INSIGHT - 2019.5.10

第16回芸術評論募集
【佳作】沖啓介「Averages 平均たるもの エドワード・ルシェから始める」

『美術手帖』創刊70周年を記念して開催された「第16回芸術評論募集」。椹木野衣、清水穣、星野太の三氏による選考の結果、次席にウールズィー・ジェレミー、北澤周也、佳作に大岩雄典、沖啓介、はがみちこ、布施琳太郎が選出された(第一席は該当なし)。ここでは、佳作に選ばれた沖啓介「Averages 平均たるもの エドワード・ルシェから始める」をお届けする。

 1枚のスライドを持っている。スライドにはカリフォルニア大学のスタンプが押してあり、ホルダーにはアーティストの名前や制作年とともに、作品のコレクターの名前も見える。絵画作品の記録だ。

 かつてリバーサルフィルムのエマルジョンナンバーは、カラー写真を撮影するときには、必須のチェック項目だった。エマルジョンナンバーによって色補正フィルターを選んだ。写真による絵画作品の記録は、そういう技術的なルールによって限定されていた。撮影したフィルムをスキャナーにかけて色分解して印刷し、美術書や美術雑誌などに製本されていった。美術批評は、ほぼその印刷物の量に規定されていたとも言える。

 いまでは絵画作品は、デジタルイメージとして、ネット上で夥しい数で複製されている。この作家の作品も、数え切れないほどの複製が存在する。夥しい複製イメージと、それにともなう夥しい批評、解説、コメント、つぶやきが同時に存在している(それが21世紀のアート・コメント状況なのだ)。

 そのスライドには風景画が写っている。

 宵闇に家々の影が、周囲の木立とともに夜空を背景にしておぼろげに浮かんでいる。

 ロサンゼルス郊外の住宅地の夕暮れ後の風景だろうか。しかしそれを特定するものはなく、アメリカの新興住宅地の典型とも考えられる。あるいはハリウッドで量産されてきた映画やテレビ番組に登場するシンボリックでしかも平均的なアメリカ様式の家のようでもある。

 この絵の作者は、子供の頃に新聞配達少年として、自転車に乗って家々を巡って新聞を配っていた。彼は、オクラホマで育ち、アートスクールに入るためにロサンゼルスに移住し、その後はそこを自分の表現の文化的な背景として選んで住んでいる。しかしこの少年時代の新聞配達の記憶は、その後の彼の作品に影響を及ぼしているという(*1)。

 新聞というメディア産業も、50年も前には、その配給の末端は「新聞配達少年」という児童労働で担われていた。これはアメリカにも日本にもある末端の情報配給システムだった。エドワード・ルシェの1987年の作品《Averages》は、濃いグレーに沈む風景の真ん中をやや左に外して、左寄せの9本の白いラインが上から並んでいる。右に伸びるラインは、底辺がもっとも長く、頂点のものがもっとも短い。だがそれが上から順番に線の長短の比率が決まっているわけではなく、上から三番目と下から三番目のラインは、微妙に均衡を破って短い。

 この9本の白いラインは、棒グラフのようにも見える。それもどこかで見たことがある統計のようなデータみたいだ。ラインの長さは、量の多少を表し、短くなったラインは、何らかの原因で、順調な数の増加の秩序が破られた事件性のようなものも感じる。

 タイトルの「Averages」は名詞の「average」の複数形であり、それは平均的な庶民やその暮らしぶりを暗示しているだろう。

 ルシェは、多くの絵画表現で言葉を多用する。その言葉は彼の周囲で聴かれる会話、その土地の言葉などから引用されていたりする。彼は「言葉には温度がある(Words have a temperature)(*2)」と言い、さらにシェイクスピアの『ハムレット』から「思いのこもらぬ祈りは 天には届かぬ」、原文では「Words without thoughts never to heaven go」というセリフを引用している。日本語で「祈り」と意訳されている部分は「言葉(Words)」そのもので「思いのこもらぬ言葉」は天には届かないのだ。

 しかし、この作品《Averages》では、言葉ではなく、ライン(あるいはバー)を用いている。彼はグラフィックアーティストでもあり、また写真も撮影し、自分の絵画にその写真に見られる看板やその他の広告的なアイコンを取り入れている。この白いラインはそのような非文字の社会性を示すアイコンなのだ。
 

皮膚の文化遷移

 Hollywoodの白い9文字が丘に貼りついている。この文字についてはさまざまなミステリアスな逸話がある。白い文字は、映画セットやドライブインの看板のように見える。そしてその薄っぺらさが、乾燥した砂漠都市の空気に妙に似合っている。

 ルシェが言葉、文字を使うのは、表現のサイズにこだわらなくてもいいからだという。つまり大きくても小さくても表現のインパクトがあるからだ。このHollywoodの文字も、彼は様々な大きさで表現に使っている。毎日、家を出るとこの文字が目に入ってくると、その度に何かコメントしなくてはならないと思うと言っている(*3)。

 この映画産業都市では、ハリウッド・サインのように文字と背景が組み合わさったような関係をよく見かける。

 ルシェは、ロサンゼルスのアートスクールを卒業してからヨーロッパにしばらく滞在し、そして再度この都市に戻ってきた。そしてそこでアバンギャルドな作品を扱っていたフェラス画廊(Ferus Gallery)で地元のアーテイストたちと交流している。

 彼の言葉によれば、キラキラして気取った派手な街ハリウッドにその画廊はあった。そのころを振りかえると、自分が住む以前の1950年代のキズのある白黒映画のなかに暮らしているような気がしたという(*4)。

 ここでルシェが付き合ったガールフレンドたちのポートレイトは、『Five 1965 Girlfriends』という1970年制作の小冊子(いまで言えばZineだ)にまとめられている。5人の若い女性たちは、それぞれ個性的で写真も女優のブロマイドのようだ。カメラマンはジュリアン・ワッサー(*5)で、彼は、 『Time』誌のカメラマンとしても働いていた。

 この小冊子の冒頭を飾っている娘の名前は、イブ・バビッツ。この女性の存在によって、写真集はダダ的な色調を帯びている。

 とりわけマルセル・デュシャンをよく知るなら、この女性の名前を知らなくとも彼女がデュシャンと一緒に写っている写真を見たことがあるはずだ。

 盤面に目を落としてチェスに興じるかのようなデュシャン。チェス・ボードを挟んだ相手は若い女性。デュシャンはスーツ姿だが、相手の女性は大きめのふくよかな乳房を見せて全裸。1963年にパサデナ美術館(現ノートン・サイモン美術館)でデュシャンの「回顧展」が開催されたときのものだ(この展覧会のオープニングには、エドワード・ルシェ、アンディ・ウォーホル、ロバート・アーウィンなどが訪れたという)。

