これまでの歩みについて
──そもそもアートとの出会いはいつ・どのようなものだったのでしょうか?
もともと、中学生のときから哲学や小説や社会学の本を読むことが好きで、高校生になると小説家になりたいと思っていました。しかし、親が厳しかったのでそういうことを言うと驚くだろうということがあり、また大阪の出身で東京に出たいという気持ちもありましたので、親を驚かせることなく上京するための手段として慶應義塾大学の経済学部に入りました。
大学入学後、アートが面白いと思った最初のきっかけはアンディー・ウォーホルの《ブリロ・ボックス》(1964年)とマルセル・デュシャンの《泉》(1917年)でした。僕は美術大学の出身ではありませんし、どちらかというと書物から美術に入った人間です。本のなかには歴史上、名前が残っている人だけが存在=記述されているので、そこだけを見るとわかりやすく整理されているように思えます。しかし「アート」という言葉のうちには「これはアートではない」と認識されるプロセスが必要な条件として埋め込まれています。「アートは既存の枠組みや文脈に安住するのではなく、その文脈を破壊し更新しなければならない」という自己矛盾をアートの定義自体が孕んでいることに面白さを感じたんですね。
その一方で、経済学部で学ぶことはある現象や対象について数学や言語を用いて説明しようとすることです。その説明が事実としてその現象や対象を説明できているのかどうかはわからないですが、少なくとも説明することが重要でした。もちろん、説明することで何かが「わかる」ことも重要なのかもしれません。しかし、分析したり説明することによって「わかる」こともあれば、矛盾を抱えたプロセスのただ中で愛する/されるといった只中で「わかる/わからない」といったレイヤーもあると思うのです。それこそ、哲学とはそもそも「知を愛すること」という意味でした。知識を収集したり分類することではなく、愛することが知ることの始まりにあると僕は思っているのです。
アートの世界では、ただの洗濯用品のボックスを模しただけのもの(《ブリロ・ボックス》)や便器を裏返しただけのもの(《泉》)に大きな価値が生まれることがあります。なぜそのような価値が生まれるのかが「わからなかった」ことにワクワクしたということが、アートにのめり込むようになったきっかけでした。
──その「わからなかった」感覚は、先ほどグロイスを引用して述べていた「わかる/わからない」話とは異なる感覚ですか?
厳密に言えば違うものだと思います。当時は何も知らなかったので、ただただ「すごい」と思ったんですけど、そのときワクワクさせられたことを振り返ると、ちゃんとその表面で「演出」させられていて、人が感動するようになっていたことを後々学んだんですね。それは歴史や教養の有無だけでなく、虚構の表面をリアリティをもって成立させるために何をしているかを知るというより実践的な側面の話です。それは「天才」などといった言葉で特別視することなく、彼らがやってきたことを可能なかぎりリバースエンジニアリングする作業です。僕は彼らがやっていたことは「虚構のリアリティ濃度を高めるために、虚構それ自体の前提を演出していくプロセス」であるととらえています。僕は印刷された表面を見ながらそこにある奥行きに驚いたわけですが、実はそれはつくらされた奥行きだったわけです。
──今のお話の流れから、今日聞いてみたかった質問につなげさせてください。今までの上妻さんの仕事を振り返ると、一方で鑑賞者は死んでみんな「制作者」になったと言い、近代的な枠組みの虚構性を指摘しながら、他方で自身は「展覧会」という近代的な枠組みに対して従順に振る舞っているように見えます。このことは「世界制作のプロトタイプ」展のときにも批判的に指摘されていたことでした。かたや、僕にとってそれはかつての「現代美術」を想起させる態度のようにも思えています。雑な言い方になりますが、かつての「現代美術」が理想的な状況について語りながらも、美術館や市場に回収されていったという歴史的な事実は、ある点において現代美術のプログラムの「失敗」を示していると言えます。そして、上妻さんの振る舞いがそのこととパラレルなものに映ったんです。しかし上妻さんがその事実を知らないことはないだろうから、そうした振る舞いの背後には(「批判的再検証」であれ「再演」であれ「反復」であれ)どのような意図が含まれているのかをぜひ聞いてみたい。
