2016.12.29

2016年展覧会ベスト3
(美術家、美術批評家・黒瀬陽平)

数多く開催された2016年の展覧会のなかから、3名の有識者にそれぞれもっとも印象に残った、あるいは重要だと思う展覧会を3つ選んでもらった。今回は美術家・美術批評家の黒瀬陽平編をお届けする。

岡山芸術交流で市内に展示されたライアン・ガンダー《編集は高くつくので》
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岡山芸術交流 2016 (岡山市内各所、2016年10月9日〜11月27日)

ピーター・フィッシュリ ダヴィッド・ヴァイス《よりよく働くために》(右)、 ローレンス・ウィナー《1/2 はじまった 1/2 おわった たとえいつであろうとも》 (左)の展示風景

「いま世界で最先端、最高峰のコンセプチュアル・アートが日本に」といった類の煽り文句で話題となり、その看板にほぼ偽りはないのだが、リアム・ギリックによるキュレーション(テーマは「開発」)についてのまともな解説や批評、分析がほとんど出てこないのはどうしたことだろうか。リアムのコンセプトをそのまま岡山の地で十全に実現することは困難であり、ギリックの近著などを参照しながらの「翻訳」作業が不可欠であるはずだ。それなくして並べられる賞賛は、国内のアートシーンに対する不満が蓄積した結果現れた、新しい「拝外主義」であろうか。

Chim↑Pom『また明日も観てくれるかな?』 〜So see you again tomorrow, too?〜 (歌舞伎町振興組合ビル、2016年10月15日〜31日)

Chim↑Pom ビルバーガー 2016 Photo by KENJI MORITA ©Chim↑Pom Courtesy of the artist and MUJINTO Production, Tokyo

2020年の東京オリンピックにむけた再開発で取り壊しが決まった歌舞伎町振興組合ビルをまるごと会場とし、強烈な両義性を抱え込んだ歌舞伎町の歴史そのものを作品化した展覧会。社会的メッセージだけでなく、良い意味でエンターテインメント化された展示構成、話題づくりの巧みさなども含め、あまり文句のつけるところのない完成度の高いパッケージだった。......が、個人的には、あまりにも真っ当なメッセージとコンセプト、それをキチンと体現した作品たちを前にして、卯城がよく口にする「ヤバさ」があまり感じられなかったのだが、気のせいだろうか。

柳幸典「ワンダリング・ポジション」 (BankART Studio NYK、2016年10月14日〜2017年1月7日)

柳幸典 アーティクル9 2016

90年代、日本現代美術が輩出したほとんど唯一の「PCアート」のトッププレイヤー。デビュー当時の作品から最新作まで見ることのできる貴重な機会であり、犬島のプロジェクトなど、いまだ得体の知れない柳の思考回路に触れる体験はスリリングである。とはいえ、現在から振り返ってみると、政治的イシューを極端に単純化し、スペクタクル化する柳の手つきをそのまま肯定するのは難しい。本展は、柳のような90年代的なPCアートの復権ではなく、もはや90年代的PCアートは不可能である、ということこそを告げる展覧会であった。

総評

ベスト3、といってもランキング形式ではないし(もしランキングなら1位は該当無しにするつもりだった)、「もっとちゃんと論じられるべき」と思う3つを挙げさせていただいた。

2016年は、世界的にはトランプ大統領当選、12月に入って立て続けに起こったテロ、国内では博多駅前の陥没事故、東京デザインウィークでの痛ましい事件など、もはや展覧会に気を留めている余裕がないほどに、信じられないような事件が起こった。

芸術は必ずしも、ジャーナリズムのような即効性の「反映」を期待されているわけではないし、そうすべきでもない。むしろ、時には世界と隔絶した場所で、深く思考することも必要であろう。しかし、現在のように現実がまさに大きく揺れ動いているその時に、芸術が現実との一切の接点を見失い、置き去りにされてしまっては、作家たちは思考の足場そのものを失ってしまうだろう。

あまりに激動であり、さらに予想外の方へと走り去ってゆく2016年の現実を前にして、わずかでも議論のきっかけとなるような展覧会を選び、その論点を提示できるように配慮したつもりである。

ちなみに、ベスト3というならばワースト3もあるのが道理なので勝手に挙げさせていただくと、まずはダントツで杉本博司展「ロスト・ヒューマン」、次いでボルタンスキー展「アニミタス」、そして「キセイノセイキ」である。

PROFILE

くろせ・ようへい 美術家、美術批評家。1983年高知県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻博士後期課程修了。ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校主任講師。