 向かい合う2人の向こうには、代表作品の「大ガラス」が見える。概念がスーツで固まったかのようなデュシャンに対して、あっけらかんと素っ裸の若い女性のコントラストは、デュシャンが写っている写真のなかでもライブ感のあるエロチシズムだ。

 「大ガラス」として通称されるこの作品の正式な題名は《彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも》であり、その花嫁の如く裸になったイブ・バビッツは当時20歳だった。チェスでデュシャンと向かいあった写真が撮られたのは1963年だ。

 この写真を撮影したのも、ジュリアン・ワッサーである。彼の2015年のロバート・バーマン画廊での個展「デュシャンのパサデナ再訪(*6)」では、大ガラスの前に等身大のデュシャンと裸の女性がチェス盤をのせたテーブルを挟んで向かいあっている写真がディスプレイで再現されている。

 パサデナでの回顧展を遡る1947年の国際シュールレアリスム展では、デュシャンは同展のカタログの表紙を《Prière de toucher》という作品で飾っている。乳首を中心に配した女性の乳房のかたちをした皮膚にフォームラバーを使った柔らかいオブジェが貼りつけられたものだ。この女性の乳房は、性器を型どったりしたエロチックな作品群のひとつに数えられる。

 1944年から1966年までの間、デュシャンは秘密裡に制作していて、彼の死後は「遺作」として知られる《(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ(Given: 1. The Waterfall, 2. The Illuminating Gas)》となった。

 1963年にパサデナで回顧展が開催された時には、もちろんその制作過程のなかにあった。イブ・バビッツは、ハリウッド生まれで、ロサンゼルスのアートシーンを自分の想像も交えて回想する文筆家として知られるようになった。その活動の口火となったのが、デュシャンと全裸でチェスを興じるこの写真だった。

  カリフォルニア大学サンディエゴ校に1972年から73年、そしてその後は同大学アーバイン校に滞在した際に、『パシフィックウォール(Le Mur du Pacifique)』を著したフランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールは、こう言っている:

ロサンゼルスは世界の首都である。なぜならそれはヨーロッパやアメリカ東海岸型の都市ではないからだ。それは、教会や行政の、あるいは経済中心地などのまとまりが見える都市ではない。しかし高速道路と40マイルに及ぶ大通りで描かれた、一時的に占有された正方形で成り立つゲームのチェッカーボードだ。このチェッカーボードは、女性の(開口部も含む)身体の象徴ではなく、むしろ皮膚(白人女性の、荒っぽく連続している接合部)である(*7)。

 この奇妙なエッセイ集では頻繁に「皮膚」について言及しているが、このフランス人哲学者は、ロサンゼルスの格子状の街並みにも奇妙に白人女性の皮膚を感じ取っていたのだ。 ここでの白人女性の皮膚は、むしろリオタールにとってはカリフォルニアであり、それはヨーロッパが行き着いたさいはての象徴でもある。

 このエッセイ集『パシフィックウォール』の最初のエピソードは、エドワード・キーンホルツの作品《Five Car Stud》から始まっている。エドワード・キーンホルツが1969年から72年にかけてロサンゼルスで制作し、現代版画工房として名高いジェミナイG.E.L. Gemini G.E.L.の駐車場で写真撮影されてもいるインスタレーション作品で、その後ドクメンタ5(1972)でセンセーショナルに展示されたもので、ドクメンタ終了後は、長い間日本の美術館にあって世界的には陽の目を見ることがなかったが、海外での展示で再び脚光を浴びて現在はプラダ財団が保有しているという数奇な運命をたどってきた作品である。

 当時この作品をドクメンタ5で見てきたというニューヨークの未亡人で、リオタールが教える女子学生の母親であるグリーンストーン夫人の感想が紹介される。彼女は、1930年代にドイツからニューヨークに移り住んだユダヤ人系の男性の友人とドクメンタを訪れた。そしてこの作品の意味するところを母娘で長い間話あったという。

 《Five Car Stud》は、白人女性と談話していた黒人男性が、白人の男たちにリンチされる様子を、等身大の人型と、5台の自動車やその他の「ファウンド・オブジェクト」で構成されたインスタレーション作品である。

 自動車からは中心に向かってヘッドライトが当てられていて、その光が集まるところでは、3人の白人男性が1人の黒人男性を押さえて男性器を切り取ろうとし、1人は銃をかまえながら見下ろしながら脇に立っていて、また1人の男は縄を黒人男性の足にかけて引っ張っている。黒人の身体は水槽になっていて6つの文字が浮かんでおり、それはたまにN, I, G, G, E, Rと並ぶこともある。暴行からやや離れて自動車のドアに半身を残すように立つ男が銃を持って様子を見ている。そのクルマの助手席には、途方にくれる白人女性が座っている。リンチする白人の男たちは、さまざまな怪人マスクをつけて顔を隠している。

 昼間でも闇が覆う暗い部屋に設置されたインスタレーション作品のため、観客は否応なく、このリンチの現場に近づいて暴力行為を目の当たりにしなければならない。またキーンホルツが用いていた人体から直接に石膏で型取りする手法さえも、当時はきわめて暴力的に荒々しいものと受け取られていた。さらにキーンホルツは、ドクメンタでは、定められた展示会場での展示を拒み、屋外に空気圧で膨らむドーム型テントを設け、そこにインスタレーションを設置した。そこに入ると観客もその作品の一部と化してしまうのだった。

 この作品が展示された1972年の政治や文化の状況からすると、激烈な政治的、文化的なインパクトを持って受け取られている。 ドクメンタ5は、ディレクターをハラルド・ゼーマン(*8)が担当し、このキーンホルツ作品を世界的に知らしめた。

 リオタールはこの作品の解釈をたんに人種差別にとどまらず、むしろ世界の「中央」としての西洋に対する西洋の果てという図式で読み取ろうとしている。そこでは、黒人に対する言葉である「ニガー」は、移民とか流入者の意味にも重ねられている。

 キーンホルツは、展覧会主催者によって定められた会場であるフレデリック二世の偉業にちなんで創建された建物での展示を拒み、分厚い濃緑色素材(移動も可能)のテント内に作品を設置した。リオタールは、その場所が「行き止まり」になっている理由を考察している。そこには「アメリカ―ローマ―ドイツ帝国」に対する位置構造を読み取っている。

 さらにリオタールは、もともとヨーロッパ系白人だがカリフォルニアで日焼けした自分の女子学生の皮膚の色にもこの土地のあり方を読み取っている。

 20世紀の最後の10年間で、多くのものをデジタル化することが可能となった。人間の遺伝情報についても、ヒトゲノムの塩基配列の解読を目的としたヒトゲノム計画は1984年に提案され、1991年から解読が開始され、2003年に解読完了が宣言された。20世紀と21世紀を大きく区別するものは、デジタル技術とその発展形であり、それにより身体観も大きく変容している。ヒトゲノム解読もデジタル技術なくして実現することはなかった。

