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2021.1.18

「アイデア」と「表現」の狭間をたゆたう金魚かな。金魚電話ボックス事件大阪高裁判決の思考を追う

現代美術作品は著作権法でどこまで保護されるのか? 地裁と高裁で結論が逆転した注目の裁判「金魚電話ボックス事件」についてArt Lawを専門領域とする弁護士の木村剛大が両判決を比較しつつ、独自の視点を交え解説する。

文=木村剛大

山本伸樹  メッセージ 1998 出典=金魚電話ボックス事件訴状(http://narapress.jp/message/)
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 2021年1月14日、金魚電話ボックス事件に関する大阪高裁判決が下された(*1)。結果は、著作権侵害を認めなかった奈良地裁の判決(*2)を覆し、被告らに対して被告作品の制作を禁止し、55万円の支払いを命じる逆転判決だった。

金魚電話ボックス事件の経緯

 この裁判の原告は、現代美術家の山本伸樹氏であり、山本氏が1998年(*3)に制作、発表した作品《メッセージ》と被告作品《金魚電話ボックス》が似ており、原告の著作権を侵害すると主張して裁判となった。

被告作品 金魚電話ボックス 出典=金魚電話ボックス事件訴状(http://narapress.jp/message/)

 被告は、《金魚電話ボックス》の所有者である郡山柳町商店街共同組合と小山豊氏(争いがあったが、両者は《金魚電話ボックス》の制作者と認定されている。)である。

 《メッセージ》は、電話ボックスのような造作物(電話ボックスそのものではなく、原告が一から制作したもの。)を水槽として使い、そのなかで金魚が泳いでいる作品である。この作品は、いわき市立美術館や全国各地で展示され、メディアにも取り上げられていた。

 被告作品は、金魚の名産地として知られる奈良県大和郡山市に2014年2月22日から2018年4月10日まで設置された《金魚電話ボックス》と呼ばれる作品である。

 見てのとおり、《金魚電話ボックス》では、電話ボックスのような造作物(実際に使用されていた電話ボックスの部材を利用して制作されたもの)を水槽として使い、そのなかで金魚が泳いでいる。インスタ映えするということで人気の観光スポットになっていたそうだ。

 この作品は、元々は京都造形芸術大学(現名称:京都芸術大学)で銅金裕司教授の指導を受けていた6名の学生グループ「金魚部」が制作し、2011年10月に大阪市内で開催されたアートイベント「おおさかカンヴァス2011」で発表した作品《テレ金》が前身となっている。

 なお、《テレ金》は、泳いでいる金魚の数が約1000匹であり、気泡は受話器からだけでなく、底面辺りから大量に発生しており、受話器から発生している気泡はほとんど目立たない。

金魚部 テレ金 出典=おおさかカンヴァスウェブサイト(http://osaka-canvas.jp/archive/project/osc2011/99/)

 《テレ金》が2012年のおおさかカンヴァスでも展示されようとしていると知った山本氏は、おおさかカンヴァスの事務局や金魚部に抗議し、その結果金魚部は出品を辞退した。

 2013年3月から4月にかけての「大和郡山お城まつり」で金魚部が《テレ金》を展示した際に、小山氏は設置を手伝っている。その後、金魚部は活動を停止し、部材を譲り受けた大和郡山の有志の集いである「金魚の会」(代表は小山氏)がアートイベント「HANARART(はならぁと)2013」で《金魚電話》として展示した。

 なお、《金魚電話》は《テレ金》とほぼ同様の状態で展示されたときもあったが、金魚の数が原告作品と同程度(約50〜150匹)で、床面からの気泡発生があまりない状態で展示されたこともあった。

 このイベント後には金魚の会から小山氏に《金魚電話》の部材が承継され、大和郡山市柳町商店街の喫茶店「K COFFEE」の屋外部分に《金魚電話ボックス》として設置された。

 《金魚電話ボックス》の設置を知った山本氏は、自分で費用を負担して、被告作品をデザインし直し、再度山本氏の作品として設置するよう商店街組合に申し入れ、交渉が行われたが、結局交渉は決裂し、商店街組合は、2018年4月10日、《金魚電話ボックス》を撤去し、その後水を抜いた状態で保管していた。

《テレ金》から《金魚電話ボックス》へ至る経緯

著作権法の考え方 「依拠」と「類似性」、「アイデア」と「表現」の区別

 著作権侵害というためには、「依拠」と「類似性」が必要になる。「依拠」というのは、他人の著作物に接し、それを自己の作品の中に用いることをいう。つまり、偶然似た作品をつくっても他の作品に依拠したことにならないので、著作権侵害ではない。著作物は公に登録されているわけではないし、膨大な数の作品があるため、偶然似てしまうこともありうる。

 「類似性」は、その名のとおり、似ていることだが、どの程度似ていれば類似とするのかはハッキリとした線引きをすることは難しい。ただ、そんなに広く類似とするわけではない。

 なぜ広く類似にしないのだろうか? 著作権法の世界では表現を保護し、アイデアは保護しない。大きな視点をいうと、著作権法は、アーティストの保護と著作物の公正な利用によって文化の発展に寄与することを目的としている。

