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インタビュー:マシュー・バーニーはなぜ日本を舞台に「拘束のドローイング」を生み出したのか?【2/5ページ】

──最新作『リダウト』は『拘束のドローイング』との結びつきが強いですが、独立した取り組みでもあります。今後、「拘束のドローイング」のプロジェクトはより自律的になっていくと思いますか?

 そうとは限りません。現時点では可能性がより大きく開いていると感じています。例えば、「RIVER OF FUNDAMENT」巡回展(*2)で行われた「拘束のドローイング」は、かなり直接的なものでした。複数の女性が黒鉛の塊を引きずったり押したりして、展示室の壁を一周する線を描くというもので、それ以上でも以下でもないんです。

──個人的な行為の痕跡というのは、初期の「拘束のドローイング」を彷彿とさせますね。

 自分がキャラクターとして登場しない「拘束のドローイング」をつくろうと思えるまで、結構時間がかかったんですよ。それらの作品は一種のハイブリッドで、今後シリーズを展開していくにあたり、これまでに制作した様々なタイプの「拘束のドローイング」から可能性を見出していきたいと思っています。

──ファーガス・マカフリー東京での展覧会においても、その視点は面白いですね。キャロリー・シュニーマン、田中泯、白髪一雄──彼らの身体は文字通り作品のなかにある。展覧会に参加している彼らのことはどのくらいご存知ですか?

 もちろんシュニーマンは知っているし、田中は少しだけ。

──ミルフォード・グレイヴズと田中泯の日本でのコラボレーションの映像は見ました?

© Madada Inc.

 いえ、ジェイク・マギンスキーによるドキュメンタリー(*3) は見ましたが。とてつもなく、美しかった。

 舞踏の言語というのはごく一般的な知識として私の頭につねにありました。90年代初頭に無音の身体を俯瞰する作品を制作していたとき、主な発想のもとや作品のトーンを決定付けていたのはアスリートとしてのあり方やスポーツ放送の言語だったのですが、舞踏における身体の提示のされ方は、非常に参考になりました。とくにジム・オットーについての作品で。

マシュー・バーニー OTTOdrone 1992 © 1992 Matthew Barney, Courtesy Gladstone Gallery, New York and Brussels

──舞踏の公演はいつ頃見ましたか?

 ニューヨークに引っ越してきたばかりの頃、P.S.122で上演を見たのですが、それはもともとの舞踏の動きからは何世代もあとの乖離したものでした。リアルタイムでいろんな写真記録も見ていましたよ。だからまあ、その頃の私と舞踏の関係は、極めて一般的なレベルです。

──2006年、著名なダンサー・振付家のウィリアム・T・フォーサイスは、あなたを「あらゆる意味で優れた振付家」と評しました(*4)。振付家と呼ばれることについて、どう思いますか?

 私のつくる作品がダンスと強い関係性を持つことはつねに感じていました。物語が身体と重力と動きの関係に深く依存していること、そして多くの部分がテキストなしで構成されていることが大きいと思います。ダンサーと仕事をしたり、ダンサーのディレクションをしたり、振付家と話したりなど、関わりはつねに自然に発生していました。

 私が最初にダンサーとちゃんと仕事をしたのは、1930年代のミュージカルでマスゲームのように同じ動きで踊るスタイルを取り入れたとき(1995年『CREMASTER 1』での「ロケッツ」)でしたから、また違う種類の話ですが。ただ、身体を自らのツールとして扱うパフォーマーたちと仕事をするのは、とてもやりやすかったです。ダンサーを演出するときは、ダンサーの持つ身体との関係性と自分の身体との関係性が似ているので、気持ちが楽なんです。話も通じやすい。ダンサーとは別のモチベーションを求めて参加する役者さんと一緒に仕事をするのは、いまでも難しいことがあります。

以下2枚とも:マシュー・バーニー クレマスター1 1995 © 1995 Matthew Barney, Courtesy Gladstone Gallery, New York and Brussels. Photo by Michael James O’Brien

──そのような方向性への発展は、アスリート的なルーティンやシステムの精緻化ということになるのでしょうか? それらは概して同じものと言えるのでしょうか? ヒエラルキーがあるようには思えないのですが......ダンサーにどう話しかけるかとか、プロのファイターにどう指示するかとか、音の影響を考慮してミュージシャンたちを特定の場所から移動させるとか......。

 ......それらすべて、もちろん振り付けですね。

──ニューヨークのマカフリーギャラリーで開催された「Japan Is America」展で白髪一雄の絵画を見たとき、作品に白髪の身体を認めましたか? 彼がロープに吊るされているのを想像した? それは重要なことですか?

ファーガス・マカフリーニューヨークの展示風景より All Artworks © Artists
白髪一雄 地妖星模着天 1960 ©Estate of Kazuo Shiraga

 もちろん、重要なことです。意図があることはつねに重要だと思いますから、答えはイエスです。作品の手つき、スピード、重さにそれを感じます。

白髪一雄 泥に挑む 1955 ©Estate of Kazuo Shiraga; courtesy of Amagasaki Cultural Foundation
白髪一雄 蛭子 1992 ©Estate of Kazuo Shiraga

──例えば《泥に挑む》(1955)のように、白髪は時々観客の前でパフォーマンスをしていました。もちろんそれは、個人的な行為を撮影して後から発表することとは感覚が異なるでしょう。キャロリー・シュニーマンの場合は、全然違いますね。マカフリーの展覧会に出品されている一番最近の作品を除いて、彼女のドローイングのバリエーションはすべて公開で制作されました。公開で行うパフォーマンスと、非公開で撮影される行為の違いについて教えてください。なぜ「拘束のドローイング」シリーズは非公開で撮影したのですか?

