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INSIGHT - 2016.11.15

アート・ママになる! 折元立身が青山|目黒でパフォーマンス

パフォーマンス・アーティストとして、1990年代後半にアルツハイマー症の母を介護しながら、それ自体を作品にする「アート・ママ」シリーズを制作してきた折元立身が、11月13日、東京・目黒の青山|目黒でパフォーマンス「化粧して、アート・ママに成る」を行った。

パフォーマンスを行う折元立身

介護すること自体をアートにし、愛する母・男代を作品に登場させた《アートママ 小さな母と大きな靴》(1997)、や《アートママと息子と大きなパン》(2012)などを発表してきた折元。しかしながら、その母も97歳となり、最近ではベットに横になっていることが多くなったという。「2人で一緒に作品におさまるのは無理なようなので、こうなったら、化粧して、女装して、私がアート・ママになってしまえと思い立ち、このような作品をつくるようになりました」。そのような発想から、今回の「化粧して、アート・ママに成る」は生まれた。折元にとってまったく新しいアプローチだ。

当日は、会場の青山|目黒に80人を超える観客が押し寄せるなか、15時ちょうどにパフォーマンスが始まった。当日、折元のメークを担当したのは、山口小夜子のメークを長年担当した、資生堂SABFA前校長の富川栄。衣装はmalamuteの小髙真理が男代の洋服の柄を参考にして制作したアッパッパ(ワンピース)だ。

車いすに座り、メークをされる折元は、時折立ち上がっては「私キレイ?」などと冗談を交えながら、その場を湧かせる。しかし、髪を巻かれ、ファンデーションを塗られ、アイシャドウを施されたその顔は、壁面に貼ってある母と次第にシンクロしはじめる。「最後に紅を塗って女になります」。そうしてアート・ママになった折元は、立ち上がり、パフォーマンスを始めた。

メークされる折元。じょじょにアート・ママに近づいていく
何かが憑依したように、一心に言葉を発する折元

右手にベルを持ち、左手にハンドバッグと杖を携え、そして足には《アートママ 小さな母と大きな靴》で男代が履いていたのと同じような、赤い大きな靴。「どこ? どこ? ママ、どこ? どこなの? 愛してるよ……どこいったの? 寂しいよ、ママ……。独りにしないでくれよママ! ママになってしまうよ……悲しい……。」時に消え入りそうな声で、時に叫ぶように声を上げる。そこには、ママになりながらも、男代を心の底から追い求める折元の姿があった。

「いつまでおばあちゃんと一緒にいられるかわからないけど、(作品を)つくれるときにどんどんつくっていこうと思っています。日本ではこのようなことをやるアーティストは少ないかもしれないけど、どんどんやろうと思ってます。

この頃、僕はいつも泣いてばかりいます。おばあちゃんを22時頃にベッドに寝かすわけです。22時過ぎに私の時間になって、朝の4時くらいまで、右にいるおばあちゃんを見ながら、深夜番組を見てるんです。そうすると、おばあちゃんが手すりをガタガタとやるわけです。おばあちゃんが俺がいるのを確認するわけですよ。それで、俺も『生きてるかな?』と思って行くわけです。触るとあったかいし、布団がちょっと動いたりするんで、生きてるんだなって。そのときに、おばあちゃんを100歳まで面倒見れるのはすごく幸せだなって感じます。そのときに幸せの涙をこぼすんです。

僕も70歳になりますから、すごくきついんですよ。一人ですから、食べさせたら食器を洗わなくちゃいけません。すべて一人。なんでも一人でやらなくちゃいけない。でも体が動かなくてやりたくない。オムツ替えるときも『もういいや、我慢して』なんてときもありますよ。そのときは歳をとった同士の、寂しい涙が出ます」。

アーティストにも、「老老介護」の問題は切実なものとして迫っている。

パフォーマンスに使用された小道具

パフォーマンスに使用された小道具

折元が今年、川崎市市民ミュージアムで大規模な個展「生きるアート 折元立身」(2016年4月29日〜7月3日)を開催したことは記憶に新しい。同展はこれまでの活動を映像や写真、ドローイングで振り返るものだったが、これについては意外な言葉が発せられた。「最初の頃は人があまり来ませんでした。後半になってすごいたくさん人が来て、泣いてくれる人もいた。『やった!』と思いましたよ。ただ、(展覧会を)やったあとすごく落ち込みました。なぜか? 僕は藝大に7回落ちて、ニューヨークに行って、ロンドンでも美術をやってました。僕みたいなすごく個性のあるものを、この国は取り上げようとしないとわかってました。

今回、川崎でブレイクしたので、なんかあるかなと思ったけど(なかった)。僕は、プロフェッショナルな、技術より天才といったそういうものを求めている。『こんなものがアートなのか?』というのが好きです。そういう作家は日本では少ない。川崎でやったとき、まだ日本はそういう世界観(プロフェッショナルなものを受け入れない)なんだなと思ったとき、すごく寂しくなって落ち込みました」。

「でも今日は皆さんに言いたい。俺は『one of them』ではなくて『only one』。誰でもできる作品じゃなくて、俺しかできない作品。最終的にはテート・モダンやニューヨーク近代美術館、ポンピドゥー・センターなんかでやりたいですよ。世界で通用するオンリーワンのアーティストになりたい。あれもこれも実験的な作品をやろうと思っています。僕も70歳です。僕にしかできない作品をやってきたつもりですけど、これからもやっていくと思うので、ぜひ応援してください」。

70歳を迎えてなお、精力的にアートの世界で戦うその意欲と、最愛の母を想う気持ち。会場に集まったオーディエンスには痛いほど通じたにちがいない。

当日は新作のドローイングや立体なども展示された

『美術手帖』2016年7月号には折元立身のインタビューが掲載

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