 アイデアは保護しないのは、あるアイデアからは多様な表現が生まれ、多様な表現が生まれることが文化の発展に寄与する、という著作権法の設計思想があるからだ。

著作権法の設計思想

 そうすると、「類似」と認めることは先行作品の作者にその表現を独占させることになるから、多様な表現を志向するためには、あまり広く類似と認めて先行する作者にある表現形式を独占させると不都合というわけだ。

 そのため、どうしても類似性を判断するときには、作品の細かな外観が似ているかを考慮することになる。現代美術ではコンセプト、アイデアが重視されるが、そのコンセプトやアイデアが共通する、似ているだけでは著作権の侵害にはならない。

 著作権侵害になるためには、アイデアではなく創作的な表現に共通性がなければいけない。創作的な表現というのは作者の何らかの個性が発揮された表現という意味で、高い独創性までは求められない。

 結局のところ、創作性をどの程度で認めるかは、ある表現を著作物として扱うことで作品を創作した人に一定の独占権を与えて創作のインセンティブを与えるほうが多様な表現物を生むために望ましいのか、それとも後発者による表現の過度な制約につながるかを考慮したうえでなされる判断なのである。

大阪高裁と奈良地裁の判断はなぜ逆転したのか?

原告作品の創作性はどこにある?

 まず、奈良地裁も大阪高裁も原告作品が著作物であると認定しているが、それぞれどの部分を創作性のある表現と認定したのかは異なっている。この点が、判決文から明確にポイントとなった点である。

 奈良地裁は、原告作品について、「公衆電話ボックス様の色・形状・内部に設置された公衆電話機の種類・色・配置等の具体的な表現」に創作性があるとして著作物と認めた。

 いっぽうで、次の表で整理したとおり、大阪高裁は、奈良地裁がアイデアにすぎないとした、「公衆電話の受話器が受話器を掛けておくハンガー部から外されて水中に浮いた状態で固定され、その受話部から気泡が発生している点」を創作性ある表現だとしている。

奈良地裁と大阪高裁との判断の比較

原告作品はどこまで保護されるのか?

 次に、両作品を対比して著作権侵害になるかの検討である。

 奈良地裁は、原告が主張する被告作品と共通する点、つまり、①外観上ほぼ同一形状の公衆電話ボックス様の造作水槽内に金魚を泳がしている点、②同造作水槽内に公衆電話機を設置し、公衆電話機の受話器部分から気泡を発生させる仕組みを採用している点は、著作権法の保護の及ばないアイデアだとして著作権侵害は認めなかった。

 他方で、大阪高裁による原告作品と被告作品の共通点は、①公衆電話ボックス様の造作水槽に水が入れられ、水中に主に赤色の金魚が50匹から150匹程度泳いでいる、②公衆電話機の受話器がハンガー部から外されて水中に浮いた状態で固定され、その受話部から気泡が発生している点である(下線部は奈良地裁より詳細にしている点)。

 これらの共通点は、原告作品のうち表現上の創作性のある部分と重なると判断したのに対し、相違点(次の表「相違点」①〜⑥参照)は、いずれもありふれた表現や鑑賞者が注意を向けない表現にすぎないとした。

奈良地裁と大阪高裁との共通点、相違点に関する認定の比較

被告作品は原告作品に依拠したのか?

 筆者がとくに注目したのは、大阪高裁の依拠性の認定である。大阪高裁は、詳細に本件の経緯について事実認定して被告作品が原告作品に依拠したと結論付けた。大阪高裁判決では、地裁判決では明らかでなかった事実が多く取り上げられている。

 なお、奈良地裁は、原告作品と被告作品の対比をして類似しないから著作権侵害ではないという結論を導いており、被告作品が原告作品に依拠したかの検討はしていない(理論的にはこのような判断手法は問題ない)。

 山本氏は、2012年8月ころ、《テレ金》についておおさかカンヴァス事務局と金魚部に抗議した結果、金魚部は2012年のおおさかカンヴァスへの《テレ金》への出品を辞退している。このような経緯から遅くとも金魚部や指導者である銅金教授は、原告作品の存在や山本氏の主張内容を知ったと大阪高裁は指摘した。

 また、山本氏は、2013年12月にはならぁと2013の実行委員長に対して《金魚電話》が原告作品の著作権を侵害すると抗議し、また、小山氏に対しても同様の抗議をしたと主張し、この裁判でも本人尋問で同様の供述をしている。

 これに対して、小山氏は、本人尋問で山本氏と話をしたことはなく、原告作品も知らなかったと供述した。

 しかし、大阪高裁は、次のように指摘し、小山氏の供述は信用できないと判断して、小山氏は原告作品に依拠して被告作品を制作したと認定している。

  • 小山氏は、2011年5月ころには銅金教授や金魚部のメンバーと知り合い、その後継続して関係を持っていたし、また、小山氏は《テレ金》の部材を金魚部から承継した金魚の会の代表者でもあり、「はならぁと2013」で《金魚電話》を展示する際にも銅金教授と話をして展示に関してアドバイスまで受けている。
  • はならぁと2013実行委員長が山本氏に宛てた抗議に対する回答書では、「以前の山本様との間のいきさつもある程度聞き及んではおりましたが」との記載があり、この「いきさつ」は《テレ金》に対する山本氏の抗議のことを意味すると解するほかない。
  • 《金魚電話》を担当したわけでもない実行委員長が山本氏による抗議のことを聞いている以上、《金魚電話》の直接の担当者で、金魚部のメンバーや銅金教授と親交のある小山氏が聞き及んでいなかったとは考え難い。

