EXHIBITIONS
追悼 野見山暁治 野っ原との契約
練馬区立美術館で「追悼 野見山暁治 野っ原との契約」が開催される。
野見山暁治は、福岡県の炭坑経営者の家庭に育った。東京美術学校を繰り上げ卒業して旧満州に出征。終戦後、故郷での活動を経てフランスに留学した。在仏中に安井賞を受賞。その後、徐々に表現を抽象的なものへと変化させる。また野見山は、母校の東京藝術大学教授として学生の指導と入試改革に力を注ぐとともに、自身の戦争体験から、戦没画学生の慰霊美術館である「無言館」の設立にも尽力した。
本展では、池袋モンパルナスで過ごした東京美術学校時代から、戦後の炭坑や骸骨といった具象的なイメージを描く時期を経てフランス留学にいたる「前期」と、帰国後、自然や身近な事物をモチーフに独自のイメージを展開させ追究し続けた晩年までの「後期」に分けて展観する。絶筆作品を含む油彩画や版画、ドローイングおよび関連資料など、前・後期をあわせた約80点を通じて、野見山の画業の軌跡をたどる。
あわせて、野見山の暮らしと制作の拠点となったアトリエの風景にも焦点をあてる。野見山は1971年に練馬区に、ついで1976年に福岡県糸島市に住居兼アトリエを構えた。ともに建築家の篠原一男(1925〜2006)の設計によるもので、本展覧会では、アトリエに残された制作の道具や愛用の品などを展示するとともに、アトリエでのインタビュー映像や新たに撮影した練馬と糸島のアトリエ内部を紹介する。
野見山暁治は、福岡県の炭坑経営者の家庭に育った。東京美術学校を繰り上げ卒業して旧満州に出征。終戦後、故郷での活動を経てフランスに留学した。在仏中に安井賞を受賞。その後、徐々に表現を抽象的なものへと変化させる。また野見山は、母校の東京藝術大学教授として学生の指導と入試改革に力を注ぐとともに、自身の戦争体験から、戦没画学生の慰霊美術館である「無言館」の設立にも尽力した。
本展では、池袋モンパルナスで過ごした東京美術学校時代から、戦後の炭坑や骸骨といった具象的なイメージを描く時期を経てフランス留学にいたる「前期」と、帰国後、自然や身近な事物をモチーフに独自のイメージを展開させ追究し続けた晩年までの「後期」に分けて展観する。絶筆作品を含む油彩画や版画、ドローイングおよび関連資料など、前・後期をあわせた約80点を通じて、野見山の画業の軌跡をたどる。
あわせて、野見山の暮らしと制作の拠点となったアトリエの風景にも焦点をあてる。野見山は1971年に練馬区に、ついで1976年に福岡県糸島市に住居兼アトリエを構えた。ともに建築家の篠原一男(1925〜2006)の設計によるもので、本展覧会では、アトリエに残された制作の道具や愛用の品などを展示するとともに、アトリエでのインタビュー映像や新たに撮影した練馬と糸島のアトリエ内部を紹介する。