ヘザー・デューイ=ハグボーグ Stranger Visions 2012-13

 ヘザー・デューイ=ハグボーグの2012〜13年の作品《ストレンジャー・ヴィジョン(Stranger Vision)》は、街の公共空間(駅の待合、公衆便所、道路など)で採取した髪の毛、噛み捨てられたチューインガムやタバコの吸いさしなどに含まれる唾液から遺伝情報を取り出し、その情報をもとに持ち主の顔を再現させる作品だ。採取物から取り出した遺伝情報から、その人の皮膚や目の色、顔の特徴、性別、人種などさまざまな情報を読み取ることができる。サンプルからDNAフェノタイプ(表現型)にしたがって立体的に顔を再現し、採取物と採取場所の記録写真とともに3Dプリンターで出力した顔のマスクを展示するものである。バイオアートの表現では、データやサンプルそのものや機器を展示するような傾向が多いなかで、 彼女は自身の作品の「表現型」として人顔のオブジェをつくって見せた。

 ニューヨークの街は、世界の多様な人種の人々が往きかっている。皮膚の色も、眼の色も、また顔立ちも、それぞれ特徴を持っている。まさに遺伝情報サンプリングに適したところだ。

 そういったニューヨークに限らず、人々は、ごく普通に世界のいたるところで自分の特徴を示す遺伝情報をばらまいている。人々は、遺伝情報からどのようなことがわかるかは気にしないでいる。

 デューイ=ハグボーグは、ニューヨークのバイオラボのGenspaceで基礎的なバイオテクノロジー技術を習得した。彼女が作品で使用している技術は、Forensic DNA phenotyping(FDA:法医学DNA表現型解析)といい、DNA解析からその表現型を予測するもので、法医学分野で使用されているものである。

 バイオテクノロジーの分野は、巨大なバイオ産業があるいっぽうで、研究者やバイオハッカーやアーティストたちが、地域でラボをつくって、バイオテクノロジーを研究したりワークショップを開催している。バイオラボは、アメリカの都市部を中心にいたるところにあり、先端技術とその文化の理解を促進している。

ヘザー・デューイ=ハグボーグ Radical Love: Chelsea Manning 2015

 2015年に彼女は、さらに社会的に大きなインパクトがある《ラジカルな愛:チェルシー・マニング(Radical Love: Chelsea Manning)》という作品を制作している。

 このタイトルは「正義を求めることはラジカルなのか? 愛によって救われることはラジカルなのか? 優しさに対して破壊的なものか? 自分に忠実であることはラジカルなのか?(*9)」というチェルシー・マニングの言葉に由来している。

 チェルシー・エリザベス・マニングは、性同一性障害者のための活動家であり、不正告発者である。誕生時の名前はブラッドリー・エドワード・マニングで、元アメリカ陸軍兵士だ。彼女は、2009年にイラクで情報分析官として陸軍部隊に任命されて軍の機密文書を扱っていた。2010年前半に、機密情報告発サイトを運営するWikiLeaksに機密情報を渡した。

 その件で逮捕された彼女は、22の罪で告発され、それには最高刑が死刑となる「敵幇助罪」も含まれていた。けっきょくはその他の罪で2013年に懲役35年の刑が言い渡され、厳重な軍事刑務所に服役することになった。

 デューイ=ハグボーグは服役中のマニングと手紙のやり取りを始める。特殊な重罪で服役中の彼女は家族、弁護士など身近な者以外は接見を許されず、近影の肖像写真などは認められず、社会の目からそらされるように仕組まれていた。しかし、デューイ=ハグボーグは手紙のやりとりで入手したマニングの口腔粘膜を採取したものや切り取った髪の毛からDNAを抽出し、FDAを用いて彼女の2つの3次元顔マスクを作り出した。1つは誕生時の性でありアルゴリズム的にニュートラルな性のものであり、もう1つは「女性」を割り当てたものだ。

 国家的な威信を持った厳重な監視をかいくぐって、遺伝子データがこのようにしてそこを通過したのは痛快なハッキングである。しかし今後は国家が遺伝子レベルでの監視を強めることになる危惧が見えているかもしれない。

 ちなみにマニングは、任期切れ直前ののオバマ大統領によって特赦がもたらされ、釈放された。
 

都市のアナリティクス

 ルシェは、絵画、写真、版画、映画以外にも、小冊子をつくるなど多様な表現手段を用いるアーティストである。ルシェは、ロサンゼルスの文化にマクロにもミクロにも感応している。さまざまなな手法でそれを描いてみせている。

 《Every Building on the Sunset Strip(サンセット・ストリップのすべての建物)》(1966)は、 ハリウッドにあるサンセット大通りの2.4キロメートルほどあるサンセット・ストリップ地区沿いの道を挟んた両サイドの街並みを東西に移動しながら、長いパノラマ状に撮影して蛇腹に折りたたんだプリント作品である。道路を中心に両サイドの街並みは天地が入れ替わっている。めぼしい建物には番地(正確には建物番号)が入っていて、それも写真と同じに上下に向きが替わっている。ちょうどこの通りをドライブしながら眺めるような感覚をもたらす。

 サンセット・ストリップは、いわゆる「目抜き通り」であり、商業ならび歓楽街である。しかしこの3キロにも満たない地域は、外国や他の地域から訪れた者にとっては、落ち着かない気分がつきまとう。それは場所の中心が希薄だからだ。サンセット・ストリップを紹介する観光写真は、主に音楽や映画の広告が中心の大型看板と車が行き交う道路を写しているだけである。王宮も城壁も記念碑も広場も市場もあるわけではない。そこは旧来の都市とは異なる構造を持っている。だからといって、未来を見渡せる新しい都市ではない。自家用車を中心にした移動を根底とした、いわばフォードイズム以降をもっとも体現した20世紀、つまり「前世紀」の都市の一例と言える。

Daniel Goddemeyer, Moritz Stefaner, Dominikus Baur, Lev Manovich OnBroadway Interactive installation 2014-2015
http://on-broadway.nyc.