 裁判になる前の報道段階で原告作品と被告作品を対比して見た限りでは、アイデアは共通するが、著作権侵害にはならない範囲の類似性だろうとの印象であった。

 しかし、大阪高裁で詳細に認定された本件の経緯を踏まえて見るとどうだろう? この判決は十分な説得力を生んでいるように思う。大阪高裁も、著作権法の解釈としては、類似の範囲をかなり広めに解釈することになるとの認識の下で、説得力を高めるために、依拠性の認定を丁寧に行ったのではないか。

西瓜写真事件との共通点とは?

 大阪高裁の判決文を読んで想起した事件がある。それは写真著作権に関する裁判として有名な西瓜写真事件だ(*4)。

 この西瓜写真事件も、東京地裁(*5)は、原告黄建勲氏の写真と被告写真は類似しないと判断して著作権侵害を否定したが、東京高裁は結論を逆転させて、被告の著作権侵害を認めた。

黄建勲 みずみずしい西瓜(左)| 被告写真(右)
出典=東京高裁判決別紙

 しかし、西瓜写真事件を想起したのは、地裁の結論が高裁で覆った結果が金魚電話ボックス事件と共通するからではない。

 この事件の被告は、被告写真の撮影経緯について旭川市に果物写真の撮影に赴き付近の西瓜畑にあった西瓜を独自の着想によって撮影したと主張していた。

 ところが、控訴審で被告写真に写っている楕円球の西瓜様のものは西瓜畑にあるはずのない冬瓜であったことが判明したのである。

 東京高裁は、被告が、原告写真に依拠しない限り、到底、被告写真を撮影することができなかったとまで断じており、このような経緯が東京高裁の類似性の判断にも影響を与えたと筆者は考えている。

 金魚電話ボックス事件でも、大阪高裁は、原告作品を知らなかったという小山氏の供述の信用性を否定している上、《テレ金》を承継したはずの《金魚電話ボックス》が金魚の数(約1000匹→約50〜150匹)や気泡の発生方法(底面から大量に発生→受話器から発生)の点で原告作品の表現に近づいている事実関係も、原告を勝たせるべき事件だという判断に作用したのではないだろうか。

 金魚電話ボックス事件と西瓜写真事件の共通点は、いずれも依拠性の認定を通じて被告の不誠実な態度が浮上したことにより、類似の範囲を通常よりも広めに解釈したように見える点である。

 そのため、本件のような経緯がなくても、原告作品が大阪高裁判決と同じ範囲で保護されるかというと、そうはならないと筆者は考えている。

 筆者は、「現代美術のオリジナリティとは何か?著作権法から見た『レディメイド』(2)」で、次のように書いた。

 レディメイドをはじめとする現代美術作品は、作品の外観よりもコンセプトに比重がある作品が多く、一見して著作権法の守備範囲から外れるアイデア保護に見えがちである。

 いかに斬新であってもアイデア自体を保護することはできない。いっぽうで、作品の外観だけを見ていても、現代美術作品の本質は見えてこない。

 これまで検討したように、著作権法の解釈としても、作品のコンセプトを創作性の判断の際に考慮したうえ、作品に現れた具体的な表現を保護することはできるし、そうすべきである。

 しかし、金魚電話ボックス事件で問題となったように、現代美術作品の保護範囲をどの程度とするかは難しい。似た作品に対しても、どうしても細かな外観上の表現の違いはあるため、共通部分はアイデアにすぎないという判断になりやすいからである。…

 個別の事案で妥当な結論を導くためには新たな論理が必要になる。具体的には、後発者がことさらに先行者の作品を模倣しようという強い依拠性がある場合に、類似の範囲を通常よりも広げる解釈は成り立ちうるかもしれない。

 金魚電話ボックス事件大阪高裁判決は、このような新たな論理の可能性を見せてくれたのかもしれない。

*1──大阪高判令和3年1月14日(令和元年(ネ)第1735号)〔金魚電話ボックス事件控訴審〕。なお、判決文は、http://narapress.jp/message/で公開されている。
*2──奈良地判令和元年7月11日(平成30年(ワ)第466号)〔金魚電話ボックス事件第一審〕
*3──正確には原告作品の原型となる公衆電話ボックス様造作水槽内にメダカやタナゴを泳がせた作品の制作年。金魚を泳がせた作品の発表は2000年である。
*4──東京高判平成12年6月21日判時1765号96頁〔西瓜写真事件控訴審〕​​​​​​
​*5──東京地判平成11年12月15日判時1699号145頁〔西瓜写真事件第一審〕