INSIGHT / PROMOTION -

長谷川祐子と奈良祐希がUESHIMA MUSEUMで語ったコレクションとキュレーション。その営みの核心に迫る

実業家・植島幹九郎による現代美術コレクションを紹介する東京・渋谷のUESHIMA MUSEUMで現在、趣向の異なる2つの展示が開催されている。ひとつは、キュレーターの長谷川祐子による「像は燃え、像は歪み、そして光に昇華する」。もうひとつは、キュレーションに初挑戦した陶芸家・建築家、奈良祐希による「茶陶と現代陶芸展―時のうつほ」だ。立場の異なる2人は、植島コレクションにどう向き合ったのか? 両者の対話から「キュレーション」という営みの核心を探る

聞き手・構成:杉原環樹 撮影:小澤塁

コレクションをめぐる2つの展覧会、それぞれの物語

──長谷川さんがUESHIMA MUSEUMでキュレーションをするのは2回目となりますね。まずは「像は燃え、像は歪み、そして光に昇華する」展の企画意図をお聞きできますか?

長谷川 いまを生きる個人としての植島さんの直感と現代性から収集・構築される植島コレクションは、既存の美術の枠組みには収まらない多角性をもちます。その世界を鑑賞者に伝えるため、今回は「像(イメージ)」、アートの体験が人の記憶のなかにいかなるかたちで残るのかという問題を軸にして、会場を歩くことで各自の物語を紡ぐ構成にしようと考えました。

「像は燃え、像は歪み、そして光に昇華する」の地下1階の展示、左からラキブ・ショー《The Pragmatic Pessimist》(2024)、三家俊彦「The Aluminium Garden -Structural Studies of Plants-」シリーズ(2022)
「像は燃え、像は歪み、そして光に昇華する」の2階の展示、オラファー・エリアソン《Eye see you》(2006)。人類にとっての重要なエネルギーである太陽を表現した作品

 具体的には、地下1階から地上5階の各階にそれぞれキーとなる作品を置き、それを中心に物語を編んでいく。例えば「消滅と風景」と名付けた地下1階の起点はラキブ・ショーの巨大タペストリーです。無数のホッキョクグマが群がる北極の風景を背に、人物が美術書を燃やす同作品は、アントロポセン(人新世)とアートの未来への強烈な問いを投げかけます。ここから始まり、像の歪みや断片化を扱う途中の階を経て、オラファー・エリアソンをキーとする5階に至り、像は光に昇華する。そうした大きな筋をつくりつつ、そこに都市での体験や肖像画、絵画の起源としての光など、複層的に異なる要素を入れました。

奈良 階を上ることがテーマの具現化と一致している、この美術館ならではの素晴らしい構成だと感じました。同時に、おっしゃる通り、受け手ごとに多様に読める物語にもなっていますね。

長谷川 ええ。形式はシンプルでも、単一のターミノロジー(用語体系)に収斂しない。そのことで、鑑賞者がその人なりに体験の振り幅を拡張できるキュレーションをしました。

──いっぽう、茶室もある6階では、奈良さんによる茶陶と現代陶芸展「時のうつほ」が展開されています。

奈良 植島さんは友人で、私の作品のコレクターでもありますが、当初展示企画の依頼をいただいた際は、「(私は)作家だから」と断っていたんです。ただ、引き受けることにしたのは、長谷川さんの存在が大きかった。長谷川さんが金沢21世紀美術館で企画され、僕も出品した「コレクション展1 うつわ」(2022)は、「うつわ」とはこんなにも多様なものなのかと自分の考えが広がった展示で、そこで受け取ったものを表現できたらと思ったんですね。

 とくに着目したのは「内側」です。うつわというと外形に目が行きがちですが、語源に「うつほ(空)」があるように、じつは内側こそがうつわの本質と言える。展示では、樂家の四代目一入とその一番弟子であるうちの初代大樋長左衛門から、現代の桑田卓郎さんらまで幅広い作品を並べ、内から外へ向けて境界を越えるような動きの変遷を見せています。会場は展示用の部屋ではないのですが、家具を撤去し照明環境を整え、作品の下から光を当てることで中の「うつほ」に目を向けてもらえるよう工夫しました。客観的に工芸史を語るのではなく、一人のつくり手として作品から受け取ったものを表現したつもりです。

「茶陶と現代陶芸展―時のうつほ」の展示風景。アクリルの什器に載せた作品下から照明を当てて器の存在感を強調している。中央は奈良の新作《Bone Flower Luminous》(2026)

長谷川 よく頑張りました。作品の下の光というと、先述の金沢の展示では、奈良さんの作品をアクリルのケースに乗せて展示しましたよね。奈良さんの作品は固定されたフォームというより、内部の力を解放し、様々な構造を通して外へリズミカルに逃がしていくような動態としてある。ゲーテは建築のことを「frozen music」と表現しましたが、そういう意味でも、奈良さんの作品は非常に建築的です。

 もう一点、以前マシュー・バーニーと仕事をした際、彼が自分で つくったうつわを「vessel」と呼んでいたんですね。この言葉には「船」という意味もある。つまり、うつわとはたんなるコンテナではなく、大きな意味で、私たちを運んでいくものであり、それもまた建築にも通じます。私のなかには、そうしたうつわに対するいろいろなコノテーション(含意)があり、それが奈良さんの作品からも感じられました。今回の展示では、名品や空間のしつらえも含め、そうしたうつわへの考えをご自分の感覚で見せていたのが良かったです。

編集部