 近代都市は、文筆家、画家、写真家、映像作家、デジタルアーティストなどさまざまな表現者たちによって描かれてきた。

 情報技術を駆使するアーティストであり理論家であるレフ・マノヴィッチのプロジェクト「On Broadway(オン・ブロードウェイ)」(2015)は、さまざまな都市表現があるなかで、直接的な啓示を受けたのは、エドワード・ルシェの「サンセット・ストリップのすべての建物」であるという。

 ルシェがロサンゼルスのサンセット・ストリップの道路沿いの街並みを「写真」で記録したように、マノヴィッチは、ニューヨークのブロードウェイ Broadwayの道路沿いの「データ」を扱っている。

 この作品は2015年から翌年にかけてニューヨーク公立図書館に設置されたインタラクティブなシステムとして、来館者が操作、体験できるものである(*10)。このプロジェクトのサイトでは「データストリート(The Data Street)」という見出しで、「今日、都市はわれわれにデータで語りかけている。多くの都市では、データセットを用意し、ハッカソン(*11)をスポンサーして、それらのデータを利用して役に立つアプリケーションをつくることを奨励している。地元の住民や旅行者たちが、メッセージやメディアを、Twitter、Instagramやその他のソーシャルネットワークに位置情報つきで投稿している。われわれはこれらの新しい情報源を21世紀都市を表現するのにどのように使えるだろうか?」と言っている。

 スマートフォンやパソコンのユーザーらがInstagram、YouTube、Weibo(微博)、VK(*12)などのSNSサイトで公開している写真やビデオからなる「ユーザー生成視覚メディア(User-generated visual media)」は、現在の視覚文化のひとつの大きな核になっている。これらをどのように使うのかというのは、アート表現のみならず、いやむしろ産業分野でのニーズとしても関心事である。

 マノヴィッチは、2005年に「文化アナリティクス」という考えを提唱している。これは、「大規模なコンピュータ処理分析および文化的パターンのインタラクティブな視覚化(*13)」を骨子としている。

 アナリティクスという概念には、目的にもとづいて、さまざまな分析手法やソフトウェアベースのアルゴリズムを駆使しながら、データに潜んでいる特定のパターンや相関関係などの知見を抽出することだという情報分野での説明を加えた方がいいだろう。

 「オン・ブロードウェイ」では、ニューヨークのマンハッタンを南北に走るブロードウェイ通り(Broadway)で、30メートルおきにポイントを定め、通りよりも100メートルほど幅広いエリアを含めるように設定している。全長は2万1390メートル。Instagramに投稿されたイメージと、それらのデータ(位置、日時、タグ、コメント)を2014年に158日間、マノヴィッチたちのラボのコンピュータにダウンロードした。またGoogleストリートビューのイメージ・データに関しては、Google がブロードウェイを撮影した時間に限り、その他のデータ・ソースは、地域ごとに平均を出すのに使った。66万のInstagramの写真を含むイメージとデータを2014年の6ヶ月間シェアし、2009年からのTwitterや位置情報共有サービスのFoursquareを使った場所へのチェックイン・データ、2013年の2千2百万のタクシーの乗降記録、2013年の国勢調査局の経済指標を使用した。

Daniel Goddemeyer, Moritz Stefaner, Dominikus Baur, Lev Manovich OnBroadway Interactive installation 2014-2015
http://on-broadway.nyc.

 この作品から何が見えてくるのだろうか? マノヴィッチたちは、データからパターンと調査結果をまとめて結果をグラフにしている。特徴的なのは、彼らの言葉で言えば「1つの道路、2つの都市(One street, two cities)」ということだ。

 つまり、同じ通り沿いでもまるで別の都市の様に、社会構造が大きな違いを見せている。南端のウォールストリートの金融街のエリアから110丁目までの「ブロードウェイ1(Broadway 1)と、110丁目からマンハッタンの北端までの「ブロードウェイ2(Broadway 2)」と命名されている。

 110丁目は、マンハッタン島の中央に広がる広大なセントラル・パークの北端にあり、そこから北はちょうどハーレムが始まるところだ。ブロードウェイ沿いには、114丁目から6ブロックほどの地域が名門・コロンビア大学のキャンパスがあったり、近所にはニューヨーク大聖堂があったりもする。

 この110丁目あたりを挟んで可視化された2つのブロードウェイのデータはひどく違っている(*14)。先述したInstagramやTwitterなどのソーシャルメディアへの投稿は、ブロードウェイ1では非常に活発だが、ブロードウェイ2では、かなり低い。この現象は、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)への関わりに大きな差があるに止まらず、収入やタクシー利用にも極端な差があるのがわかる。いわゆるデジタル・ディバイド(情報格差)も、収入などの経済格差もはっきり見てとれる。

 写真、映像、コメントをソーシャル・メディアへ投稿することと、収入やタクシー利用などの量にはっきりした相関関係があるのがわかる。つまりより裕福であるかどうかは、ソーシャル・メディアへの関わりの多さと関連しているということだ。

 また別の観点で言えば、建築家のル・コルビュジエが20世紀初頭に著書『建築をめざして』のなかで、近代の家について「家は住むための機械である」と言ったように、それから100年後に、様々な変遷を見てみると、都市の全体は一種の機械として機能しているのだとマノヴィッチたちは言っている。

 「現在、人々は毎日膨大な数の新しいデジタルな創造物を創りだし、共有し、やりとりしており、我々は新しいスケールと速度で文化を見る方法を必要としている(*15)」として、マノヴィッチは2007年に「文化アナリティクス・ラボ(Cultural Analytics Lab)」を設立している。人文科学、社会科学、メディア研究分野からのコンセプトを持って、データ視覚化、デザイン、機械学習、統計学を結合させていくという。

 マノヴィッチの「オン・ブロードウェイ」は、ルシェの「サンセット・ストリップのすべての建物」にインスパイアされたものである。制作年からすると半世紀近い開きがある。マノヴィッチがルシェ作品からインスパイアされたとはいえ、表現方法はまったく異なるものである。

 しかし、その核の部分は何かと言えば、道路に沿って移動していく位置情報とそれにまつわる言語化しない、あるいはしきれない感覚の視覚表現だと言えるだろう。それは一時的にある位置情報を共有する現在のヴァナキュラー(vernacular=その土地特有な)という形容詞あるいはその「土地での言いまわし(などを示す名詞)」でもあるのだ。

インフォメーション・マン

 名高い美術館学芸員のコーネリア・バトラーは、2004年のホイットニー美術館で始まってアメリカ国内を巡回したエドワード・ルシェの「Cotton Puffs, Q-tips, Smoke and Mirrors: The Drawings of Ed Ruscha」展のカタログに、「インフォメーション・マン」という題名のエッセイを寄せている。実は、これはルシェがロサンゼルス現代芸術研究所(*16)のジャーナルで書いた短いテキストの題名に由来している(*17)。

 ある時、男が路上でぼくに近づいてきて、「わたしはインフォメーション・マンです。あなたは13分間、〈あなたの〉という言葉を使っていません。あなたは〈賞賛〉という言葉を18日と3時間と9分間、使っていません。あなたは〈石油〉という言葉を話しのなかで、ほぼ4ヶ月半使用してませんが、あなたは金曜の晩の午後9時35分に〈最後〉という言葉を書き、30秒ほど前に〈ハロー〉という言葉を使いました。」ともしも言ったら、すごいのだけど。