展示風景より All Artworks © Carolee Schneemann.  Photo by Ryuichi Maruo

 視点をつくることには昔から興味がありました。運動競技やスポーツ中継の言語を用いた初期の《拘束のドローイング》 は、リアルタイムでパフォーマンスとして行われ、編集されています。パフォーマンスは、映像によって媒介された体験を作り出すことを意図して行いました。それは私にとって常に重要なことでした──芸術的な実践を押し進め、何か見せられるものを作るという意味だけではありません。媒介された体験とは何か、スポーツにおいてそれはどのように機能するのか、若いアーティストとして向き合い始めた身体のパフォーマンスにおいてはどのように機能するのか、というようなことを考え始めるきっかけになりましたし、そこから積み上げて行ったのです。

マシュー・バーニー 拘束のドローイング 2 1988 © 1988 Matthew Barney, Courtesy Gladstone Gallery, New York and Brussels. Photo by Michael Rees
マシュー・バーニー 拘束のドローイング 6 1989 © 1989 Matthew Barney, Courtesy Gladstone Gallery, New York and Brussels. Photo by Chris Winget

──つまり「拘束のドローイング」シリーズは本当にアクションと放送映画そのもの、ということですね。例えばシュニーマンのパフォーマンスや残されるドローイングとは対照的です。あなたの作品とシュニーマンの作品の類似性についてお話しいただけますか?

キャロリー・シュニーマン Up to and Including Her Limits 1976 Performance and installation, Studiogalerie Berlin, DE. Photo credit: Henrik Gaard © Carolee Schneemann; Courtesy of the Carolee Schneemann Foundation, Galerie Lelong & Co., Hales Gallery, and P•P•O•W, New York

 非常に影響を受けたのは《Interior Scroll》(1975)で、舞踏と同じように、パフォーマンスにおいて身体がどのように使われ得るかを理解するのに参考になりました。ただそれ以上に重要だったのは、それがどのように物語性を持つようになるか、ということでした。この時代のタイムベーストの作品は、クリス・バーデンやブルース・ナウマンなど、物語性のないものが多いでしょう。内なる場所からテキストが出てくるというアイデアは、私にとって非常に強力なものでした。この作品に出会った頃、私は間違いなく物語を語ることに興味があったし、ものをつくることの興味と、アスリートとしての自分の身体を融合させて彫刻作品の制作に取り入れようとしていました。

──新型コロナウイルスの影響で2020年から延期になっているヘイワード・ギャラリーの展覧会(*5)はいつオープンするのでしょうか?

 5月オープン予定です。

マシュー・バーニー リダウト 2018 © 2018 Matthew Barney, Courtesy Gladstone Gallery, New York and Brussels, and Sadie Coles HQ, London. Photo by Hugo Glendinning

──『リダウト』は日本で一度上映されました。映画のツアー上映でまた観られるのでしょうか?

 これまで東京ではすべての作品を上映してきたので、今回の作品も東京で上映できると信じています。いま皆さんが経験している制約なしに大きなスクリーンで上映できる機会をうかがっているのですが、気長に待ちたいと思います。

 

*1──「拘束のドローイング」巡回展(金沢21世紀美術館、2005年7月2日〜8月25日 / サムスン美術館リウム、韓国、ソウル、2005年10月13日〜2006年1月8日 / サンフランシスコ近代美術館、アメリカ、2006年6月23日〜9月17日 / サーペンタイン・ギャラリー、イギリス、ロンドン、2007年9月20日〜11月11日 / クンストハレ、ウィーン、2008年3月7日〜6月8日)
*2──「RIVER OF FUNDAMENT」巡回展(ハウス・デア・クンスト、ドイツ、ミュンヘン、2014年3月17日〜8月17日 / オールド・アンド・ニュー美術館、オーストラリア、タスマニア、2014年11月22日〜2015年4月13日 / ロサンゼルス現代美術館、アメリカ、カリフォルニア州、2015年9月13日〜2016年1月18日、)
*3──ジェイク・マギンスキー、ニール・ヤング「Milford Graves: Full Mantis」2018年、音声カラー、1時間31分
*4──マギー・ネルソン「On Porousness, Perversity, and Pharmocopornographia: Matthew Barney's OTTO Trilogy」(Yale University Press、コネチカット州、2016年)に引用掲載
*5──​​「REDOUBT」巡回展(イエール大学アートギャラリー、アメリカ、コネチカット州ニューヘブン、2019年3月1日〜6月16日 / UCCA現代美術センター、中国、北京、2019年9月28日〜2020年1月12日 / ヘイワード・ギャラリー、イギリス、ロンドン、2021年5月19日〜7月25日予定)

編集部

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