EXHIBITIONS
栃原比比奈「ディアザーサイド」
ビーク585ギャラリーで、栃原比比奈の個展「ディアザーサイド」が開催されている。
本展に際し、栃原比は以下のステートメントを発表している。
「絵になるまで、言葉にならない何かがずっと頭の片隅にあって、そのことへのいら立ちは静かな怒りになる。空気のような何かが飽和状態になろうとしている。小さな容器には収まりきらない。圧力がかかって何処かに抜けたいと思ったりする。内側に抱えられなくなったイメージが破裂したように絵になる。キャンバスの向こう側には確かに待っているイメージがある。けれどそこにたどり着くまではたどり着けないという、不思議なルールがあるように思う。
向こう側に行きたいと思うとき、こちら側にいることを実感する。こちら側にいるんだと思うと、何もかもが分かりやすくて物足りなくてつまらない。まなざしをこちらに向けるのは安全だ。しかし、こちらにいてこちらに向けるまなざしは、本当にこちらを見つめる位置なのだろうか?こちらにいて向こう側を見つめようとすると、あべこべな違和感がある。
今回の展覧会では向こう側からテーマを見つめようとした結果として生まれた絵を展示したいと思っている。いままではこちら側に安穏と住んでいて、当然のように見える世界を絵にすることが、ある種の義務であり、檻だった。そして怒りはどこか空虚だった。向こう側への意識が生まれたのは今年に入ってからだと思う。向こう側に行きたいというエネルギーの高まりは最近の私の変化だ。こちら側ではなくて向こう側へ意識を持っていく。そうすることで目の前の世界が違って見える」。
本展に際し、栃原比は以下のステートメントを発表している。
「絵になるまで、言葉にならない何かがずっと頭の片隅にあって、そのことへのいら立ちは静かな怒りになる。空気のような何かが飽和状態になろうとしている。小さな容器には収まりきらない。圧力がかかって何処かに抜けたいと思ったりする。内側に抱えられなくなったイメージが破裂したように絵になる。キャンバスの向こう側には確かに待っているイメージがある。けれどそこにたどり着くまではたどり着けないという、不思議なルールがあるように思う。
向こう側に行きたいと思うとき、こちら側にいることを実感する。こちら側にいるんだと思うと、何もかもが分かりやすくて物足りなくてつまらない。まなざしをこちらに向けるのは安全だ。しかし、こちらにいてこちらに向けるまなざしは、本当にこちらを見つめる位置なのだろうか?こちらにいて向こう側を見つめようとすると、あべこべな違和感がある。
今回の展覧会では向こう側からテーマを見つめようとした結果として生まれた絵を展示したいと思っている。いままではこちら側に安穏と住んでいて、当然のように見える世界を絵にすることが、ある種の義務であり、檻だった。そして怒りはどこか空虚だった。向こう側への意識が生まれたのは今年に入ってからだと思う。向こう側に行きたいというエネルギーの高まりは最近の私の変化だ。こちら側ではなくて向こう側へ意識を持っていく。そうすることで目の前の世界が違って見える」。