 インフォメーション・マンは、物事の配置や場所についての詳細もまた持っている。彼はおそらく公開されているぼくのすべての本 (17冊が、何もカバーされずに、上向きに置かれている)についてぼくに語ることができる。2026冊が図書館で垂直に置かれ、 2715冊が積み重ねられている。1冊の本でもっとも重いのは68と4分の3ポンドあり、ドイツのケルンの本屋にある。58冊が失われ、14冊が浸水か火事によって完全に崩壊し、216冊は、ひどく擦り切れていると考えられる。とても大きな319冊の本は、たぶんほとんどが書棚にあって、その積み重ねは40度から50度の位置で、奇妙に傾いている。18冊の本は故意に捨てられたか、意図的に破壊された。驚くべきことに53冊の本は、一度も開かれておらず、そのほとんどが新たに購入され、そして一時的に取り置きされたものだ。エドワード・ルシェのおよそ5000冊の購入された本のうち、実際に直に機能的に使われたのはわずか32冊である:それらのうち13冊は紙か他のものの重しとして使われるか、7冊は蝿や蚊のような小さな昆虫を殺すハエ叩きとして使われ、2冊は身体の護身に使われている。10冊は重たいドアを開けるのに使われた(たぶん10冊で一包みになっていてドアを開けるのに使われたのだろう)。2冊は壁の絵を押してレベルを正すのに使われ、クルマの計量棒のオイルを調べるのに布巾として使われ、3冊は枕の下にあった。

 221人が本のページを嗅ぎ、それらはおそらくほとんどがオリジナルで購入されたものだろう。

 そのうち3冊は2年以上前の購入以来、ずっと移動し続けており、それらはすべてワシントン州シアトル近郊の船の上にある。

 この本を議論するのに使われた罵り言葉は以下の通り:312人が罵り言葉を本を批評するのに使い、435人が罵り言葉を本を賞賛するのに使っている(後者の数は、もはや物事を非難するのに罵り言葉を使用しないという事実からだろう)。

 こういうことがわかって、ぼくはうれしい。

 バトラーは、この文の最初の段落部分に出てくる言葉を示しながら、「〈賞賛〉〈石油〉〈ハロー〉の頭韻を踏んだ並置は、ルシェの地元の土地言葉(つまり、やり取りのモード、鮮やかに想起させる物質、時にスラングであったりする歩行者たちの話し方)をまとめたものである。ルシェが小耳に挟んだ会話から生じた小片のぼんやりと愛想の良いあり方は、あきらかに中西部のものであり、彼の語形変化しないファウンド・テクストの親近感は、幼年期のオクラホマから彼といっしょに残ったものだ」と評している(*15)。

 たしかにこの「インフォメーション・マン」は、どこか少年ぽい想像世界を見せているかもしれない。 彼は自分の表現として、書籍を自主出版したが、そういう本の行方についても、このテキストにあるようにイメージを膨らましていたのだろうか。

 本というのは、巨匠たちが書いた歴史的書物以外は、従来はせいぜい発行年をたどるぐらいでしか、 過去の本と接することは困難だった。

 エドワード・ルシェについて書かれた書籍情報を探ると、次のような統計結果が浮上する。

 グラフ1は、ルシェをGoogle Ngram Viewer(以下GNV)で検索して調べた結果である。GNVは、19世紀からの書籍をデジタルデータとして蓄積している巨大なデータベースであるGoogle Booksの書籍のコーパスから「Nグラム法」を用いて検索フレーズがどのように発生したかを示すものである(*18)。

グラフ1

 GNVにある19世紀からの膨大な書籍データ量のなかで、エドワード・ルシェが引用されたものを全書籍のなかでの比率をパーセントで表したのが縦軸の数値である。

 ルシェの名前の「エドワード」は、「エド」という短縮した愛称で呼ばれることがあり、その2つの姓名で検索すると、このグラフのようになる。ほとんどが同じ線グラフを示している(文中で両方が使われているからだ)。

 2000年を境に「エド・ルシェ(Ed Ruscha)」という呼称が、展覧会でも定着し、紹介文でもそのように表記するのが一般化している。このように愛称が定着しているのは、アーティストとしての認知とポピュラリティが拡大、定着していると考えられるだろう。

 ルシェは、学生時代にジャスパー・ジョーンズに影響されたことを認めているが、彼自身は単純にポップやコンセプチュアルな文脈で見られるのを拒んでいる。

 ルシェに関して収集されているデータの最初の出版物データは、『Joe Goode; Edward Ruscha: An exhibition presented by the Fine Arts Patrons of Newport Harbor at the Balboa Pavilion Gallery, March 27 to April 21, 1968』というもので、展覧会に関する出版物である(*19)。

 それはバルボア・パビリオン・ギャラリーで1969年3月末から4月にかけて開催されたもので、美術コレクターたちによって展示された展覧会のようだ。バルボア・パビリオンというのは、ロサンゼルス近郊のニューポート・ビーチで1906年に建造された海岸沿いの商業施設である。この街の発展の象徴的な建物であり、現在はカリフォルニア州でも当時の様式を残す唯一の歴史的建造物になっている。

  2人のアーティストの名前が並列されているが、先に出てくるジョー・グード Joe Goodeは、ポップ・アートの画家であり、1937年生まれで、ルシェと同い年である。ルシェは、ネブラスカ州オマハで生まれているが、幼少期の1941年からロサンゼルス移住までの15年間をオクラホマ州オクラホマシティで育っている(先述した少年期の新聞配達はここでの話だ)。そしてグードは、そのオクラホマシティで生まれ育っている。

 ルシェは、1956年に、グードは、1959年にロサンゼルスに移り住み、2人は共にシュイナード美術大学(現在のカリフォルニア芸術大学[CalArts])に学んでいる。卒業後は、両者ともこの地に根をおろして画業についている。

 このように彼らは、同郷であり、またともに60年代にポップ・アートの影響を受けてアーティストとしてキャリアを開始している(後述するがルシェには、他にもオクラホマ出身のミュージシャンやアーティスト仲間がいて、ルシェを地域的に語るとき、出身地オクラホマと居住地ロサンゼルスの文化的背景は欠かせない)。

 ルシェについての記録が発生した時点と彼を取り巻く状況も、このように見えてくる。

 統計は、他の多くの要素と比較することで、それぞれの統計結果の意味がわかるようになる。もちろんデータは、入力されているデータの質によっても左右される。入力データには偏りなどもあるだろう。しかし、大きな動向を把握するのには適したものであり、また情報そのものも、物理現象や自然現象のように発生や変化や減衰のような過程を持っている。

 グラフ2は、ポップアーティストのアンディ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズ、一般的に20世紀の巨匠と考えられるパブロ・ ピカソ、現代アートの創始者としてのマルセル・デュシャン、また19世紀末に大ブレイクした美術運動としての印象派、15〜16世紀の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてエド・ルシェを、同時に検索してみたものである。グラフ1ではわからない200年間の近現代のアートのあり方のなかでのエド・ルシェの位置が見えている。また現存作家としてこれからまだ語られていく気配のようなものも感じ取れるだろう。

