びじゅつはとじたりひらいたり
いったい、美術とはなんなのか。
誰がどうしてどういう状況で何を成したらそれになるのであるか。
政治とはいったいなんなのか。誰のために、なんのために、いったい現代の政治はどこに存在しているのだろうか。
いま私たちが暮らしているこの現代社会という世の中に、本当に必要なものはなんなのか。
何か不足しているのか。
私は、生きるために本質的に必要なものしか、(目に見えるかたちで)要らないのではないだろうか。
とよく考える。
私自身、塩をつくり、米をつくりながら絵を描いている。日々薪をつくり、火を起こし、鳥のさえずりに、風に、虫の羽音に耳を傾け生活の場をつくりながら日々の生活から得る気を作品として起している。
本質的な生命活動のその先にあるものが、精神的な(目に見えない)本質そのものだと考えていることをまず、記しておきたい。
今回、私が参加した熊本市現代美術館の企画展「段々降りてゆく」で起きた外山恒一氏の展示“不可”の件は驚いた。当初、美術館の担当学芸員である佐々木玄太郎氏から「外山さんは展示できるかどうかわからないが、できる限り手を尽くす」と熱意を込めて参加作家全員に伝えられていたからだ(*)。
外山さんのことは正直よく知らなかったし、知らないということが、より、今回の企画展への期待を膨らませることになっていた。
なので、その知らせにより、シンプルな、展示が楽しみ!という至極純粋な感情や熱が、少し収まっていき、説明も行政特有のあやふや感をもってされたのでモヤモヤを残して自身の展示準備を進めていっていた。
佐々木学芸員からの説明はいたって簡潔だったが、運営母体の熊本市美術文化振興財団内での各種のリスクに対応していくための意思統一が必要ということで議論を行っていたが強硬な反対意見も存在し続け、実務的にタイムリミットという結果になってしまってとても悲しかった。
そして、会期が始まるころには外山さんを今回の展示作家として“なかったこと”にはしたくなくて、自ら勝手に外山恒一氏をメインゲストのトークライブ企画を立ち上げることを決めた。
2021年5月16日。場所は美術館にほど近い商店街内の老舗中華料理屋のイヴェントスペースにて。
聞き手として現代の公共性の表面と実態のズレや歪みをアートという視座から客観性をもって評し続ける美術評論家の福住廉氏をお招きした。ゲストは今展示の企画学芸員である佐々木玄太郎氏。
そのトークライブは外山さんが、その時代その時代に対しての言葉を武器に、自身の立場や生活の安寧を顧みず旗を掲げてリアルな実感をもとに様々な行動を起こしてきた成果と、いまのリアルな想像力の先にある行動と活動の紹介を資料とともに進め、それに対して福住さんが切れ味鋭いツッコミや展開力と、現場で体感してきたいまの美術の必要性と矛盾点を、とても明確に現代社会と公共性の強制と公共性の無さ、公益性優先の現代民主主義とそして美術館の本質的な必要性を、来場者や関係者が根底から考え直すきっかけの礎になる様な内容だった。
会場は美術関係者、外山さんの塾生、美術家、一般の方からも申し込みがあり、立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。
それは、これからの時代を真に生きていくための希望でもあり、これから本当に必要なものや“場”を示唆するものになったと思う。
これまで私自身、美術館で展示をするということは多くの人に開かれ、公共において最大限の影響力があると思っていた。しかし、いまの時代にもっとも必要な作家のひとりである外山恒一氏の存在を公共の場に組み込むことができないというその姿勢が、では美術とは、美術館とは、いったいなんなのか、なんのためにあるのかという冒頭での疑問につながっていく。
頭ではわかっていたことでも、それを当事者として改めて体感してみると、“美術館/公共” からそういう見方をされて、一方的にリスクかリスクではないかという民主合理主義の判断や断定の目に晒されているのだなという事も同時に痛感したのだ。
美術館で“は”できない。ということは、多くの人には見せられない、その行動や行為がリスクにつながるということを一方的に思っている人がいるということで、その存在がよくないものだと暗に言ってしまっている。それはすなわち、美術館はもうすでに公共性や公平性をもった多くの人に“開いた”場所ではなくなってきているという事だ(いや、それは最初からそうだったのかもしれないが)。
美術館にとって外山さんの活動をはじめ、我々美術家(外山さんは美術家ではなく革命家ではあるが)の活動は現社会への影響力があると考えているという証左かもしれない。
