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INTERVIEW - 2019.1.28

野良犬として作品をつくり続ける。程然(チェン・ラン)インタビュー

革命後の激動する中国社会で育った1980年代生まれの世代「80後(バーリンホウ)」を代表するアーティスト、程然(チェン・ラン)。音楽や文学と深く結びついた映像作品を手がけながら、枠にとらわれない活動を展開してきた彼に、制作に対する考えを聞いた。

文=田坂博子(東京都写真美術館学芸員)

オオタファインアーツにて 撮影=森本洋輔

中国の伝統と現代の往還、野良犬のように実践する人

 アーティストという括りは大きすぎて。自分を位置づけるなら、良く言って、行動し実践する人。悪く言えば、野良犬(ストリートドッグ)です。野良犬は自由で拘束されていない。犬には攻撃力がありますが、人に対しては友好的。自分にいちばん近いと思います」。

 様々なジャンルを横断しながら活動する 程然 チェン・ランにとって、自らのアイデンティティを判別することは難しい。「アーティスト」ではないからこそ、アートを制作し続けることができるのだと言う。

 1981年内蒙古に生まれ、現在中国・杭州を拠点に活動する程は、2005年より映画や音楽など多岐にわたるジャンルの手法で、西洋のポップカルチャーのイメージを扱った映像インスタレーションを制作してきた。昨秋、オオタファインアーツで開催された日本初個展「The Lament: Mountain Ghost」では、初の試みとして、古代中国の文人・ 屈原 くつげんを題材に、現代の若者のパフォーマンス、音楽などの要素からなるメディアミックスの映像作品のほか、ライトボックスやテレビモニターなどを用いた複数の立体作品を発表した。西洋的なモチーフから中国文学まで、作品の題材が多岐にわたるのは、その都度程が、自分の興味の趣くまま、自由に作品を制作してきたことの表れでもある。

楊福東(ヤン・フードン)との出会い

 「制作を始めたての頃は、まだ学生で方向性も定まっていませんでした。美大で学んだことが何をもたらすのかもわからず、そのときの制作は本能的で、目的がなかった。まだインターネットも普及していない時代で、ほかの作家を目にする機会も少なく、試行錯誤しながらやっていくという状態でした」。

 油画科で学んでいたそんな学生時代、程は中国を代表する映像作家である 楊福東 ヤン・フードンの代表作《竹林の七賢人》(2003〜08)に出演する。若者の無力感を描き出した内容に強く共感し、自らも作品制作の意欲をかきたてられた程は、楊のもとで本格的に映像作品を制作するようになる。

 「2003年から07年にかけて、毎年1〜2ヶ月程度手伝っていました。楊先生の美術に対する理解は、私が教科書から学んだこととは違って、彼の体験や不確実な要素が含まれており、大きな影響を受けました。また、映像というメディアとの出合いともなりました。映像には物語性がなくても様々なことを実現できる可能性があると感じました。ただ、いまでも当初と変わらず、どうやってアートをつくるのかという疑問は残ったままです。だからこそ、作品に面白い方向性をもたらすことができているのだと思います」。

In Course of Miraculous 2015  スチル
Courtesy of the artist, K11 Art Foundation, Erlenmeyer Foundation and
Galerie Urs Meile Beijing/Lucerne
In Course of Miraculous 2015  スチル Courtesy of the artist, K11 Art Foundation, Erlenmeyer Foundation andGalerie Urs Meile Beijing/Lucerne

「境界」を超える映画

 その後、インスタレーションを中心とした短編映像を多数制作するなかで、3〜4年の準備期間を経て、2015年に9時間にも及ぶ長編映画『In Course of the Miraculous』を発表する。「撮影に2ヶ月、後の編集に4ヶ月かかり、約200人が関わる大作となりました。一言でまとめるのは難しいですが、このような『境界』を越えるような経験が大切だったと考えています。数年の時間をかけながら、新しい制作方法を探る面白さもありました。以前は短編映画を毎年制作していましたが、この長編映画のように、ひとつの作品に数年を費やすことは刺激的な体験でした」。

 9時間に及ぶドキュメンタリー映画『鉄西区』で知られる中国の 王兵 ワン・ビンや、16年に『立ち去った女』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞したフィリピンのラヴ・ディアスも大規模な長編映画を制作することで知られているが、もともと映画監督ではない程の、初めて制作した長編が9時間というのは希有なことである。従来の映画マーケットの基準に合わない、インディペンデントな長編映画を制作することで、自分自身を探ることができたと言う。

 「映画を制作するうえで、王兵監督からも多くの影響を受けています。彼のような映画監督が既存の映画マーケットのシステムや鑑賞者の体験に挑んでいるのです。マーケットでは評価されにくくても、優れた作品を見ることで、私自身もインスピレーションを受けます。ひとつの物事をやり遂げる精神に感銘を受けていますし、自分も同じ立場から、勇気や体力が必要な映画を制作していきたい。映画の領域でもアートの領域でも、新しい角度から物事を見ることが重要だと思います」。

 程は、現在2本目となる長編映画の準備中だ。今回の個展はその習作的な位置づけとなる。展覧会のタイトルになっている映像作品《The Lament: Mountain Ghost》は、数千年前に中国で活動していた詩人・屈原の、当時の理想や王との関係、現実や未来の夢について描いた短編作品で、屈原の詩のなかに出てくる「山鬼」をイメージして制作されている。