ネタばらしになってしまうような鋭い質問ですね。これは……あぁ、まあ仕方ないか。「世界制作のプロトタイプ」展に関しては、そういった「既存の枠組みを使ってベタな仕方で展示すること」を問題視されるであろうことは予測できていたんです。それよりも僕が懸念していたのは、最初から「奇妙なこと」を「奇妙な仕方」で展開してしまうことによって、たんにイロモノの人に見られて終わってしまうということなんですね。
見る人の側から「アヴァンギャルドな人たちだね」と既存の認識に収められてしまうと、ある種の「対決」が生じにくくなってしまいます。原田さんがおっしゃられたように「かつての『現代美術』が理想的な状況について語りながらも、美術館や市場に回収されていったという歴史的な事実」というのは、外側での理想は内側に回収されてしまうということを意味しているように思います。なので僕はちゃんと内側にいながら、どれだけ内側の制度とは違ったことをできるのかということに挑戦していきたいと思っていました。
僕のラディカルな言動が好きな人が多いことは知っているので、教科書的なラディカルさが求められていることはわかっています。しかし、ギャラリーや美術館で展示をすることによって「これはだめなんだ」「これはいいんだ」ということに気が付いて、ネゴシエーションの技術が身に付いていく。そうやって積み上げていくことが、一見ラディカルに見えなくてももっともラディカルなことだと考えています。つまり、美術の歴史や制度と向き合っていくためには、実験精神を忘れないままに、内側で挑戦し続けることが必要であると考えています。
今の自分は100の力のうち25くらいまでしか出せていないと感じているんですが、現在の時点で理想通りのことをやろうとしてしまうと一歩も足が踏み出なくなってしまいます。だって、本当に自分が理想としている規模で何かを展開していこうとすると、今すぐそれができるわけはないので。
それって「100点取れない限りは試験には行かない」と言っているのと同じで、40点しか取れなくてもちゃんと模試には行って復習して点を上げていくみたいに、僕はたとえできなくても内側にいながら、違ったことを模索していきたいと思っていますね。
──そこだけを聞くと真っ当な受験生的発言に聞こえるというか、上妻さんのアグレッシブな印象とは違って面白いですね(笑)。
普段は聞かれることもない質問なので、本当は秘密にしておくべきことを答えてしまいました(笑)。
「柔らかい身体」を獲得するために
──「展覧会」という既存の枠組みにおいて、「観客」の存在をどのように定義していますか?
まず、「観客」とは近代的な制度や文脈や教養などを暗黙の前提とすることによって成立していた概念だったと考えています。つまり、そこでは単一的な美術史や美術制度が前提となっているのです。しかし、そうした前提が変容してしまった現代では「観客」に向けて展覧会をつくることは、存在しない理想化された「誰か」に向けてつくることに等しいことです。よくインターネットやスマホのせいで現代人は劣化していると主張する言説を見かけますが、その指摘が本来意味していることは、以前の「人間」概念を基準にした場合、今の「人間」という言葉が持っている概念はそれを満たさないという意味に過ぎません。つまり、概念の前提となる磁場が変化したということを意味しているだけなのです。
現在は多様なパースペクティブが存在しています。多様な解釈枠組みも存在します。僕は展覧会場に在廊していたのでどういう人が来ていたか見ているのですが、どの界隈の人がどの作品の写真をSNSにアップするかだいたいわかってしまうんですね。Twitterのアーキテクチャ上、一度にアップできる写真は4枚に限定されている。ここに僕たちの無意識がアーキテクチャによって可視化されているのです。「どの作品も良かったよ」と意識上は述べていても、載せるために選ばれた写真は4枚なので。
