秘匿されるイメージ
ルシェの《Averages》の白い9本のバーは、検閲やその他の理由での「墨塗り」「修正」「削除」のイメージでもある。
ルシェのシルエット・シリーズやカントリー・シティスケープ・シリーズには、風景を背にした画面にいくつものバーが描かれている。不揃いの横長の長方形が背景の風景に配置されている。検閲によって文字や写真の特定の部分を隠すための手法だ。
「センサー・ストリップ(Censor strip)」と呼ばれるものだが、ルシェは自身による造語で「ダム・ブロックス(Dumb blocks)」と呼んでいる(dumbとは日本語に適訳がない形容だが、この場合「いまいましい」とか「馬鹿な」に近いだろう)(*26)。
ルシェは、このような試みを、見る者が作品の中に言葉があるかどうかを再考させる「実験」だと言っている。
タイピングされて残っているオレンジカウンティ美術館の作品解説原稿では、シルエット・シリーズに関して「夕暮れ時の落ち着かない風景を描き始め、以前からの気まぐれで不遜な言葉は文字修正に似た空白に置き換えられた」と述べられている(*27)。
ルシェは、1965年にロサンゼルスで起きた銀行強盗で犯人たちが書いた「脅迫要求メモ」に関心を示している。メモには「Stick up Don’t move Smile(手を上げろ 動くな 笑え)」と三行で書いてある。そして2001年に制作した作品のタイトルがまさにこのメモの文言そのものだ(*28)。
ルシェは、このような言葉が自分の表現にどのようにして入ってきたかを後日こう語っている。
ぼくは、異なる小さな切り抜き文字でできている「脅迫要求メモ」の視覚的な質にとても興味を持ってたんだ。どういうわけか、これらの脅迫要求メモ、そして「検閲の塗りつぶし」、「空室あり」なども、絵画的要素に溶け込んできた。(*29)
その「検閲の塗りつぶし」が、風景写真と組みあわされたのが、このシリーズだ。《Averages》の住宅地の風景を背景とした白いバーも、この風景写真の塗りつぶしは、共に視覚的な非言語であるのだが、そのバーの後ろにも何か秘密が隠されているかのように見えてくる。
しかし現在、デジタル技術によって、隠されたもののあり方は異次元に転移している。
ヒト・シュタイエル(映像アーティスト、著述家)は、エッセイ「データの海:アポフェニアとパターン(誤)認識(*30)」 の冒頭で、エドワード・スノーデンが公開したファイルの中の「機密」に分類された画像についてこう述べている。
理解しうるものは何も見えないというのは、新しいノーマルである。情報は人間の感覚では捉えられない信号のセットで伝えられている(*31)。
この画像は、「機密」として扱われているのだが、誰の目にも意味不明のノイズが写っているだけのものだ。キャプションは「スクランブルされた映像の1フレーム」となっている(*32)。
シュタイエルは、さらに続けてこう言っている:
現代の認識は、機械的なものへと大きく変化している。 人間の視覚のスペクトルは、そのわずかな部分だけをカバーするにすぎない。 機械のために機械によって、コード化された電荷、電波、光パルスは、光よりわずかに遅い速度で処理されている。見ることは、確率計算することに置き換えられている。視覚は重要視されなくなり、フィルタリング、解読、パターン認識に置き換えられている。スノーデンのノイズのイメージは、それが適切に処理され変換されない限り、技術的な信号を知覚することができない一般人の無力さを示しているかもしれない(*33)。
この画像は、NSAアメリカ国家安全保障局の極秘機関報SIDtodayにコードネーム「Anarchist」として掲載されたものである。映像のスクランブルの仕方と解読方法が記された文書である。そして画像は英国諜報機関GCHQによって解読されている。諜報技術者たちが、2008年以来イスラエル軍がガザを含む地域を空爆していた頃のイスラエルのドローン映像を傍受した画像だという(*34)。
情報の隠蔽は、多くの場合、ルシェの作品にも見られる「塗りつぶし」が典型だが、デジタル技術では不可視のノイズに撹乱されている。
議会証言でずっと否定されてきたNSAによる国民監視の事実が、スノーデンの機密暴露によって明るみにさらされた。様々な事柄が明るみに出ている。例えばNSAは1日に50億台の携帯電話の位置情報を把握していることも判明している(*35)。スマホの位置情報はつねに記録可能なのだ。
アンディ・ウォーホルは、「将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」と予言した。シュタイエルによるとそれは当時は正しかったかもしれないが現在ではこうだ:
むしろ、誰でもせめて15分間でも見えなくなりたい、15秒でもいい(*36) 。
20世紀後半のメディアで拡張していく個人のイメージは、21世紀ではプライバシーと共に簡単に崩されていく。ごく普通の生活を営んでいても、気づかないうちに個人のプライバシーは縮小し、逆に個人データは拡散していく。
エド・ルシェは、1962年にSAPM缶のイメージを絵画に取り入れた。その絵画の題名は「実物大」といい、大きく拡大されたSPAMの文字と実物大の缶詰が一画面に構成されている。この絵は彼の最初の展覧会で展示され、ルシェは「スパム」という音に銃が弾を発射する音もイメージに抱いていたという(*37)。
この絵が描かれたのは大量生産と消費主義が全盛の60年代で、タイトルが示す如くルシェの得意な逆説と不条理さが活きている表現だ。
ところでシュタイエルは、ルシェのSPAM写真も紹介しながら、独特な現在のスパム論を述べている(*38)。
イメージスパムはデジタル世界にある多くの暗黒物質の一つである(*39)。
「イメージスパム」は、スパムメールのテキストがフィルター削除されるのに対応して、文字を画像ファイル化することで避け、大量の広告メールとして送られるものだ(*40)。
内容は統計的に薬品、コピー製品、健康増進、投機筋、学位などの広告が多い。こういう広告には、人々が達成したい願望が裏返しになって反映している。
もちろん今後は人工知能が画像内容を学習してスパムを駆逐するだろうが、人々のこういう心理的な構造が続いていく限りスパムの拡散は続く。むしろシュタイエルが言うように、宇宙から見ると地球からは電波に乗ったスパムが宇宙に流出し続けているのだ。
20世紀初頭だけで19世紀全体の進歩の歴史を上回ったが、21世紀初頭だけで20世紀後半とはかなり異なる多様な社会システムが見えてきている。
人々の感情あるいは審美的な部分は、まだ20世紀に片足を突っ込んだままであるし、それが転換されるには技術の加速度的な変化を持ってしてもあとしばらくはかかるだろう。
