EXHIBITIONS

井上七海「Maybe so, maybe not」

2022.03.05 - 04.16

井上七海 スフ_11(plus) 2022

井上七海 スフ_11(plus)(部分) 2022

井上七海 スフ(log)_1 2021

井上七海 スフ(green)_11 2022

井上七海 60 の立方体のドローイング 2019

井上七海 表と裏のためのドローイング_1 2021

 KOTARO NUKAGA(天王洲)は、愛知県を拠点に活動するアーティスト・井上七海の個展「Maybe so, maybe not」を開催。本展では、井上の代表作である「スフ」や、思考の源泉をたどるドローイング作品を含む新作21点が展示される。

「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない」。井上は対話のなかで度々この⾔葉を発する。⾃信なさげにも聞こえるこの「判断保留」な⾔い回しの裏には、確かな視座が内包されている。そして、世界を揺らぎながらとらえる作家の感覚は、絵画のなかで確実に現れている。

「何も描かないで絵画を成⽴させる」ということを考え続けてきた井上の絵画は、作品ごとに決まった法則を持つ「直線を描く」という単純な反復⾏為の集積によってイメージとなって⽴ち現れる。そのイメージは⼀⾒すると図やグラフなどを描くための⽅眼紙のようでもある。

 絵画とは通常、背景から分離され知覚されるイメージである「図」とその背景である「地」からなるが、井上が描くイメージでは「図」を⽅眼紙という本来「地」として使われるものによって⽰すことで、「図」が「地」に反転される。何かを描く⽬的ではない線の反復は、ある意味で何も描いていない「地」を描いているとも⾔え、井上は「何かが描かれているかもしれないが、何も描かれていないかもしれない」という状態をつくり出すことでイメージを宙吊りにしている。

 複製によってデジタルがつくり出す線は、そこに「ある(1)」か「ない(0)」というようにその可能性を2つに限定してしまういっぽうで、井上の作品では、反復によって同じ線を描こうとしても作家自身が⼈間である以上、同じ線はそこには存在しない。「ない(0)」から「ある(1)」のあいだには無限のグラデーションが続くが、井上の描く線はそこにただ同じく「ある」わけではなく、「図」と「地」の反転が可能になることで、鑑賞者の思考は「わかる」と「わからない」のあいだを⾏き来するように導かれる。⽅眼紙のようなものが描かれていると言うように、ある意味での「わかる」という判断は、次の瞬間に何も描いていないかもしれないという「わからない」への⼊⼝となる。

「線を引く」という単⼀⾏為の反復によって、「何かを描く」というイメージの呪縛から絵画を解放させることを試みる井上。その機械的にも⾒える⾝体的な反復は精度を増すほど、機械との違いを絵画のイメージ内に痕跡として残す。井上の作品で意図せずに⽣まれる差異は、デジタル化が進む世界の、「0」から「1」を⽣み出すことを求められる時代に、「0」と「1」とのあいだには「無限」があることを気づかせてくれる。