グラフ2

 アートに関するデータにも、インフォメーション・マンのように機能する存在があってあらゆる事柄を知りうることが可能になっている。

 もしもエド・ルシェの作品をなるべくたくさん見たいとする。通常は検索エンジンで調べるとルシェの生い立ちやら、代表的な作品の解説やら、展覧会情報などの記事や批評や研究報告などが出てくる。

 しかし、ルシェらしさの一面を表す小品、版画、写真、小冊子のようなものから見たいなら、むしろルシェ作品の値段を調べるといいだろう。そうすると美術館のカタログや美術雑誌では取り上げきれない数の作品がネットの上に並んでいて、それらの持ち主は個人のコレクターであったり、ブローカーであったり、アートディーラーであったりしている。

 アートは、経済的に見ると、全体としては大きなマーケットを形成しているが、過去と現在を画するのは無数のコレクターが参加するようになっていることだろう。歴史的に主要な芸術作品はかつては富豪や王侯貴族が持っていて閉じられていたが、いまはソーシャルになったと言ってもいいだろう。そしてルシェのように複数制作作品がたくさんマーケットにあって流通しているのは、様々な表現手段を使ったマルチプルな作品を手がけることが次第に一般化していることも示している。そういう意味では現在ではアート・マーケットとコミック・マーケットに共通するようなものも感じられる。

 そしてインフォメーション・マンが把握しているような「物事の配置や場所についての詳細」は、探せば誰もが知ることができるようになっている。
 

騒音と草原の二重性

「近くのバルコニーからひびく音楽は、ときどき起こる暴力行為の騒音にかき消された」 ――J・G・バラード

 バラードが1975年に書いたディストピア小説『ハイライズ」(*20)。

 その舞台である近未来ロンドン近郊の開発地区にある高層マンションには、医者、学者、報道関係者、評論家、有名女優など高度な専門職を持つ住民が住んでいる。高層ビルは、学校やスーパーや飲食店や娯楽施設などを内部に持った社会でもある。住民たちはパーティーを催しながら優雅に暮らしていたのだが、電気系統などの施設の故障などを発端に次第に住民間に亀裂が入るようになり、下層、中層、上層に住むそれぞれが階級的な様相を持って激烈な敵対と抗争が起こるようになる。

 ルシェは1984年の作品《The Music from the Balconies》で、親交があったJ・G・バラードの小説『ハイライズ』(1975)の第9章から先述の言葉を引用している(*21)。

 ルシェは、この小説のテーマや考えを描いたと英国のウルヴァーハンプトン・ギャラリーで2011年10月に開催されたアーティスト・トークで語っている(*22)。

 バラードが1975年に描く20世紀後半のある時期の「近未来」ストーリーでは、言うなれば〈高度プロフェッショナル〉たちが主人公なのだが、それは一方ではこのように描写されている。

未来のプロレタリアートは、こういう高級マンションのはるか高みに、エレガントな調度と知的感受性をいだいて閉じ込められ、脱出の可能性はまったくないのだ(*23)

 この高層ビルのエレベータは、「マンション住人が好きな巨大なポップアート絵画や抽象表現主義絵画などの運搬用に設計(*24)」されているという。

 バラードによるディストピアは、ルシェの表現とは距離があるようにも思えるが、ルシェもディストピア的なダークさを絵画に忍び込ませている。バラードもルシェも、幼児体験を表現に滲ませている。しかしバラードが、少年時代に英国の領地だった上海で育ち、第2次大戦が勃発してからは日本軍の捕虜収容所で3年間過ごしたのに対して、ルシェはオクラホマで過ごし幼少期からの友人たちと都会を夢見ていたような違いはある。バラードが少年期を小説「太陽の帝国」に結晶化させたように、ルシェは田舎と都会の構造を意識的に絵画に取り込んだとも言えるだろう。

 このバラードの物語の言葉にインスパイアされて引用しながらも、ルシェは絵の背景にはオクラホマの草原のような光景を選んでいるのだ。

 ルシェは、2010年にミュージシャンのネルズ・クライン、詩人のデビット・ブレスキンたちと音楽と詩と絵画による共作アルバム『Dirty Baby』を発表している(*25)。

 ミュージシャンのネルズ・クラインは、ロサンゼルス出身で、オルタナティブ、ポストロックなどの分野で活躍するギタリストである。ノイズも取り入れた演奏は、バラードが描くディストピアの雰囲気にもよく似合う。

 だがルシェは、音楽でも田舎と都会の二重性を持っている。改造フォードに乗ってオクラホマからロサンゼルスまで伝説のルート66号線をドライブして「上京」した時に一緒に乗っていたのは、ギタリストのメーソン・ウィリアムズだった。他にも先述のアーティストのジョー・グードや写真家のジェリー・マクミランなど、オクラホマ出身の子供時代からの友人たちとつるんでいた。ルシェ、ウィリアムズ、マクミランの3人は「Okies Go West(オクラホマ人、西へ向かう)」というカントリー・ミュージックのコンサートを2007年に開いている。ルシェが故郷の家族を頻繁に訪れる時に使ったルート66沿いにあったガソリン・スタンドの写真は、1963年に『TwentySix Gasolline Stations』という代表的な本の作品になった。

  田舎臭さと都市の洗練さを併せ持つというのが、ルシェの卓越したスタイルなのだ。ルシェ作品を語るときに、「土地言葉」がつねに引き合いに出されるが、バラード文学との交感にも見られるようなフィクティブな言語文化にも通じているのだ。

秘匿されるイメージ

 ルシェの《Averages》の白い9本のバーは、検閲やその他の理由での「墨塗り」「修正」「削除」のイメージでもある。

 ルシェのシルエット・シリーズやカントリー・シティスケープ・シリーズには、風景を背にした画面にいくつものバーが描かれている。不揃いの横長の長方形が背景の風景に配置されている。検閲によって文字や写真の特定の部分を隠すための手法だ。

 「センサー・ストリップ(Censor strip)」と呼ばれるものだが、ルシェは自身による造語で「ダム・ブロックス(Dumb blocks)」と呼んでいる(dumbとは日本語に適訳がない形容だが、この場合「いまいましい」とか「馬鹿な」に近いだろう)(*26)。

 ルシェは、このような試みを、見る者が作品の中に言葉があるかどうかを再考させる「実験」だと言っている。

 タイピングされて残っているオレンジカウンティ美術館の作品解説原稿では、シルエット・シリーズに関して「夕暮れ時の落ち着かない風景を描き始め、以前からの気まぐれで不遜な言葉は文字修正に似た空白に置き換えられた」と述べられている(*27)。

銀行強盗のメモ 1965 ロサンゼルス警察

 ルシェは、1965年にロサンゼルスで起きた銀行強盗で犯人たちが書いた「脅迫要求メモ」に関心を示している。メモには「Stick up Don’t move Smile(手を上げろ 動くな 笑え)」と三行で書いてある。そして2001年に制作した作品のタイトルがまさにこのメモの文言そのものだ(*28)。

