EXHIBITIONS
林芙美子 貧乏コンチクショウ ―あなたのための人生処方箋―
自らの体験に基づいて描いた『放浪記』を長谷川時雨主宰の『女人芸術』に連載、『風琴と魚の町』『晩菊』『浮雲』など、短い生涯で多くの名作を残した小説家・詩人、林芙美子の展覧会が開催される。
幼少期の行商生活を経て、職を転々としながらも詩や童話を書き続けた芙美子は、自らの貧困生活へ立ち向かうように、生きる苦しみを吐露し、血みどろの人生を奔放な文体で表現。とりわけ『放浪記』は映画や舞台などに姿を変え、ひたむきに力強く生きる女性を描いた名作として、戦前・戦後を通じて多くの読者を魅了し続けている。
1925年に世田谷区太子堂の二軒長屋で詩人、野村吉哉と暮らし、肺を患った野村と争いが絶えない生活を過ごすが、近隣には壷井繁治・栄夫妻、平林たい子などの住まいがあり、作家仲間に支えられた時期でもあった。しかし、翌年には野村と別れ世田谷を離れる。
新宿区中井に自宅を構えるまで住まいを転々として旅を愛した芙美子。その作品は作者自身の前向きな人生観に裏打ちされており、労苦の多かった人生経験が奥行をかたちづくっている。
本展では、宿命的放浪の作家・林芙美子の言葉を、現代の私たちへのメッセージ「幸福に生きるための処方箋」ととらえ、原稿・書簡・絵画など約250点の資料で紹介する。
幼少期の行商生活を経て、職を転々としながらも詩や童話を書き続けた芙美子は、自らの貧困生活へ立ち向かうように、生きる苦しみを吐露し、血みどろの人生を奔放な文体で表現。とりわけ『放浪記』は映画や舞台などに姿を変え、ひたむきに力強く生きる女性を描いた名作として、戦前・戦後を通じて多くの読者を魅了し続けている。
1925年に世田谷区太子堂の二軒長屋で詩人、野村吉哉と暮らし、肺を患った野村と争いが絶えない生活を過ごすが、近隣には壷井繁治・栄夫妻、平林たい子などの住まいがあり、作家仲間に支えられた時期でもあった。しかし、翌年には野村と別れ世田谷を離れる。
新宿区中井に自宅を構えるまで住まいを転々として旅を愛した芙美子。その作品は作者自身の前向きな人生観に裏打ちされており、労苦の多かった人生経験が奥行をかたちづくっている。
本展では、宿命的放浪の作家・林芙美子の言葉を、現代の私たちへのメッセージ「幸福に生きるための処方箋」ととらえ、原稿・書簡・絵画など約250点の資料で紹介する。