの物理的制約かもしれないのですが、そういった前提条件を学び、制度の継続可能性や冗長性を生み出している前提について学ぶことから、異なる仕方への道を歩めるのではないかと考えています。つまり、「一つの現実と娯楽としての複数の虚構」ではなく「複数の虚構と実在性」という図式へと移行するためには、フィクションを現実に疲れた人々の逃避場として提示するのではなく、すべてはフィクションであるということ、さらには日常や現実と呼ばれている「現在のフィクション」とは異なる仕方で継続可能な虚構を制作しなければならないと思っています。

 繰り返しになりますが、重要なのは、虚構に実在性を血肉化させるためには、人間やモノを成立させている前提条件を十二分に学ぶ必要があるということです。「貨幣制度は格差を生み出すから所有をやめよう」とか「家族制度には欠陥があるから結婚制度を廃止しよう」「これからはシェアや地域での教育だ」などといった主張はいつの時代も見られますが、なかなかうまくいきません。それこそ、そういった主張はプラトンの書物のなかにも見られるのです。人間は所有という欲望を持っているという前提条件を無視して理想を語るだけでは継続可能な虚構を制作することはできません。異なる虚構を継続可能にすることは芸術だけでなく建築やビジネスのような様々な領域とも関わる重要な問題だと思っています。現状の「所有」や「契約」の概念が保証していることから目を背けて、都合の良いことを言うだけでは、虚構は継続可能性を持ち得ません。現状の制度や概念がいかに人々の欲望と不安と複雑に絡まっているのかという問いと向きあい、良くも悪くも継続可能な仕方で持続している仕方を学ばなければならないのです。日常という虚構を成立させているのは単純なロジックで説明できないものであり、それに対置しうる虚構を受肉することはとても難しいことだと思っています。

 僕たちは普段から虚構の上で演技することで社会生活を営んでいます。社会性とは演技という概念から切っても切り離せません。今回、僕が行ったことは一つの虚構をつくることです。「別の虚構」という建前の上で異なる振る舞いをつくることです。しかしたんに言語のレベルだけでなく、その概念を「演じる」ことですでに身に付いている振る舞いの上に血肉化したいと考えています。フィクショナルなものの力は社会のなかでもっとも強く作用しています。そして僕はそれに対して、異なるフィクション=虚構によって抵抗できないかと考えました。もちろん、それを継続可能な仕方で生み出すことは並大抵のことではなく、今回それが成功したとは言えません。しかし、これからも取り組んでいきたいと思っています。

──他方で、それは「演出」であることを自ら証言しているという点で、そこにはフィクションでない「外部」が存在していることを示唆しているように思えます。例えば僕の場合、矛盾した言い方をしますが、「正しく」制作者であるためには、その指示に従いながらも能動的に指示を逸脱するべきだと思いました。制作者からのこのような反応をキュレーターとしては歓迎しますか?

 虚構という問いの外側に真の現実があるという考え方を僕はしていません。ある虚構の外側には別の虚構があるだけです。さらに「正しく」という言葉も文字通りの意味で使うことを僕は好みません。もし僕が「正しく」という言葉で言えることがあるとするなら、それは「それぞれの仕方で」とか「別の」ということを意味しています。また「演出」という言葉も、「演出」があり「現実」があるという意味ではなく、ある「演出」があり「別の演出」があるということを意味しています。

──それはもちろんわかっています。僕が聞きたいのは後半の内容で、「演出」や「演技」という概念が「演じられていない素の状態」という観念と言葉の水面下で一蓮托生であるがゆえに、想定されながらも直接触れることのできないカッコ付きの「現実」が影のように付きまとってしまう。それをどのようにして回避するのかということです。

 「指示書に書かれていることは現代美術好きなら自然にやっていることで、わざわざ指示されるような内容ではない」とSNSに書き込んでいた人がいたのですが、それを見て僕の意図があまり伝わらなかったのかなあと思いました(もちろん、伝えきれなかった僕に問題があるのでしょうが)。僕は「自然にやっている」とか「無意識的に」とか「普通に」とかいう言葉が持つ危うさに不安を感じています。なぜなら、「自由に」とか「自然に」などと言い、これまでの振る舞いを「無意識的に」行わせることはその振る舞いが無数の振る舞いの一つであることを忘れさせる可能性があるからです。僕はその「自然に」とか「無意識的に」と人々が呼んでいる振る舞いに、こちら側で指示書という「型」を与えることで、まずは「人工的に」「意識的に」「特異的に」してみること、そうして意識化することで生じる抽象空間での作品群の関係性の発見、あるいは操作可能性を生み出し、異なる仕方へと開かれることを目指しています。