私自身は社会という言葉のいまをいかにとらえ、いかに他者と関わりながら、いかに社(やしろ)になるような場をあたらしくつくっていくかというところを念頭に作品をつくっているが、まさにその現場ごとに関わる人々のそれぞれの生活をどんな場所でも体感しつつ、その相互作用をもたらす結果としていまの生活があるし、その先や足元に制作があると思っている。
外山さんは外山さん自身の生活と、その生きてきた過程で体感したものを基に至極ストレートなやり方で活動し、“作品”が生まれている。
ご本人もトークで話していたが、現社会の現状は「表現が民主主義に圧殺される」という実感とリアルに基づいた切実な振動を孕んだものだ。
我々はいったいどこへ向かうのだろう。
あまりにも現代社会生活にリアルがなく危機感もない日本では、皆が認識しているはずの民主主義という人民のための言葉さえ虚しい。多数決や大義名分が最上とされる世界はこんなにも空っぽなのか、本質は、根っこはどこへ行ったのだと叫びたくなる。
いまの日本では、現実をそのまま受けとめる度量のなさゆえに、その現実の本質に直面しないように言い訳してスルーしている局面によくであう。
それとは逆に、現在、ミャンマーでは民主化半ばで軍事クーデターが起こり、それをきっかけに目覚めたスマホでゲームばっかりしていた若者たちが『ナルト』や『ワンピース』といった日本マンガに影響を受けて、反乱軍として自作のパチンコや竹やりなどで戦い、マンガで見たような連帯感と絆をもって権力に立ち向かうという事を地でやっているという。一昨日まで広場で一緒に楽しく踊っていた仲間が殺されていくなかで、めげずに、折れずに、現実とたったいまも向き合い続けている。
言い訳待ったなしで、自分の体で体感して、その体感をしっかり反映させたコミュニケーションによる美術作品がどれだけ美術館において展示されているのか。
美術館で展示するということの本質的な意味と意義はいったいなんなのか。
今回の件は検閲というよりも結果的に自主規制のようなかたちになったわけだが、そこには運営母体の反対派の充分な想像は働いていなかったと思う。でもそれって、美術関係者に聞けばみんな口をそろえてそれは難しいだろうというし、そういう抗えない既定路線な空気なだけであって誰が悪いわけでもない。
美術館を運営するうえでは“人間社会の本質的”な部分だけでは物事を運べないし、まったくないわけではないけど、やっぱり政治的要素が少しでも直接的に(日本語で)入ると展示をするというハードルは上がる。
リスクマネジメントも大事なことなのだけど、あやふやな、人を見てルールが変わったり、言ってることとやってることが嚙み合ってなくて裏と表がありすぎるのも混乱する。
切に思うのは、シンプルなことだが、想像と体感というものを同じ目線でディスカッションできてなおかつ学芸員に対しての信頼を前面に出せていたらなあっておもう。
ここで大事なのは、美術作品がしっかり展示されることは前提として、同じ方向を見ているのかということ。そして一部の偏った意見や思想によって展示ができないということがあってはならないよなーというとこだ。
いろんな人の意見があっていいと思う。そりゃあ、同じ考えであることなんてありえないし、あってはならない。けど、そういう美術館という場所の持つ役割を全うさせるのならば、その作品と作家に向き合い、話し合う場を持ち、理解できなくても展示をして議論をする。そういう“場”こそ必要なのではないか。
美術の本質を理解せず、体感せずにその場に立って運営に関わっている人もいるのはいまの美術館の運営ではよくある話だと思う。様々なそういう人たちに支えられて成り立っているのも事実だけども。
だからこそ、作品の前に集い、なぜいまこう言った作品が目の前に在り、何を問いかけようとしているのか、何を私たちと共有しているのかという事にしっかり、キレイごとだけではなく、それぞれの立場や態度がある中で立ち向かえるような場を作れたらと、おもう。
そうなったらいいと思っていても、積極的に作家からアプローチすることも、運営側からアプローチすることもない。その橋渡し役は学芸員なのだけど、板挟みでもあり、激務に追われていてそういうところまで至らない。
そこには、自立と対峙はなく、それぞれにあいまいな役割があるように感じる。
そういう壁を突破していくのは、やっぱり、アーティスト、美術家の仕事なのかなってことか。
じつは、“美術”という言葉や美術至上主義みたいなのはどうでもいいと思っている。
美術家のなかにも、“美術”という言葉を率先して使わず、様々な独自の手法で作品と場をつくっている者もいる。