つまり、それぞれの来場者はそれぞれの文脈や専門性を持っており、それに関連する解釈枠組みを持っているということです。そしてその無意識をアーキテクチャは可視化している。しかし問題は、先ほど申し上げたように、僕が好む作家や作品は既存のカテゴリーで解釈するとその面白さが汲み尽くせないという点にあります。例えば、永田康祐くんの作品はこれまで比較的メディア・アートやそれに付随する界隈の人たちが接してきた作品です。しかし僕の考えでは、印象派やキュビスム、ポップ・アートが好きな人たちが観ても楽しめる作品だと思いますし、そのように複数の枠組みを移動しながら解釈していくことでより豊かに開かれていくと考えています。そしてその開かれ方は、ステイトメントで指示するという仕方だけでなく、より具体的な方法論でなければ達成できないものであると考えています。
「人間」という言葉は同じであっても、「人間」という概念の意味内容は、そのときどきの時代背景や技術的環境によって変化するわけです。しかし、過去の概念をもとに人々は「変化」に対して「劣化」という価値判断をしてしまいます。既存の概念を正しいものとして基準に添えた途端、「変化」は「劣化」を意味してしまいます。あるいは「日本特殊論」のようにねじ曲がった形での「肯定」になります。しかし、僕は価値判断の手前に留まって、現代におけるある言葉(今回の場合は「鑑賞者」)がどの様な意味論的変化を遂げてきたのかを捉えたいと思っています。繰り返しますが、僕は「鑑賞者」という概念を頼りに展覧会を設計することはできないと考えています。しかし、物理的な意味での「お客さん」はいる。僕はそれを面白い状況として捉えています。今展覧会を見にくる人はどのような概念的な枠組みを持って見にきているのかを考えなければならない。そこで僕は「制作者」という概念を使って考えています。それは肯定も否定もしていないのです。
──「制作者」という概念について詳しく教えてください。
僕が提唱する「制作者」という概念は、複数の意味を持っています。
第1に、「制作者」は既存の文脈にとらわれて既存の意味の領域で解釈するのではなく、色やかたち、濃淡や機能、作家の制作プロセスなどをリバースエンジニアリングすることによって、自らの「制作する身体」を組み替えるために作品を素材として扱う人々を指しています。つまり、たんに意味や記号や刺激を消費するのではなく、制作する身体の素材としてブリコラージュするためにそれらと真摯に関係する人々のことを指しています。
第2に、先ほど僕は芸術作品とは「モノ」と「見る人」の間に立ち上がるものであると指摘しました。つまり、芸術作品は制度や文脈に支えられて芸術作品になるわけではなく、見る人がそのモノの余剰と関係することによって初めてモノが芸術作品というステータスを得るのだと考えています。個人がつくったモノがいきなり芸術作品という公共的なカテゴリーに分類されるのではなく、つまり一人称と三人称が無媒介に接続されるのではなく、あなたという二人称がモノとそれぞれの仕方で真摯に向き合うそのプロセス、ネットワークが小さな三人称(芸術作品というステータス)を立ち上げるものだと考えています。それを可能にする二人称的な「主体とも客体とも言えない存在」、そういう人たちを「制作者」と呼んでいます。
──展覧会という物理的な制約のある空間において、どのようにして私たちは「制作者」になりえると考えますか?
「作品を見る」ことや「展覧会に行く」ことは、ある種独特の時間を経験することである一方で、本当にその時間を体験するためにはその都度身体の振る舞いを切り替える必要性があります。
例えば、東京から沖縄に旅行するときにあまりガチガチに予定を組んでしまうと、普段仕事をしているモードから切り替わることにならないので、本当の意味で沖縄を「体験した」ことにはなりません。ではなく、一週間くらい近所の人たちとだらだら喋って泡盛を飲んだりしながら過ごすことによって、「沖縄の時間の流れってこういう感じなんだ」と身体が理解するようになる。そのときに初めて「体験できた=身体が行った」ことになると思うんです。
それを実感する上で「観客」という枠組みだとユニヴァーサルで「正しい振る舞い」に回収されてしまうので、「違った仕方」で展開していく振る舞いに合わせることができない。「硬い身体」になってしまうんですよね。そうすると本当の意味で多様性を受け入れる身体にはならないと考えています。
──どのようにして身体を「柔らかく」するのでしょう?
