EXHIBITIONS
河口龍夫「関係―鉛の郵便」
1960年代より国内外で活動し、種子を鉛で覆う、蓮を蜜蝋で包むといった表現によって、肉眼ではとらえることができない事象への気づきをもたらしてきた河口龍夫。1982年に制作を開始した「関係—種子」シリーズの当初では、銅によって植物の種子が覆っていたが、86年のチェルノブイリ原発事故後、銅に代わって放射線を遮る鉛を用いるようになった。
チェルノブイリ原発事故と同年、河口は「関係—種子」において170種以上の種を鉛で封じ、87〜90年にかけて継続的に同シリーズを展開。種子と最初に出会った場でもある食卓や書籍、櫛、植木鉢、ついには種子を収める温室まで、あらゆるものを種子とともに鉛で封印した。
本展では、「関係—種子」の発表が集中した88〜89年の間に制作され、近年まで公開されることのなかった「関係—鉛の郵便」シリーズを紹介。手紙の代わりに種子が封入された鉛の郵便は、作家の代表的なシリーズ「関係—種子」を新たな視点から再考する手がかりとなるだろう。
チェルノブイリ原発事故と同年、河口は「関係—種子」において170種以上の種を鉛で封じ、87〜90年にかけて継続的に同シリーズを展開。種子と最初に出会った場でもある食卓や書籍、櫛、植木鉢、ついには種子を収める温室まで、あらゆるものを種子とともに鉛で封印した。
本展では、「関係—種子」の発表が集中した88〜89年の間に制作され、近年まで公開されることのなかった「関係—鉛の郵便」シリーズを紹介。手紙の代わりに種子が封入された鉛の郵便は、作家の代表的なシリーズ「関係—種子」を新たな視点から再考する手がかりとなるだろう。