 ルシェは、このような言葉が自分の表現にどのようにして入ってきたかを後日こう語っている。

ぼくは、異なる小さな切り抜き文字でできている「脅迫要求メモ」の視覚的な質にとても興味を持ってたんだ。どういうわけか、これらの脅迫要求メモ、そして「検閲の塗りつぶし」、「空室あり」なども、絵画的要素に溶け込んできた。(*29)

 その「検閲の塗りつぶし」が、風景写真と組みあわされたのが、このシリーズだ。《Averages》の住宅地の風景を背景とした白いバーも、この風景写真の塗りつぶしは、共に視覚的な非言語であるのだが、そのバーの後ろにも何か秘密が隠されているかのように見えてくる。

 しかし現在、デジタル技術によって、隠されたもののあり方は異次元に転移している。

 ヒト・シュタイエル(映像アーティスト、著述家)は、エッセイ「データの海:アポフェニアとパターン(誤)認識(*30)」 の冒頭で、エドワード・スノーデンが公開したファイルの中の「機密」に分類された画像についてこう述べている。

理解しうるものは何も見えないというのは、新しいノーマルである。情報は人間の感覚では捉えられない信号のセットで伝えられている(*31)。

 この画像は、「機密」として扱われているのだが、誰の目にも意味不明のノイズが写っているだけのものだ。キャプションは「スクランブルされた映像の1フレーム」となっている(*32)。

 シュタイエルは、さらに続けてこう言っている:

現代の認識は、機械的なものへと大きく変化している。 人間の視覚のスペクトルは、そのわずかな部分だけをカバーするにすぎない。 機械のために機械によって、コード化された電荷、電波、光パルスは、光よりわずかに遅い速度で処理されている。見ることは、確率計算することに置き換えられている。視覚は重要視されなくなり、フィルタリング、解読、パターン認識に置き換えられている。スノーデンのノイズのイメージは、それが適切に処理され変換されない限り、技術的な信号を知覚することができない一般人の無力さを示しているかもしれない(*33)。

 この画像は、NSAアメリカ国家安全保障局の極秘機関報SIDtodayにコードネーム「Anarchist」として掲載されたものである。映像のスクランブルの仕方と解読方法が記された文書である。そして画像は英国諜報機関GCHQによって解読されている。諜報技術者たちが、2008年以来イスラエル軍がガザを含む地域を空爆していた頃のイスラエルのドローン映像を傍受した画像だという(*34)。

アメリカ国家安全保障局発行の SIDtoday, Anarchist のデータ

 情報の隠蔽は、多くの場合、ルシェの作品にも見られる「塗りつぶし」が典型だが、デジタル技術では不可視のノイズに撹乱されている。

 議会証言でずっと否定されてきたNSAによる国民監視の事実が、スノーデンの機密暴露によって明るみにさらされた。様々な事柄が明るみに出ている。例えばNSAは1日に50億台の携帯電話の位置情報を把握していることも判明している(*35)。スマホの位置情報はつねに記録可能なのだ。

 アンディ・ウォーホルは、「将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」と予言した。シュタイエルによるとそれは当時は正しかったかもしれないが現在ではこうだ:

むしろ、誰でもせめて15分間でも見えなくなりたい、15秒でもいい(*36) 。

 20世紀後半のメディアで拡張していく個人のイメージは、21世紀ではプライバシーと共に簡単に崩されていく。ごく普通の生活を営んでいても、気づかないうちに個人のプライバシーは縮小し、逆に個人データは拡散していく。

 エド・ルシェは、1962年にSAPM缶のイメージを絵画に取り入れた。その絵画の題名は「実物大」といい、大きく拡大されたSPAMの文字と実物大の缶詰が一画面に構成されている。この絵は彼の最初の展覧会で展示され、ルシェは「スパム」という音に銃が弾を発射する音もイメージに抱いていたという(*37)。

エドワード・ルシェ Actual Size 1962 © Edward J. Ruscha IV

 この絵が描かれたのは大量生産と消費主義が全盛の60年代で、タイトルが示す如くルシェの得意な逆説と不条理さが活きている表現だ。

 ところでシュタイエルは、ルシェのSPAM写真も紹介しながら、独特な現在のスパム論を述べている(*38)。

イメージスパムはデジタル世界にある多くの暗黒物質の一つである(*39)。

 「イメージスパム」は、スパムメールのテキストがフィルター削除されるのに対応して、文字を画像ファイル化することで避け、大量の広告メールとして送られるものだ(*40)。

スパム広告

 内容は統計的に薬品、コピー製品、健康増進、投機筋、学位などの広告が多い。こういう広告には、人々が達成したい願望が裏返しになって反映している。

 もちろん今後は人工知能が画像内容を学習してスパムを駆逐するだろうが、人々のこういう心理的な構造が続いていく限りスパムの拡散は続く。むしろシュタイエルが言うように、宇宙から見ると地球からは電波に乗ったスパムが宇宙に流出し続けているのだ。

 20世紀初頭だけで19世紀全体の進歩の歴史を上回ったが、21世紀初頭だけで20世紀後半とはかなり異なる多様な社会システムが見えてきている。

 人々の感情あるいは審美的な部分は、まだ20世紀に片足を突っ込んだままであるし、それが転換されるには技術の加速度的な変化を持ってしてもあとしばらくはかかるだろう。

 20世紀は2度の世界大戦と映画で特色づけられるが、その最後の10年に登場したあらゆるものの「デジタル化」は、いま判断されている以上の重みを持ってくる。デジタルネイティブ世代は、ルシェが新聞配達少年だった過去を振り返るように、初期デジタル 技術の粗いモニター画面のイメージを懐かしむだろう。

 振り向けば、20世紀は音をたてて遠ざかっているし、21世紀には自然物と人工物が多次元で渦を巻いている。

 

