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INSIGHT - 2020.4.14

新型コロナウイルス、もし美術館で感染者が出たら? 保存・修復の専門家に予測される対処法を聞く

多くの美術館・博物館が、新型コロナウイルス感染拡大を防止するために長期の臨時休館となっている。現時点では国内のミュージアムで感染者が出たという報道はないが、もし今後そのようなケースが発生した場合、ミュージアムはどのような対応を取ることが考えられるのか? 美術作品の保存・修復の専門家である東海大学情報技術センター(TRIC)講師・田口かおりに聞いた。

聞き手=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

新型コロナウイルスの影響で休館しているメトロポリタン美術館 (C)Getty Images
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 国内外で、膨大な数の美術館・博物館が新型コロナウイルス感染拡大防止のために休館措置を取っている。現時点で、日本のミュージアムから感染者が出たという目立った報道はないが、海外ではアートフェア「TEFAFマーストリヒト」の出展者や、メガギャラリー「ペース」CEOなどが感染している。

 このような状況下において、もし国内のミュージアムが再開後に、館内で感染者が確認された場合、どのような措置が考えられるのだろうか? 美術作品の保存・修復を専門とする、東海大学情報技術センター(TRIC)講師・田口かおりに話を聞いた。

対応策は作品を見極め慎重に決定する必要がある──科学者・美術館・保存修復担当の話し合いから冷静な判断を

──開館している各美術館はマスク着用や人数制限などの施策を取っていますが、もし感染者が館内で発生した場合、館内の消毒は必須かと想像できます。そうした際、美術館が取りうる選択肢としてはどのようなものが考えられるでしょうか? 

 各館によってどのような対策をとるかはケースバイケースであると想像しますが、いずれかのタイミングで、やはり閉鎖と消毒の処置が行われることになると思います。3月、トルコのイスタンブール・ファティ地区で、自治体の従業員がアヤソフィア博物館の清掃と消毒を行ったことがニュースになりました。防護服を着用した作業員が、博物館の内部と周囲の全域を掃除して消毒する様子も公開されています。館の職員が館内消毒を行うのはリスクが高く、建物の規模から考えても限界がある例が多いと思いますので、大抵の場合には専門の業者に依頼して、大勢の人々が手で触れたり座ったりした可能性が高いところ──出入り口、休憩スペース、カフェスペース、売店、洗面所などから、館内消毒を実施することになるのではないでしょうか。

トルコにあるアヤソフィア 出典=ウィキメディア・コモンズ(Arild Vågen - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=24932378による)

 作品に関しては、それ自体ウィルスに感染することは考えられず、展覧会は継続されないわけですので、展示作品はそのまま一定期間、安定した温湿度環を維持しながら保管・展示・収蔵し、その後で慎重に点検、必要に応じて梱包・返却(もしくは収蔵庫に収納)する、という手段が考えられると思います。「一定期間」を置いてから点検したほうがいいのではと考えるのは、コロナウィルスについてはまだわからないことがたくさんあるという実情と、作品に付着している飛沫などに作業者が触れてしまうことで発症する接触感染のリスクを考えての提案ですが、それが適切な対応なのか、また、この期間をどれほどの長さに定めるべきかは、感染症疫学や細菌学の専門家からの助言も受けながら、館の方々と保存修復を担当する人が冷静に話し合い、検討することが必要だと思います。

 一定期間を置いた後の点検の際にも、屋内外の立体作品をはじめとする手で触れることが可能な作品群について、どのような点検を行うか、慎重に方針と方法を決定する必要があります。壁に展示されている絵画などの平面作品については、結界などが設置されていることも多いので、本体へ鑑賞者が接触する/した可能性はほとんどないと思いますが、作品と人の距離によっては、作品の額についたガラスやアクリル(グレージング)などに、マスクを外して作品を鑑賞した方の唾液などが付着している可能性があります(咳やくしゃみからの飛沫)。

 物の上での感染性については、従来3時間程度と言われてきましたが、金属やガラス、プラスチックの上で数日間(7日〜9日)残存することもあると言われる新型コロナウイルスは、環境によってはさらに長く生きる可能性もあります。「鼻汁や気道粘膜からの分泌物など粘性のある生体成分に包まれた状態では、表面が乾燥しても内部のウイルスの乾燥は限られていて感染性は安定している」との論考もあり、見かけ上は乾燥しているような唾液の飛沫跡にも、注意を払う必要があります(*1)。以上のことから、グレージングの扱い及び清掃、その実施時期についても、十分な検討が求められるでしょう。

イメージ画像 Pixabay

 具体的にグレージングをはじめとする作品付属物の洗浄や清掃をするとなれば、額の形状や作品の固定方法に気をつけながら、表面を傷つけないクロスなどを用いて、場合によっては水や薬液を使いながら、作品にとって一番安全かつ望ましい方法で注意深く進める必要があります。

 建物の消毒をする人々、作品の点検と今後の対策・処置を考える人々、科学的な助言を行う人々......このように、美術館で大きな感染が広がり対処を余儀無くされる場合には、複数の専門家が集まって、丁寧な検討を重ねながら作業を進めていく共同作業が求められるのではないかと予想します。

「美術作品の表面」簡単ではない

──消毒方法は慎重に決定する必要があると仰いましたが、消毒が作品に与える影響はどのようなものが想定されるでしょうか?