 「新作映画はこれから2、3年で完成予定で、2、3時間の長さにする予定です。中国の伝統的な文化に着目し、それを現代の若者に演じてもらうことで、過去と現在につながる複数の層を再認識したい。本展はその長編映画のためのもので、映画を完成させるプロセスを、このようにいくつかの展覧会というかたちで発表したいと思っています。今回の映像や彫刻作品は、映画のドラフトでもあるのです。メインとなる映像作品では、上海のギタリストと電子音楽家とコラボレーションしました。ほかにも、使い古されたシンバルやドラムを使った立体作品などを制作し、音楽の要素をたくさん入れ込みました」。

展示風景。右の画面が《The Lament: Mountain Ghost》(2018)

​ 映像では白塗りの若い男性ダンサーによる一見儀式的なパフォーマンスのなかで、電子音楽がギターの音に変わっていく。ダンサーの身体部分にはタトゥーのような模様があり、次第にその模様部分は、ミュージシャンのスタジオを背景としながら別の映像へと変化していく。中国においてタトゥーは若者の文化を象徴するだけではない。チェンは、タトゥーの模様に中国の伝統的な意味を持たせ、現代文化とのミックスを試みている。

 「本展はニューメディアを用いながらも、歴史を回顧するものです。歴史的、原始的な要素も多く含まれています。海外に滞在すると、必然的にその場所の要素が作品に入ってきます。私の作品にも見知らぬ土地で見聞きしたものをきっかけとしたものが多くあります。ただ、私の世代の中国人は幼少期から、海賊版などの映画や文学を通して、中国にいながら西洋の影響を大きく受けてきている。これまではその受容や変換に着想を得た作品が多かったのですが、中国文化そのものをテーマに制作することはずっと難しいと考えていました。深奥すぎて、手のつけどころがなかったのです。ですが、長編制作などの多くの経験を積んだいまだからこそ、中国の伝統文化について改めて考える、いい機会だと思っています」。

 また、ライトボックスを用いた 《Leopard's Dream Image》やモニターを使用した《Riding Dragon Image》などで扱われている液体状の水晶は、本展における象徴的な素材だ。液体を流し自然に固体化するプロセスをそのまま作品にし、ものの原始的な状態をとらえている点が展覧会のテーマと重なり合う。「水晶を素材に選んだのは、それが固まるプロセスに『時間』が表現されるからです。その過程で、その時々、瞬発的に思いついたアイデアを作品に取り入れることができる。この手法は映画制作にも似ていると思います。もうひとつの理由としては、素材自体の特徴として、透明で色がないということ。これもやはり、あまり考えず実験するように制作できる要因となっています」。

 程の制作方法はシンプルでありながらも、そのプロセスの自由さや即興性が作品をよりミステリアスなものにしている。また、展覧会の蓄積がいかに長編映画へと昇華されていくか、観客は映画の予告編を見るかのように展示を体験することができるのだ。

 「長編映画では、映画を上映する前に展覧会を10回行いました。それぞれを合わせると、数百点のヴィデオ作品やインスタレーション、ドローイングを展示しています。最終的に長編映画には、アートやパフォーマンスなどすべての要素が入ります。展覧会は、水滴のようなものです。水滴が落ちてからの波紋が、今後長編映画へとつながっていくのです」。

The Lament: Mountain Ghost 2018 シングルチャンネルビデオ

古代中国と現代性

 本展で取り上げた物語では、主人公の屈原は最後に自殺してしまう。屈原は、国を守るために自分の境遇を顧みず、王に進言した人物でもある。古代中国の物語を現代で描くということは、程にとって何を意味するのだろうか。

 「屈原の物語に関する解釈はたくさんあります。国家の視点からも個人の視点からも解釈することができます。私がもっとも興味を持っているのは、彼の作品が中国の歴史において、ロマン主義における最初の長編詩という位置づけであることです。それは政治的なものというよりは、個人の感情や意識を表すものです。このような中国の歴史的な作品を現代社会に解放して、現代における個人の意識や感情を抽出したいのです。屈原の作品には、王や国についての描写以外にも、ファンタジーや個人の孤独についてたくさんの記述があり、そこに惹かれています」。

 近年の国際的な活躍によって、中国の次世代を担う映像作家として注目されている程だが、古代中国の歴史を振り返ることで、むしろ国家や社会の枠組みを超えて、個人の現代性に問いを投げかけているようだ。

 「昔の政治的なアイデンティティや国家の概念、集団主義にこだわる中国人とは違って、私は誰も代表していません。私は私、独立したひとりの人間、一個人です。ひとりの人間の考え方がいちばん大事です。それは新作の長編映画においてもっとも重要なテーマとなります。小さな、中国人の若者の物語を通して、過去やアイデンティティなどの概念を再認識し、個人の感情や感受性に寄り添いたいのです」。

 自由は容易に手に入るものではない。その「境界」を越える難しさを理解しているからこそ、程はあえて変容を恐れず前進することで長編映画に挑んでいる。映画完成までの展覧会とともに、そのプロセスから今後も目が離せない。

展示風景。左が《Empty Spectacular Image》(2018)

(『美術手帖』2019年2月号「ARTIST PICK UP」より)