20世紀は2度の世界大戦と映画で特色づけられるが、その最後の10年に登場したあらゆるものの「デジタル化」は、いま判断されている以上の重みを持ってくる。デジタルネイティブ世代は、ルシェが新聞配達少年だった過去を振り返るように、初期デジタル 技術の粗いモニター画面のイメージを懐かしむだろう。
振り向けば、20世紀は音をたてて遠ざかっているし、21世紀には自然物と人工物が多次元で渦を巻いている。
*1――”Ed Ruscha AVERAGES” Sotheby’s 解説 この解説では、絵画作品”Averages” に描かれた白線を「グラフ」と解説している。http://www.sothebys.com/fr/auctions/ecatalogue/2017/contemporary-art-day-auction-l17021/lot.222.html
*2――“In Conversation With Andrew McClintock” SFAQ Volume 2 Issue 5, 2016, p.4
*3――Ed Ruscha – The Tension of Words and Images | TateShots 英国テイトギャラリーのYoutube 映像シリーズ 1 分55 秒あたりからのトーク https://www.youtube.com/watch?v=HoNePbo9DD0
*4――“In Conversation With Andrew McClintock” SFAQ Volume 2 Issue 5. 2016, p4
*5――ジュリアン・ワッサー、Julian Wasser、 写真家 AP通信社で写真を撮り始めTime誌などで写真を撮る。 http://www.julianwasser.com/index.htm
*6――“Duchamp in Pasadena Revisited”, Summer 2015, Julian Wasser https://www.artsy.net/show/robert-berman-gallery-julian-wasser-duchamp-in-pasadena-revisited-dot-dot-dot
*7――Jean-Francois Lyotard, “Pacific Wall”, translated by Bruce Boone, Lapis Press, 1990 拙訳。リオタールの”Le Mur du Pacifique”の英文への翻訳は2011年にイリノイ大学で行われていてこちらも参照した。 http://www.urbanlab.org/articles/misc/Lyotard%201979%20-%20le%20mur%20du%20pacifique,%20extraits.pdf
*8――ハラルド・ゼーマン、Harald Szeemann(1933年6月11日〜2005年2月18 日)、スイスのキューレーター、アーティスト、美術史家
*9――Radical Love: Chelsea Manning, Heather Dewey-Hagborg https://deweyhagborg.com/projects/radical-love
*10――「On Broadway」 http://on-broadway.nyc/
*11――ハッカソン hack(ハック)+ marathon(マラソン)からの造語で、プログラマーやデザイナーが、決められた時間内でアプリケーション開発などを行う催し
*12――VK ロシアのSNS(ソーシャルネットワーキング・サービス)
*13――Lev Manovich, “Cultural Analytics: Visualizing Cultural Patterns in the Era of ‘More Media’”, DOMUS, Spring, 2009 あるいは: http://manovich.net/content/04-projects/063-cultural-analytics-visualizing-cultural-patterns/60_article_2009.pdf
*14――”On Broadway”プロジェクトサイトの”DATA — PATTERNS AND FINDINGS”の項目参照 http://on-broadway.nyc/
*15――“Cultural Analytics Lab”についての解説ページの最初の段落 http://lab.culturalanalytics.info/p/about.html
*16――The Los Angeles Institute of Contemporary Art(LAICA) 1974年から1987年の間、ロサンゼルスにあったアートスペース。実験的な表現の推進と地元の若いアーティストたちを支援して重要な役割を果たす。
*17――The Information Man, Edward Ruscha, 2 October 1971 http://www.galerie-photo.info/forumgp/read.php?5,70516,70516
*18――沖啓介「19世紀から20世紀の書籍ビッグデータ分析に観られる近現代美術運動の興亡の理解」『 名古屋造形大学紀要』第24号、2018年 Google Ngram ViewerとNgram法の解説と、近代美術史に関する書籍分析についての論文。ここに技術的な説明と利用法を述べている。
*19――”Joe Goode; Edward Ruscha: An exhibition presented by the Fine Arts Patrons of Newport Harbor at the Balboa Pavilion Gallery, March 27 to April 21, 1968” Google Booksで検索可能
*20――J・G・バラード『ハイライズ』、村上博基訳、創元SF文庫、東京創元社
*21――『ハイライズ』第9章「降下地点へ」より、村上博基訳
*22――“Edward Ruscha The Music from the Balconies 1984”, Tate Gallery 2011年10 月21日 Wolverhampton Art Gallery でのトーク https://www.tate.org.uk/art/artworks/ruscha-the-music-from-the-balconies-ar01126
*23――『ハイライズ』第8章「肉食鳥」より、村上博基訳
*24――『ハイライズ』第6章「空中の路上の危険」より、村上博基訳