この展覧会をつくっていく過程でいろいろな人たちと話したり文章を書いたり議論したりしたんですね。その過程で「様々な振る舞いができる可塑的な身体性」を持っていることと「言葉の上での多様性」は全然違うことなんだなと実感しました。同様の問題系として、ポリティカル・コレクトネスの過剰化は様々な仕方で問題を引き起こしていますが、僕にとっては「身体的なリアリティなき言語上の多様性がフェイクであると伝わってしまうという問題」として受け取っています。例えば、名家出身のエリート政治家がいくらリベラルな発言をしても、「お前なんかに俺たちの辛さを理解できるわけない」と言われてしまうことなどは象徴的です。もちろん身体的リアリティがなければ言語上の多様性を容認できないのだとすると、それは非常に大きな問題です。なぜなら、僕たちが自分自身の有限性を受け入れた途端、すべての身体を経験することなど不可能になるからです。収入の格差や育ちの差異がある場合、共感不可能であると即座に認定してしまうことは社会の分断を激烈にもたらすことになります。
さらに言えば、例えば僕はアジア系なので黒人や白人の人々について、言葉の上で理解することはできてもその身体になりきることはできないわけですよね。国籍や地域によって育った環境や歴史や文化が異なるわけですから、習慣や伝統も異なります。つまり、言葉でいくら「共感するよ、理解できるよ」と言ったとしても、現実に生きているなかでその先にある身体を生み出した環境まで到達することはできません。
僕は「自由」や「平等」という理念を近代が生み出した護るべき達成であると考えています。しかし、僕自身が中学生くらいのときに190センチくらいある屈強な黒人男性を前にして、「差別」という気持ちとは関係なく身体が「怖いな」と思ってしまった経験もリアルでした。でもそういう人と長く時間を共にすること、近くにいることを通じて「身体はでかいけど気は弱いし自分と一緒じゃん」とか、「ここは同じだけどこういうところは違うな」ということがわかってくる。そして相手も自分について「あれこれ」考えたり感じたりしていることがわかり、お互いがお互いに対して考えや不満を持っていたこともわかります。
上記のプロセスを意識的に言語化して、腹を割って対話すること。そうすれば「人それぞれ違う」とか「多様性を受け入れよう」とかいうスローガン的な理解ではなく、一人ひとりの差異を身体と身体の振る舞いを通して理解していくプロセスによって「他者」を受け入れられることを幾度となく経験しています。僕には「みんな」という概念を更新できるほどの力はありませんし、これからも持つことはないでしょう。なので、僕のアプローチは二人称的な小さなものです。しかし、少なくとも近くにいる(君やあなたと呼ぶべき)二人称的な誰かについては相互に生成していけるという希望を持っています。遠くの、多くの、抽象化された誰かを変える力はなくても。身体を柔らかくするプロセスはそれと似ているように思います。
──「制作者」という概念は、カテゴリーの硬化を導いてしまう「鑑賞者」という概念に対置されているのですね。
もはや存在していない「鑑賞者」という枠組みに頼ることで、「鑑賞者」は劣化しているなどと嘆いたり批判したりすることよりも、現代社会における概念的な枠組みをつくり、血肉化したいと思っています。もちろん、来場者がどのような概念で世界を把握しているのかの全貌は僕には分かりません。しかし事実上「いる」。それはとても面白い状況であると僕は思いました。なのでその状況に対するアプローチとして、今回は「指示書」を設置することにしたのです。
それによって、来場した人に「鑑賞者」や「制作者」という枠組みをそれぞれ意識していただけていたなら嬉しいです。一人ひとりが自らの枠組みを自覚し、それらを自由に切り替えることができるようになればいいなと思っています。
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