 先ほどお話ししたように、作品本体が新型コロナウイルスにより汚染するということは考えにくいと思いますが、館内の洗浄を作品が展示されている状態で行う必要があるのであれば、消毒で用いられる薬液に作品が直接触れることがないよう、十分な対策を講じる必要があると思います。

 汚染区域の消毒に使用されているものとして、米環境保護庁(EPA)が公開したリストに挙げられている薬剤(COVID-19を引き起こすウイルスであるSARS-CoV-2に対して具体的にはテストされていないが有効だと考えられているものも含む)があります(*2)。

 日本国内でシェアされている基本的な情報としては、手指の消毒などには消毒用アルコール(濃度70パーセント以上)、物の表面の洗浄などには塩素系漂白剤(次亜塩素酸ナトリウム原液濃度約5~6パーセント)──つまりハイターやブリーチ等を推奨、というものなどがあります。ただ「物の表面」が「美術作品の表面」となれば、当然のことながら、こういった環境用の洗浄液を用いて簡単に「消毒」することはできません。

イメージ画像 Pixabay

──一般的に、保存・修復の現場では作品の消毒はどのように行われているのでしょうか?

 アルコール系の洗浄剤はエタノールやイソプロパノールなどは、修復の世界でも広く使用されています。カビの殺菌や除去をアルコール系の洗浄剤を用いて行うことが多いです。また、燻蒸消毒という作業もあります。虫害やカビによる被害が見受けられる場合に、炭酸ガスや薬剤、フロンガスなどによってカビを殺菌し、そのあと作品本体の洗浄除菌を行う、という作業です。

 最近は、薬剤が作品本体や人体に与える悪影響への懸念から、薬剤の代わりに、密閉した空間の中に窒素ガスを注入するいわゆる「低酸素濃度処理法」による処置も広く採用されています。これは、作品が設置されている空間内の酸素濃度を下げて、害虫を窒息死させる方法です。害虫駆除の話は少し本論からずれますが、消毒液、薬剤などが文化財に与える影響への懸念は修復の世界には常にあり、その取り扱いには慎重が求められます。

 エタノールは、殺菌効果があり、また、入手が難しくないため、カビの殺菌や汚れの除去の処置などにもしばしば用いられます。よって、修復の世界でも馴染みがある存在ではあるのですが、絵画のワニスを溶解する力をもっている洗浄剤なので、取り扱いには注意が必要です。

 加えて、アルコールにはアルミニウム腐食性があるので、アルミニウム素材の作品の表面洗浄にエタノールを使用することにはリスクが伴います。いっぽう、塩素系漂白剤は、濃度によっては染料を分解してしまう危険もあり、また、黄ばみや変色、絵具の変化、劣化の原因となってしまうことがあるので、環境の消毒で使用する際には、作品との距離に十分に気をつける必要があると思います。また、塩素系漂白剤には高い洗浄力がありますが、有害な塩素ガスで発生する使う側(人間)への健康被害や、環境への負荷についても当然考えなくてはならないでしょう。 

──もし館内で感染者が発生した場合、どういった手順が予想されますか?

 館内で感染者が出た場合の手順については、海外のコンサバターとも情報共有を始めていますが、いまのところは、各館で入館時の検温、ヒアリング、手指の消毒、入館者数制限、緊急時の連絡先を聞いておくなど、感染を未然に防ぐ対策や、非常時の連絡手段の確保以上のことは、検討の途上であるという印象です。

 繰り返しになりますが、保存修復の現場では、常に話し合いと冷静な対応が求められています。どのような事態になったとしても、状況を見極め、科学的な分析を手掛かりに適切な対応策を考え、話し合い、協働しながら物事を進めていくという基本的な方針に変わりはありません。

 先ほど述べたような、作品に付着した(かもしれない)飛沫などを洗浄するかどうかについても、海外でも、科学者も含めてこれから話し合いが進むようなので、国を超えた様々な動きを注視していきたいと考えています。

*1── 白木公康「新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のウィルス学的特徴と感染様式の考察」(日本医事新報社、2020年3月21日). https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14278
*2──米環境保護庁(EPA)ウェブサイト(2020年4月9日に更新)