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《落米のおそれあり》はなぜ封印されたのか? 作者・岡本光博が語るその舞台裏

沖縄・うるま市で11月18日〜12月3日に開催されたアートイベント「2017イチハナリアートプロジェクト+3」で、岡本光博の《落米のおそれあり》が市によって封印された。その経緯と一連における考えを、作家本人が寄稿する。

岡本光博 落米のおそれあり 2017 シャッターにウレタン塗料 420×210cm

オキナワの暗闇のなかの《落米のおそれあり》

 「ヨコハマトリエンナーレ2017」の一環として上演された水族館劇場「もうひとつのこの丗のような夢─寿町最終未完成版─」で、『地域アート』の編著者である藤田直哉が「ドザえもん」を演じたシーンに「ハッ!」とさせられた。

 「インスタ映え」するだけでスッカスカなモノや、「地域交流ほっこり」的な「地域アート」の量産にげんなりしていたストレスを吹き飛ばすかの如く、まさに「地域アートの死」を体現していたからだ。同書では、お金を出す自治体・国の理屈から、「地域活性化」の圏域に芸術が回収されることを危惧していたが、それにしても回収されすぎではないか。日本のアートのベクトルが、何かチープなエンタメ・イベントとどう異なるのか分からない方向に向かっていると感じる。そんなものは、それを極めるディズニーやユニバーサル・スタジオ・ジャパンやチームラボに任せればいい。

「もうひとつの この丗のような夢 ─寿町最終未完成版」の上演会場に展示された《w#206 ドザえもん》(2017)

 確かに「地域活性化」につながるアートはあるし、とても大切なアートではあるけれど、それはごく一部であって、そもそもアートに何かを背負わせるのは無理があるし、都合よくコントロールできるものではない。アートはアート以外のナニモノでもないから意味がある。ダークな面やグレーな面を内包しているから面白いのに、明るい顔だけを利用しようとするから問題が起こる。これまでにも、封印されたりプランの変更を余儀なくされたアーティストがわんさかいることは、想像がつく(ショボい政治的なステイトメントに利用したがる第三者もいたりするが、そんな次元のモノではないとはっきり言える)。しかし、もし、その裏の顔まで理解したうえでアートとうまく付き合えば、本当の「地域活性化」にもつながるのだが……。

NS#328 小ガラス 2017 『地域アート──美学/制度/日本』、写真(編著者・藤田直哉の演じるドザえもん:水族館劇場による写真画像提供)、アクリル板

 さて、前置きが長くなってしまったが、本稿は、沖縄の伊計島(いけいじま)で開催されたアートプロジェクト「イチハナリ・アート・プロジェクト+3」において、伊計島共同スーパーのシャッターに描いた私の作品《落米のおそれあり》(2012)が、本展のディレクターである秋友一司さんと私の承諾なしに、うるま市の独断で展覧会前にべニア板で封印されたことを受けて、その当事者として、寄稿の機会を与えてもらったものである。「非公開の決定」を受けて、多くの方のシェアをいただいたfacebook上での公表(2017年11月17日)、「現地で封印まで」見届けた朝日新聞社・丸山ひかり記者の行動力(2017年11月21日、朝日新聞デジタル)で問題は顕在化したが、なかったことになるギリギリであったのも事実である。

岡本光博 落米のおそれあり 2017 シャッターにウレタン塗料 420×210cm

 経緯については、11月20日に、秋友ディレクターが、参加アーティストに向けて送ったメールの抜粋をお読みいただきたい(*註1)。国の監査におびえる行政の都合、ジャーナリズム精神を失ったメディア、イチハナリ(遥か遠い場)の「地域アート」の問題を通して、見えてくることは多くあると思う。

 シャッターのある共同スーパーは島の「イオン」的な場所だったため、滞在制作した3日間では多くの島民と接することができた。また、様々な意見をいただくこともできたが、概ね好感触にも感じられた。展示を反対した方々も間違いなく何度も目にしていたと思われるので、何故、その場で意見交換していただけなかったのかと、とても残念に思う。いくつものプランを提出したうえでの公開制作であり、反対意見の方と議論できることを内心望んでいたことも、事実であった。

 北朝鮮情勢の影響もあり、伊計島の上空を頻繁に戦闘機が飛んでいるのを目にした(その音を耳にもした)。かつ巨大な石油タンクが近くの島にあるというのに、近年、連続して米軍ヘリの墜落事故が起きている。この作品のイメージは、2004~06年の沖縄での暮らしで感じたそういったことをもとに制作したものであるが、「再制作」という意識ではなく、今も「リアル」に「警告看板」としての必要性を感じ、制作したものである。

 『沖縄タイムス』(2007年1月23日、註2)で《赤絨毯》(2006)の展示について報道された際も、「大和人が沖縄の問題をアートにしてはいけない」という意見を何度か聞かされた。ただ、今回の封印を通して、そんな極端な意見を持つ「声のでかいオジー」ばかりではなく、自由な表現を尊重し協力してくれる沖縄在住のウチナー、ナイチャーと出会えたことには感謝している。現在の沖縄には、様々な考えかたや意見が存在している。

ベニヤ板で封印された《落米のおそれあり》 Photo by ISHIGAKI Katsuko

 最後まで公開に向けて動いていただいた秋友ディレクター、公開を求める鑑賞者の声、沖縄の写真家を中心とした「まぶいぐみ」の市長への「要望書」、参加作家たちの市役所への抗議行動、市の態度を辛辣に批判する上村豊の「展評」(『琉球新報』11月30日付)、マスコミの報道など多くの方たちのおかげで、作品はうるま市観光物産協会に移設され、12月2・3日の2日間の公開となった。2日間とはいえ、作品を発表できたことを素直に嬉しく思う。未公開と公開とではまったく意味が異なる。

 2002年にドイツで、「EURO RING(*註3)」というユーロ硬貨を解体して指輪にするプロジェクトを発表した際、展示会場のアートセンターが「違法性の疑い」を理由に公開を渋ったことがあった。しかし、批評家のバーバラ・マサが「判断すべきは鑑賞者であり、まずは公開すべきだ」と発言したことで公開となり、その後、(そこでの発表が保険になったのだろうか)ドイツ以外でも何度か発表するに至った。

 このような経験を通して、私はアーティストとしての「社会的責任」について考えさせられた(実際、日本はもちろん多くの国でも硬貨の解体は違法だ)。「表現の責任がアーティスト」にあることは間違いないので、行政を含む企画運営側は、アートに内在するダイナミズムや批評性と向き合う少しの勇気だけを持ち合わせてほしい。

うるま市観光物産協会に移設公開された《落米のおそれあり》 Photo by ISHIGAKI Katsuko
http://okamotomitsuhiro.com/page/okinawa/ICHIHANARI.htmhttp://okamotomitsuhiro.com/page/okinawa/RCP/ns310red%20carpet%20ru.htmhttp://okamotomitsuhiro.com/page/euro%20ring/EURORING.htm

編集部

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