仙台を拠点にする佐々瞬は、過去や記憶をもとに演劇性を積極的に作品内に取り込み、自ら演じ、その演じる場をつくり、その場の持つ空気と役割、見え方をガラッと変える。そうしているうちに、作者と鑑賞者、制作していく中で関係していく人との関係性も変化していく。
インドネシアと日本を拠点にする小鷹拓郎は、現実と噓と虚構、噂のギャップを可視化し、実際に展示や映像によりそのあやふやなものを体感させる。
関西を拠点にする片山達貴は、言葉を介しても意思疎通が図れない者や、言葉で伝えることとそれ以外の境目やつなぎ目にあるもの、目に見えないものを通してのコミュニケーションや、やり取りを生々しくも核心に迫る映像作品に仕上げる。
今回の展示「段々降りてゆく」展の参加作家も自らオルタナティヴスペースや開かれた拠点をつくっていたり、様々な環境や形で“場”をつくるアーティストや美術家が多くいる。
絵画も、表現も、活動も、言葉も、態度も、作品として成り立たせていく以上、様々な工程があるなかで、最終的には開いていく。あぶり出していったり、さらけ出していったりする。
本質を突きながらもどこか可笑しかったり、緊張感張り詰めるけどいつの間にか視点がずらされていることもある。政治的、社会的メッセージや批判性を孕みながらもユーモアがあったり恐怖があったり、個人的なバックグラウンドや生い立ちをもとにしている作品に感情移入したり。いつの間にか巻き込まれて作品の一部になっていたり、その土地の歴史や人物、記憶の発掘的な調査がそのまま立派な映像作品になったり。あいまいな記憶や日本人として共有している性質みたいな、普段は眠っている感覚を呼び戻されたり。
最終的に表出される形や手法が違うだけで、その一人ひとりの視ている景色と、体感や環境、思考からくる態度と哲学が存分に表れている結果が目の前に立ち上がることになる。
それは作家にとっても恥ずかしいことかもしれないし、怖いことかもしれない。評価を受けたい人もいれば、実験的な手法で反応を楽しんでいる作家もいるかもしれない。
だったら、美術館もやっぱりもっと開かれた場所になったらいいなって切に思う。
基本的な決まりやルールはもちろんあるだろうが、もっと、展覧会を運営側、学芸員、美術家が協働できる場を捻り出すことってできないのだろうか。
それは、意味がないことと思われるかもしれない。何も変わらないと思う人もいるかもしれない。
でも、作家の熱に反応する、作家の意思に賛同する、作品が面白い、美しい、と単純に思える場が、もっと根っこに近い部分で共有できたり、議論できたら、美術館は変わっていくと思う。そんなことに時間を割くのは不毛だといわれても、美術館全体でその展示をできないってなっちゃうってことは、ある種のいまの社会の縮図なわけであって。
その美術館総出でキレイごと優先ではなく、ひとつずつ共有することができるなら、可能性がとても広がるし、ある意味、行き詰った美術界みたいなものの閉塞感を、いままで内向きだった美術館から変えていけることになるんじゃなかろうかと、強く思う。
そう簡単にできないこともわかってるけど、やっぱりアプローチして、やってみないことには始まらない。
まずその一歩を美術館が受け入れてくれるならば、運営母体全体、美術館学芸員、作家の3者による共同企画なんてできるようになったら、とっっても風通しよくて世界が開けるなと想像する。
そして、いまこそ、そういう開けた世界を自分たちで思考して自分たちで行動して自分たちで協働して独自につくっていかなければ、まさに「民主主義に圧殺」されることになりかねない。
自らの表現の場はいつまでも人任せで確保されるなどとは考えないほうがいいし、しっかり言葉と行動で相手の目を見て伝えるという基本的なことが絶対的に大事だなということを体感している。
とくに、ウイルスだ、感染だ、ワクチンだ、オリンピックだ、と自らの身体と精神、生活を信じるという本質的なことから遠ざかって行ってしまっている現在の日本社会では“直接伝える”ということが難しくなっているのかもしれないが、そこはしっかりと我々美術家がありとあらゆる手段で社会を紐解き開いていくことが必要だということか。
オルタナティヴスペースだろうがコマーシャルギャラリーだろうが、美術館だろうが、場所をつくり、開いて多くの人に来てもらい、作品を観てもらう。そのことに変わりはない。
会員制にしたり、閉じていく方向のスペースも出てきたが、美術や芸術とは閉じられていくことと、開かれていくこと、どちらもあって様々な局面と作品とギャップが生まれ、議論と熱が生まれてきた。
根深く閉じていくのか、枝葉を伸ばして開いてゆくのか。
それが私は、一本の木であるということをまだ信じている。
*──なお熊本市現代美術館は一連の経緯を検証した記録集を今年度中に公開することを目指している。