*25―― “DIRTY BABY”, Ed Ruscha, Nels Cline, David Breskin, Prestel USA, 2010 年9 月1 日
*26――“Ghazal, Guitars, and Dumb Blocks”, Ange Mlinko http://parnassusreview.com/archives/2242
*27――オレンジカウンティ美術館のルシェ作品購入のための資料 http://ocmatours.net/wp-content/uploads/2007/09/ed-ruscha.pdf
*28――Ed Ruscha, Cityscapes, 2007 https://www.nga.gov/features/the-serial-impulse/ed-ruscha.html LAPD opens its archives for Paris Photo Bank robbery note, 1965. © LAPD, Image courtesy of Fototeka http://uk.phaidon.com/agenda/photography/articles/2014/march/12/lapd-opens-its-archives-for-paris-photo/
*29――Ed Ruscha, Cityscapes, 2007 中段の引用部分 https://www.nga.gov/features/the-serial-impulse/ed-ruscha.html
*30――“A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-)Recognition” Duty Free Art, Hito Steyerl, Verso, 2017 第5章 あるいはオンライン出版プラットホーム、アーカイブ : e-flux, Journal #72 - April 2016 https://www.e-flux.com/journal/72/60480/a-sea-of-data-apophenia-and-pattern-mis-recognition/
*31――“A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-)Recognition” 冒頭の段落 *32――“A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-)Recognition” https://www.e-flux.com/journal/72/60480/a-sea-of-data-apophenia-and-pattern-mis-recognition/
*32――“A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-)Recognition”(e-flux 版) https://www.e-flux.com/journal/72/60480/a-sea-of-data-apophenia-and-pattern-mis-recognition/
*33――“A Sea of Data: Apophenia and Pattern (Mis-)Recognition” 冒頭の段落 *34――ISUAV Video Descambling(SIDtoday, Anarchist のデータ)https://assets.documentcloud.org/documents/2699846/Anarchist-Training-mod5-Redacted-Compat.pdf スノーデンのファイルは以下にアーカイブ化されたものがあり、リンク先に解説がある: https://edwardsnowden.com/2016/01/31/isuav-video-descrambling/
*35――“NSA tracking cellphone locations worldwide, Snowden documents show”, By Barton Gellman and Ashkan Soltani, Washington Post, December 4, 2013 https://www.washingtonpost.com/world/national-security/nsa-tracking-cellphone-locations-worldwide-snowden-documentsshow/ 2013/12/04/5492873a-5cf2-11e3-bc56-c6ca94801fac_story.html?utm_term=.c5dfaa3213c3
*36――Hito Steyerl, ”The Spam of the Earth: Withdrawal from Representation”, e-flux, Journal #32 - February 2012 https://www.e-flux.com/journal/32/68260/the-spam-of-the-earth-withdrawal-from-representation/
*37――“In Conversation With Andrew McClintock” SFAQ Volume 2 Issue 5, 2016 p4 作品《Actual Size》についての質問での答え
*38――Hito Steyerl, “The Spam of the Earth: Withdrawal from Representation” e-flux, Journal #32 - February 2012 https://www.e-flux.com/journal/32/68260/the-spam-of-the-earth-withdrawal-from-representation/
*39――Hito Steyerl, “The Spam of the Earth: Withdrawal from Representation” e-flux, Journal #32 - February 2012 https://www.e-flux.com/journal/32/68260/the-spam-of-the-earth-withdrawal-from-representation/
*40――“Image Spam”, Marissa Vicario, Symantec Official Blog, 16 Aug 2010 https://www.symantec.com/connect/blogs/image-spam