 そのとき僕は、日本の茶道や武道など「道」において大切にされてきた「守破離」という伝統は重要になると考えています。まずは「型」を与えること、そして「守」「破」「離」させること。そうすることで、それぞれの振る舞いへと開かれるのではないかと考えました。事実、展覧会期間中に様々な人が自発的にレビューを書いてくださったのですが、そこには作品と作品、作品とステイトメントの関係性について、指示書以上のことが書かれており、嬉しい驚きがありました。なので、原田さんがそう思ってくれたのなら、僕の意図が原田さんには伝わったようでとても嬉しいです。

──無難なキュレーションは、来場者を「演出」せずに自由に見てもらいたいと表明します。あるいは実際に「演出」していたとしても、そのことは透明化される傾向にあります。そういう意味で僕は「黒子」や「裏方」という言葉を模範的に用いる態度が嫌いです。しかし、本展のスタンスはその逆だと思いました。上妻さんはキュレーターとして、作家や来場者とどのような関係を結びたいと考えていますか?

 重要な質問ですね。僕にとって「演出しない」ということは、「演出」を社会の常識や習慣に任せるということを意味しています。なので「演出」しないキュレーションというのは僕にとってはキュレーションではないということになるのです。ラディカルだと言われたとしても、僕にとってはそういうものです。それは僕にとって自らの理論的な帰結でもあります。

 作家とどのような関係を結びたいかという質問ですが、僕は作家に対してステイトメントや対話のなかで指示をしていきながら、しかし、それが直接的な影響(強制)ではなく間接的な相互生成であるべきだと考えています。今回指示書をつくるにあたって、展示作家である三野新くんの過去の演出作品で使用した観客指示書などを見せてもらい、それを熟読した上で対話し、展覧会をつくり上げていったという経緯がありました。作家が一方的に僕の影響を受けているのではなく、僕自身も作家との対話のなかでプランをつくり上げていったのです。

 また来場者との関係ですが、僕は作家、空間だけでなく来場者にも「演出」をしたいと思っていました。今回であれば「鑑賞者」「制作者」「通行人」のような仕方で介入しています。

──本展は副題で「無数の異なる身体のためのブリコラージュ」と題されています。そのタイトルを知った上で展覧会を見て、正直なところ違和感を覚えました。確かに指示書によって「別の身体」が得られた感覚はありましたが、それは決して「無数の身体」ではなく「別の/一個の身体」であるように感じられたからです。

 非常に重要な指摘です。たしかに僕たちの身体は一つであり、無数の身体は論理的可能性としては存在しますが、現実的には存在しません。なぜなら僕たちは有限な存在者だからです。しかし、ここで問題にしていることは我々の身体が社会のなかで習慣化され、規格化され、標準化されているということです。思い返してみると、僕たちは旅行に行こうが、展覧会に行こうが、ファストファッションに身を包み、ファストフードを食べ、同じような習慣を繰り返すことに無意識のうちに安心を覚えるのです。それは日々を安定して送るためには必要不可欠なことでもあります。今回の僕の狙いは「一つの身体のなかに無数の身体をつくる」ということではなく、「抽象化された一つの原型としての標準的身体から離れて各々の身体を制作する」ということなのです。しかしながら、もし仮にそれぞれが単独的な身体を「生成」することができれば、社会には標準化された一つの身体ではなく無数の身体があるということになります。社会における一つの標準化された身体、原型としての基準としての身体ではなく、各々が単独的な特異的な一つの身体になるのです。それは同質であることからくる抑圧や禁止ではなく、それぞれの差異への、つまり他者への想像力を切り開くという意図もあるのです。

──そこで最初のカテゴライズの問題とつながってくるのですね。それはそれぞれが「奇形化すること」と換言できるかもしれません。そうした意図がどのような実践によって実現されたのかを知りたいと思います。この展覧会はスタティックな「展示」だけに留まらず、ワークショップなどの「上演」がひっきりなしに行われたことも大きな特徴の一つでした。そして、むしろこうした上演の方が「特異的な身体」の生成に向いているように思われます。この点についてはいかがでしょうか?

