文化施設が重視する「エンゲージメント」
「Cuseumは、テクノロジーを活用し、美術館・博物館・カルチャーアトラクション・NPOなどが、来館者・メンバー・パトロンとのエンゲージメントを強化する後押しをしてきました」。Cuseum創立者のブレンダン・シエコはそう語る。会社の設立からまだ5年しか経っていないが、Cuseumの提供するソフトウェア・プラットフォームは、国内外100以上の文化施設にすでに導入。そのなかには、サンフランシスコ近代美術館、ホワイトハウス歴史協会、ICAボストン、シアトル美術館など、世界各国から多くの人々が訪れる施設も含まれている。
「エンゲージメント」とは、「愛着」「絆」「深い関係性」などを指す言葉である。文化施設がとくに重視する「ビジター・エンゲージメント」とは、「来館者が感じる施設とのつながりや、施設を訪れることで受け取る価値のことを意味する」とシエコは言う。美術館で一般的に行われている、オーディオガイドやギャラリーツアーの提供、講演会・特別イベント・メンバー限定の内覧会の開催などは、すべて「ビジター・エンゲージメント」の一環として考えられる。こうしたサービスや企画を通じてファンを増やすことは、多くの文化施設にとって、存在意義に直結する重要な課題ととらえられている。
Cuseumが進める「モバイル・エンゲージメント」
多くの人がモバイル端末を携帯し、1日4時間以上利用しているといわれる現代において、モバイルを活用した「ビジター・エンゲージメント」は、文化施設にとって大きな課題となっている。
「大手ブランドと同様に、文化施設は、注目を集め、人々を魅了し、付加価値を大いに備えた存在になるべく様々な試みを始めています。その戦略を練るうえで、モバイルの活用は必要不可欠です」。
文化施設のSNS利用はすでに広く行われているが、「ビジター・エンゲージメント」の観点から、多くの施設が期待を寄せているのがモバイルアプリの利用だ。
文化施設がモバイルアプリに搭載したいコンテンツは、館内マップ、オーディオガイド、作品解説、ギャラリーツアーなどとおおむね共通している。これらをアプリ経由で提供できれば、印刷物や音声デバイスの管理が軽減されるのに加え、情報を最新に保つことが容易になる。来館者も、使い慣れた自分のスマートフォンを経由するほうが、情報を享受しやすいだろう。
ところが、実際に美術館などがアプリの開発を手掛けるのは簡単ではない。まずソフトウェア開発者、デザイナー、エンジニア、プロジェクト・マネージャーなどが必要となるのに加え、美術館側の要件を過不足なく実現するには、IT・美術両方の領域を理解する人間もプロジェクトに加わることが望ましく、人材確保のハードルは高くなる。
Cuseumの試算では、インハウスでアプリの開発を行う場合、人件費だけで一般的に40万から70万ドル(約4300〜7600万円)ほどかかるという。さらに、アプリのリリース後に、システムを維持していくことも考慮しなければならない。これらの面倒を避けるため、すべてを外部業者に依頼したとしても、費用が抑えられるとは必ずしも限らないという。このような人材確保、費用、工数といった面での負担を前にして、アプリ導入に二の足を踏む施設が多いのが現状だそうだ。
そこでCuseumが提供するのが、アプリの開発とメンテナンスを丸ごと回避するためのソリューションである。Cuseumのプラットフォームには、館内マップ、オーディオガイド、作品解説などをアプリ用に生成するモジュールが備わっている。それらのもととなるファイルをアップロードし、レイアウトなどを決めるだけで、あとはアプリが機械的に生成できる仕組みになっている。
さらにギャラリーツアー用のモジュールもあり、カスタマイズしたツアーを作成しアプリ経由で配信できる。従来のキュレーターや専門のボランティアなどが率いるギャラリーツアーは、開催時間が決まっており、来館者が美術館の都合に合わせるものであった。アプリ経由のツアーであれば、来館者が自分のタイミングでスタートできる。
「美術館の誇る一番優れたガイドが、24時間365日いつでも、あらゆる言語でツアーを行ってくれるような状況を想像してみてください。私たちのプラットフォームはこれを実現させ、ビジターがより深い鑑賞体験をできるよう後押します」。
デジタル・メンバーシップの普及
メンバーシップ・プログラムの運営も、「メンバー・エンゲージメント」の観点から、いまや欠かせないものとなっている。しかし実際の運営には多くのマニュアル作業が伴う。入会・更新手続き、カードの印刷・郵送などが、年中五月雨式に発生。「カードはいつ届くのか」「カードを無くした」といった問い合わせへの対応も必要で、多くの施設で担当スタッフへの大きな負担となっている。
