EXHIBITIONS
塑造+仏像ー北村西望とみほとけ
井の頭自然文化園の彫刻館にて特設展「塑造+仏像──北村西望とみほとけ」が開催。本展では、長崎県の《平和祈念像》でも知られる彫刻家・北村西望(きたむら・せいぼう、1884〜1987)による、仏像彫刻と画約40点が展示されている。
西望は、戦前の官展を中心に影響力を持ち、戦後は各地に公共彫刻を手がけた彫刻家。浄土真宗を熱心に信仰する両親のもとに生まれ、「西方の極楽浄土を望む」という意味で「西望」と名づけられた。西望は白井雨山のもとで西洋彫刻技法として導入された塑造を学び、その特質を生かした躍動的で生命感あふれる肉体表現で高い評価を得た。
戦後は全国各地から舞い込む公共彫刻の依頼に応じ、民族不詳の「聖哲」のアイコンとして、仏像の半跏思惟像(はんかしゆいぞう)のポーズから着想を得た長崎の《平和祈念像》(1955)や、恒久平和を願うシンボルとして広島に設置された《聖観世音菩薩》(1975)などを制作。かつての写実的な肉体表現と、直接石膏を木組みに付けて用いた「石膏直付法」による膨張した量感をひとつに統合し、独自の仏像表現を確立した。
いっぽうで自分のために、仏像の小品も制作していた西望。それらは展覧会で発表されず、戦中の金属供出においても接収されることもなくいまに残っており、同時期の現存する作品のなかでも希少な作例となっている。
本展では、出品作をもとに、西望の長い制作史のなかで個人の信仰心から生まれた仏像制作が、塑造による仏像表現として独自の発展を遂げていく過程を紹介する。
西望は、戦前の官展を中心に影響力を持ち、戦後は各地に公共彫刻を手がけた彫刻家。浄土真宗を熱心に信仰する両親のもとに生まれ、「西方の極楽浄土を望む」という意味で「西望」と名づけられた。西望は白井雨山のもとで西洋彫刻技法として導入された塑造を学び、その特質を生かした躍動的で生命感あふれる肉体表現で高い評価を得た。
戦後は全国各地から舞い込む公共彫刻の依頼に応じ、民族不詳の「聖哲」のアイコンとして、仏像の半跏思惟像(はんかしゆいぞう)のポーズから着想を得た長崎の《平和祈念像》(1955)や、恒久平和を願うシンボルとして広島に設置された《聖観世音菩薩》(1975)などを制作。かつての写実的な肉体表現と、直接石膏を木組みに付けて用いた「石膏直付法」による膨張した量感をひとつに統合し、独自の仏像表現を確立した。
いっぽうで自分のために、仏像の小品も制作していた西望。それらは展覧会で発表されず、戦中の金属供出においても接収されることもなくいまに残っており、同時期の現存する作品のなかでも希少な作例となっている。
本展では、出品作をもとに、西望の長い制作史のなかで個人の信仰心から生まれた仏像制作が、塑造による仏像表現として独自の発展を遂げていく過程を紹介する。