 それぞれがそれぞれの身体を作るということを目指しているので、もしそのことに成功すれば僕は必要なくなるでしょう。それぞれがそれぞれの振る舞いで生きていけばいいのですから、僕のような役割の人間はその時もはや必要ではない。しかしながら、僕にはまだ正解が分かっていない。どうすればそういうプラクティスが行えるのか分からないのです。だからこそ、他の様々な方法を模索しています。

 例えば会期中に開催したワークショップ(*1)では、参加者が各々の指示書を書き、それを僕のテーマである「二人称」ということとつなぎ合わせ、ランダムで選ばれたペアを組んでもらいました。その上で指示書を交換し、お互いにお互いの振る舞いを演出しあってもらったんです。

ワークショップの様子

 それぞれがそれぞれの指示書を書くと、まさに私小説のようなものができあがります。私小説とは近代的な自我を記述したものです。それを演じることは無意識の振る舞いを意識化し、操作可能にするという意味でも役立つかもしれません。あるいは逆に、自分とはこういう振る舞いをする人間なのだと現時点でアイデンティファイしてしまい、逆に近代的な人間観を強化してしまうことにつながるかもしれません。よって、ワークショップではそれぞれがそれぞれの現時点での「私の記述」を演じるのではなく、それぞれの現時点での身体を交換するという方法を取りました。

 その目的は、第1に自らの現時点の記述を他者に振り付けることを通じて、自分の振る舞いを可読化した上で、その操作可能性を意識化することです。第2に、自らの振る舞いを意識化しつつ、他者の振る舞いを自らの身体に振り付けらることによって、他者の身体を部分的に取り入れることができるようになります。それはこれまで反復してきた習慣とは異なる振る舞いを「ある建前」という舞台の上で演じることで、別の身体に対する潜在的な可能性を開くことに繋がります。言語上の建前から身体上の建前へと移行することを目指したのです。

 これは言葉にすると容易なことに思われるかもしれませんが、とても難しいことです。僕たちは無意識のうちに同じような習慣を繰り返すことに安心感を覚えます。他の習慣を取り入れるということを、一人でいることから導き出すことはとても難しいことなのです。そこで「一人称―二人称の交換」という方法論を取ることにしました。今回のワークショップやイベントを行ったことで、かなりの発見があったのですが、一方で「一人称―二人称の交換」を従来の方法で達成することは非常に難しいということにも気が付くことができました。

 二人称的な誰かと「近くにいること」や「共にいること」は、僕たちが友情や愛情を通じて日常的に経験していることです。しかし、それを人為的に行うことは非常に難しい。これまで現実とされている虚構に対して制作的介入を行うことであぶり出される虚構性について語ってきましたが、「近傍生」や「共同性」を炙りだすことは困難なのです。そこに「偶然性」という言葉が持っている深みを感じました。哲学者や脳科学者が言う「偶然性」とは違ったレベルの、より身体に受肉化する仕方での「偶然性」があるのです。しかも、それこそ「偶然」という仕方で僕たちが普通に経験していることでもあります。しかし、それを意識的に「偶然性」と名付けるや否や、手のひらからこぼれ落ちてしまうもののようにも見えます。恋人同士が「どうして私なの?どうして僕なの?」と問わずにはいられないことにも似ているように思います。説明、意味、理由から零れ落ちる「偶然」という本質が僕たちの根底にあるように思われます。僕はそれがなんなのか、今は考えている途中です。

ワークショップの様子。三野新が指示書を戯曲ととらえ、それを上演するために改変/改編し上演台本として制作した

──「偶然性」というタームの導入によって、「奇形的なもの」、近代のカテゴリーの問題、「無数の身体」の獲得など、様々な話題が繋がってきたように思います。そのようにいくつものアイデアを経由しながら、最終的に上妻さんが実践したい振る舞いはどのようなものですか?

 僕にとって本質的なことは「いかにして世界を変容させるか」ということです。それを可能にするのは政治的な領域なのか経済的な領域なのか、そんなことは僕にはわかりません。世界を変えたいのなら、政治家になれとか金持ちになれとか言ってくる人もいます。でも、僕にとって世界を変えるとは、社会に制作という仕方で関わりながら、概念をつくり、それを血肉化するための方法論をつくり出し、それを実践する精神力と体力を保つことなのです。「そんな夢みたいなこと言うな、甘っちょろい」とよく言われます。たしかにそうかもしれませんが、僕には「僕は僕の仕方で生きていくよ」としか言えません。僕はなんでもできる人間ではなく、僕の仕方でしかできない不器用な人間なのです。