EXHIBITIONS

栃木における南画の潮流

― 文晁から魯牛まで

2021.01.16 - 03.21

田﨑草雲 「四季山水図」のうち 制作年不詳 個人蔵

石川寒巌 子牛 1931(昭和6) 栃木県立美術館蔵

渡辺崋山 風竹図 佐野市立吉澤記念美術館蔵

 日本の絵画は古来、中国や朝鮮からの影響を受けながら歴史を刻んできた。平安時代に国風文化が盛んになると、文学に呼応した新しい絵画テーマを王朝風の雅な色彩によって表現する「大和絵」が生まれた。

 日本絵画に大きな2つの流れができると、渡来人ではない日本の絵師たちが活躍。その後、鎌倉時代に武家政権となり中国から禅宗が移入されると、禅寺には修行の指標となる祖師たちを描く画僧が誕生し、やがて絵師という専門的な仕事をするようになった。その後、京都において中国南宋時代の画院を中心とする水墨画を範とした「漢画(かんが)」が生まれ、水墨画家の雪舟はこの流れを汲んだ。そして、狩野正信・元信の登場により「狩野派」が画壇を牽引していった。

 しかし江戸時代後期に入り、「狩野派」の絵に対する不満が増大。同じ頃、中国明清時代の版本類が流入してきたことで「南宗画」が伝播し、文人たちに好まれた。のちに池大雅や与謝蕪村らが庶民にもわかりやすいものとして南宗画を日本風に大成し、やがて江戸にもそれが伝わると、すでに流行していた狩野派以外の様々な流派ととに大いにもてはやされ、江戸の絵画をより豊かなものにした。

 明治時代には、日本の絵画規範は中国から西洋へと転換。南画界は、日本美術院などの新しい日本画の創造を目指す「新派」に対抗し、伝統的絵画を維持する「旧派」の中心として明治・大正・昭和という各時代に合わせた「新しい南画」への模索を続けた。

 本展では、幕末期の谷文晁(たに・ぶんちょう)を中心とする、栃木県出身の高久靄厓(たかく・あいがい)らによる「関東南画」に始まり、次代の田﨑草雲、その高弟小室翠雲らの「南画」の継承を経て、栃木所縁の南画家たちがどのように自らの「南画」風を展開させていったのかを、作品162点によって概観する(会期中、展示替えあり)。