*1――”Ed Ruscha AVERAGES” Sotheby’s 解説 この解説では、絵画作品”Averages” に描かれた白線を「グラフ」と解説している。http://www.sothebys.com/fr/auctions/ecatalogue/2017/contemporary-art-day-auction-l17021/lot.222.html 
*2――“In Conversation With Andrew McClintock” SFAQ Volume 2 Issue 5, 2016, p.4
*3――Ed Ruscha – The Tension of Words and Images | TateShots 英国テイトギャラリーのYoutube 映像シリーズ 1 分55 秒あたりからのトーク https://www.youtube.com/watch?v=HoNePbo9DD0 
*4――“In Conversation With Andrew McClintock” SFAQ Volume 2 Issue 5. 2016, p4
*5――ジュリアン・ワッサー、Julian Wasser、 写真家 AP通信社で写真を撮り始めTime誌などで写真を撮る。 http://www.julianwasser.com/index.htm
*6――“Duchamp in Pasadena Revisited”, Summer 2015, Julian Wasser https://www.artsy.net/show/robert-berman-gallery-julian-wasser-duchamp-in-pasadena-revisited-dot-dot-dot
*7――Jean-Francois Lyotard, “Pacific Wall”, translated by Bruce Boone, Lapis Press, 1990 拙訳。リオタールの”Le Mur du Pacifique”の英文への翻訳は2011年にイリノイ大学で行われていてこちらも参照した。 http://www.urbanlab.org/articles/misc/Lyotard%201979%20-%20le%20mur%20du%20pacifique,%20extraits.pdf
*8――ハラルド・ゼーマン、Harald Szeemann(1933年6月11日〜2005年2月18 日)、スイスのキューレーター、アーティスト、美術史家
*9――Radical Love: Chelsea Manning, Heather Dewey-Hagborg https://deweyhagborg.com/projects/radical-love
*10――「On Broadway」 http://on-broadway.nyc/
*11――ハッカソン hack(ハック)+ marathon(マラソン)からの造語で、プログラマーやデザイナーが、決められた時間内でアプリケーション開発などを行う催し
*12――VK ロシアのSNS(ソーシャルネットワーキング・サービス)
*13――Lev Manovich, “Cultural Analytics: Visualizing Cultural Patterns in the Era of ‘More Media’”, DOMUS, Spring, 2009 あるいは: http://manovich.net/content/04-projects/063-cultural-analytics-visualizing-cultural-patterns/60_article_2009.pdf
*14――”On Broadway”プロジェクトサイトの”DATA — PATTERNS AND FINDINGS”の項目参照 http://on-broadway.nyc/
*15――“Cultural Analytics Lab”についての解説ページの最初の段落 http://lab.culturalanalytics.info/p/about.html
*16――The Los Angeles Institute of Contemporary Art(LAICA) 1974年から1987年の間、ロサンゼルスにあったアートスペース。実験的な表現の推進と地元の若いアーティストたちを支援して重要な役割を果たす。
*17――The Information Man, Edward Ruscha, 2 October 1971 http://www.galerie-photo.info/forumgp/read.php?5,70516,70516
*18――沖啓介「19世紀から20世紀の書籍ビッグデータ分析に観られる近現代美術運動の興亡の理解」『 名古屋造形大学紀要』第24号、2018年 Google Ngram ViewerとNgram法の解説と、近代美術史に関する書籍分析についての論文。ここに技術的な説明と利用法を述べている。
*19――”Joe Goode; Edward Ruscha: An exhibition presented by the Fine Arts Patrons of Newport Harbor at the Balboa Pavilion Gallery, March 27 to April 21, 1968” Google Booksで検索可能
*20――J・G・バラード『ハイライズ』、村上博基訳、創元SF文庫、東京創元社
*21――『ハイライズ』第9章「降下地点へ」より、村上博基訳
*22――“Edward Ruscha The Music from the Balconies 1984”, Tate Gallery 2011年10 月21日 Wolverhampton Art Gallery でのトーク https://www.tate.org.uk/art/artworks/ruscha-the-music-from-the-balconies-ar01126
*23――『ハイライズ』第8章「肉食鳥」より、村上博基訳
*24――『ハイライズ』第6章「空中の路上の危険」より、村上博基訳
*25―― “DIRTY BABY”, Ed Ruscha, Nels Cline, David Breskin, Prestel USA, 2010 年9 月1 日
*26――“Ghazal, Guitars, and Dumb Blocks”, Ange Mlinko http://parnassusreview.com/archives/2242
*27――オレンジカウンティ美術館のルシェ作品購入のための資料 http://ocmatours.net/wp-content/uploads/2007/09/ed-ruscha.pdf
*28――Ed Ruscha, Cityscapes, 2007 https://www.nga.gov/features/the-serial-impulse/ed-ruscha.html LAPD opens its archives for Paris Photo Bank robbery note, 1965. © LAPD, Image courtesy of Fototeka http://uk.phaidon.com/agenda/photography/articles/2014/march/12/lapd-opens-its-archives-for-paris-photo/
*29――Ed Ruscha, Cityscapes, 2007 中段の引用部分 https://www.nga.gov/features/the-serial-impulse/ed-ruscha.html
*30――“A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-)Recognition” Duty Free Art, Hito Steyerl, Verso, 2017 第5章 あるいはオンライン出版プラットホーム、アーカイブ : e-flux, Journal #72 - April 2016 https://www.e-flux.com/journal/72/60480/a-sea-of-data-apophenia-and-pattern-mis-recognition/
*31――“A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-)Recognition” 冒頭の段落 *32――“A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-)Recognition”  https://www.e-flux.com/journal/72/60480/a-sea-of-data-apophenia-and-pattern-mis-recognition/
*32――“A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-)Recognition”(e-flux 版) https://www.e-flux.com/journal/72/60480/a-sea-of-data-apophenia-and-pattern-mis-recognition/
*33――“A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-)Recognition” 冒頭の段落 *34――ISUAV Video Descambling(SIDtoday, Anarchist のデータ)https://assets.documentcloud.org/documents/2699846/Anarchist-Training-mod5-Redacted-Compat.pdf スノーデンのファイルは以下にアーカイブ化されたものがあり、リンク先に解説がある: https://edwardsnowden.com/2016/01/31/isuav-video-descrambling/
*35――“NSA tracking cellphone locations worldwide, Snowden documents show”, By Barton Gellman and Ashkan Soltani, Washington Post, December 4, 2013 https://www.washingtonpost.com/world/national-security/nsa-tracking-cellphone-locations-worldwide-snowden-documentsshow/ 2013/12/04/5492873a-5cf2-11e3-bc56-c6ca94801fac_story.html?utm_term=.c5dfaa3213c3
*36――Hito Steyerl, ”The Spam of the Earth: Withdrawal from Representation”, e-flux, Journal #32 - February 2012 https://www.e-flux.com/journal/32/68260/the-spam-of-the-earth-withdrawal-from-representation/
*37――“In Conversation With Andrew McClintock” SFAQ Volume 2 Issue 5, 2016 p4 作品《Actual Size》についての質問での答え
*38――Hito Steyerl, “The Spam of the Earth: Withdrawal from Representation” e-flux, Journal #32 - February 2012 https://www.e-flux.com/journal/32/68260/the-spam-of-the-earth-withdrawal-from-representation/
*39――Hito Steyerl, “The Spam of the Earth: Withdrawal from Representation” e-flux, Journal #32 - February 2012 https://www.e-flux.com/journal/32/68260/the-spam-of-the-earth-withdrawal-from-representation/
*40――“Image Spam”, Marissa Vicario, Symantec Official Blog, 16 Aug 2010 https://www.symantec.com/connect/blogs/image-spam