EXHIBITIONS
紫香楽宮と甲賀の神仏 ―紫香楽宮・甲賀寺と甲賀の造形―
8世紀半ばの天平時代、聖武天皇によって信楽に造営された紫香楽宮と、日本律令国家最大のモニュメントとして大仏の造像が企図された甲賀寺。しかし、紫香楽宮は短命のうちに幕を閉じ、発願された大仏も、還都された平城京で完成した。その後の甲賀の地には、石山寺などが造営され、紫香楽宮から貴族の邸宅が移築。神仏の信仰に関わる優れた造形が生み出され、現在まで豊かな宗教文化が伝えられている。
聖武天皇がなぜ信楽の地を選んで宮を造営し、同地で大仏造像の造営を計画したのか謎が残っていたが、近年の発掘調査や木簡の分析・研究などによってその謎と、紫香楽宮と甲賀寺、これらに連なる奈良時代の近江の歴史の様相が明らかになりつつある。
本展では、最新の調査の成果を紹介するとともに、紫香楽宮に残された遺品や甲賀で開花した神仏の多様な造形から、紫香楽宮が歴史に果たした役割と近江の優れた仏教文化をひも解く。
聖武天皇がなぜ信楽の地を選んで宮を造営し、同地で大仏造像の造営を計画したのか謎が残っていたが、近年の発掘調査や木簡の分析・研究などによってその謎と、紫香楽宮と甲賀寺、これらに連なる奈良時代の近江の歴史の様相が明らかになりつつある。
本展では、最新の調査の成果を紹介するとともに、紫香楽宮に残された遺品や甲賀で開花した神仏の多様な造形から、紫香楽宮が歴史に果たした役割と近江の優れた仏教文化をひも解く。