Cuseumでは、この問題への解決策として「デジタル・メンバーシップ」の発行機能を提供している。この機能を導入すれば、メンバーシップはオンラインで購入可能となり、購入手続き後すぐにデジタル・メンバーシップをスマートフォンにダウンロードして使えるようになる。この間、美術館側の作業は一切不要になる。さらに、メンバー証がスマートフォンに常備されるので、カードを忘れるケースも減り、利用者に取ってもメリットが大きい。
ナッシュビルにある植物園「チークウッド・エステート&ガーデンズ」では、1万4000のメンバーを抱えるなか、担当者は日々メンバー関連の事務作業に追われ、利用者からは「メンバーカード発行が遅い」と苦情を受けることもあった。Cuseumのソリューション導入後は、メンバーシップ運営にかかるコストを年間5万ドル(約540万円)削減。さらにプラスチックのカードを廃止することで、「自然保護」という施設のミッションと一貫性のとれたメンバーシップ・プログラムの運用ができるようになった。
「デジタル・メンバーシップ」は無駄な事務作業をなくし、スタッフが本来の業務に費やせる時間が増えるのが最大の利点。さらにデジタルの方が、カードに比べ、メンバーシップの継続率が高くなるメリットもあるそうだ。
Cuseumの成り立ち
Cuseum創立者のシエコは興味深い経歴の持ち主である。趣味をきっかけに、10代前半からミュージシャンのウェブデザインを手がけ、次々とプロジェクトをこなすうちに音楽業界内で彼の名が広まる。やがて大手レコード会社からも依頼が入るようになり、ヴァン・モリソン、レニー・クラヴィッツ、ケイティ・ペリー、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックなど大物ミュージシャンのサイトを担当するにいたる。極めつけがミック・ジャガーのサイト構築だった。この案件を引き受けた時点で、シエコは若干19歳。シエコの提案したデザインは、気難しいことで知られるジャガーから一発OKをもらった。
シエコは、ミュージシャンの個性を巧みにヴィジュアルに置き換えるだけではなく、サイトをSNSサービスと連携させ、ミュージシャンとファンが交流できる、エンゲージメント重視のデザインをすることでも高い評価を得た。シエコは、若くして数々のプロジェクトを経験しエンゲージメントについて考える機会を多く得ることとなる。
その後シエコの活躍の場は広がり、音楽業界以外でも、テクノロジーやテクノロジーを介したエンゲージメントに関する彼の知見が求められる機会が増える。「いくつかの文化施設と仕事をしたときに、彼らの利用しているテクノロジーがいかに使いづらく、もどかしく、時代遅れなものかを目にしました。アクセス、エンゲージメント、来場者の体験や満足度といった、施設にとって極めて大事なことが、重苦しくて古臭いシステムが足かせになって、実現を阻まれていました」。
アートやカルチャーに非常に深い思い入れがあるというシエコにとって、この状況は看過できなかった。「直感的で、ダイナミックで、すぐに使えるツールを提供し、文化セクターの抱える問題を解決することを目的に、Cuseumをスタートしました」。
AR・AIの活用
Cuseumの手がけるサービスには、AR(拡張現実)やAI技術を利用したものも含まれている。ARにおいては、2017年ペレス美術館と共同で、世界初のAR展覧会を開催。以前取り上げた、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館から盗まれた絵画をARで再現するプロジェクトは、ネット上で大きな反響を呼んだ。
AIは、画像認識やウェイ・ファインディング(目的地探索)機能に活用されている。さらにマシン・ラーニングから生み出される、全く新しい作品鑑賞のコンテクストを提供することも行っている。近々リリースされる新しいプロダクトでは、AIを活用し、文化施設が、来館者・メンバー・寄贈者をより深く理解・把握するためのサービスを提供予定だという。
シエコは語る。「デジタル時代において、たんにその変化の波を切り抜けるだけではなく、変化の中核となりながら、美術館らが施設運営を成功に導くこと、そしてより広い層のオーディエンスとつながるための、真の手助けをするのが、Cuseumの当初からの目標でした。Cuseumはいま、文化施設にテクノロジーを提供する主要プロバイダーとなる途上にあります。これほどやりがいのあることは他にありません」。