EXHIBITIONS

歿後60年 椿貞雄

師・劉生、そして家族とともに

2017.06.07 - 07.30

椿貞雄 自画像 1915 千葉県立美術館蔵

椿貞雄 自画像 1915 千葉県立美術館蔵

岸田劉生 芝川照吉氏之像 1919 東京国立近代美術館蔵

岸田劉生 狗をひく童女 1924 ポーラ美術館蔵

椿貞雄 冬瓜南瓜図 1946-47 島根県立石見美術館蔵

 山形県米沢市に生まれた椿貞雄(1896-1957)は、早逝した長兄の影響により画家を志すようになる。1914(大正3)年に上京した椿は岸田劉生(1891-1929)の個展を見て彼に会うことを決意。翌15年、劉生に迎えられた彼は草土社の結成に参加する。また彼は思想的には武者小路実篤や長與善郎たちの人道主義の感化を受け、『白樺』に育まれた芸術家として成長していった。

 椿は美術学校などで正式な絵画技法を習得しないまま、画家となった。劉生も白馬会葵橋洋画研究所で指導を受けた以外は独学だったが、椿と出会った当時、独自の思索によって明治期以来の油彩画のなかで際立って濃密な絵画世界の構築を試行。椿は文字通りそのかたわらで絵画の制作を学んだ。

 椿の画業は1920年頃より始まった劉生の東洋的写実に対する関心に従って変化し、やがて日本画(墨彩画)の制作も行うようになった。29年、椿は劉生の死によって制作に行き詰まるほどの状態になるが、劉生が構想した日本における油彩画表現を受け継ぎ、独自の画境に到達。その世界は、東洋絵画の伝統を踏まえながらも近代日本の市民生活に根ざしたおだやかさに特徴が見られる。

 椿は1927(昭和2)年から亡くなるまで船橋市に住み、制作活動を継続。歿後60年を迎え、彼が暮らした房総の地で開催される本展では、本人の作品だけではなく、彼の画業を考える上で欠かせない岸田劉生の作品、そして51年から父と同じ国画会に出品した次女の椿夏子(1926-2004)の型絵染による作品を紹介し、市井に生きた日本人が見つめた世界を回顧する。