EXHIBITIONS
菊竹清訓 山陰と建築
日本を代表する建築家のひとり、菊竹清訓(1928〜2011)の展覧会が島根県立美術館で開催される。
菊竹は1953年、25歳で菊竹建築研究所を創立(1962年菊竹清訓建築設計事務所に改称)。日本の新しい住宅建築として、自邸《スカイハウス》(1958)で注目を集め、その後の《出雲大社庁の舎》(1963)といった作品や、建築運動「メタボリズム」などによって国際的にも高い評価を受けている。島根県では、知事も務めた第23代田部長右衛門が久留米市の《石橋美術館》(現・久留米市美術館、1966)を視察したことを機に、同館の前身である《島根県立博物館》(1958)をはじめ多くの建築を設計した。
そのほかの主な作品に、《東京都江戸東京博物館》(1992)や《九州国立博物館》(2004)。69年に代表的な著書『代謝建築論』を発表。また三段階の設計理論「か・かた・かたち」を展開したことでも知られる。
その没後10年に開催される本展では、菊竹による山陰地方の建築を中心として、図面やスケッチ、模型などの資料を展示。また代表的な作品や、生涯を通じて取り組んだ未来都市の構想を紹介し、菊竹建築の魅力に迫る。
菊竹は1953年、25歳で菊竹建築研究所を創立(1962年菊竹清訓建築設計事務所に改称)。日本の新しい住宅建築として、自邸《スカイハウス》(1958)で注目を集め、その後の《出雲大社庁の舎》(1963)といった作品や、建築運動「メタボリズム」などによって国際的にも高い評価を受けている。島根県では、知事も務めた第23代田部長右衛門が久留米市の《石橋美術館》(現・久留米市美術館、1966)を視察したことを機に、同館の前身である《島根県立博物館》(1958)をはじめ多くの建築を設計した。
そのほかの主な作品に、《東京都江戸東京博物館》(1992)や《九州国立博物館》(2004)。69年に代表的な著書『代謝建築論』を発表。また三段階の設計理論「か・かた・かたち」を展開したことでも知られる。
その没後10年に開催される本展では、菊竹による山陰地方の建築を中心として、図面やスケッチ、模型などの資料を展示。また代表的な作品や、生涯を通じて取り組んだ未来都市の構想を紹介し、菊竹建築の魅力に迫る。