EXHIBITIONS
ギンザ・グラフィック・ギャラリー第364回企画展
平野甲賀と晶文社展
装丁家、グラフィックデザイナーの平野甲賀がこれまでに発表した装丁作品が一堂に集結する展覧会が開催される。
平野は1957年、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)在学時に『見るまえに跳べ』(著=大江健三郎)で当時グラフィックデザイナーにとっての登竜門的存在であった日本宣伝美術会(1960)特選を受賞。卒業後高島屋宣伝部に入社、その後フリーのグラフィックデザイナーとして活動を開始し、64年〜92年の30年弱にわたり晶文社の装丁を一手に担う。ひとりのデザイナーが一社の装丁をすべて手がけるのは稀なことで、当時のカウンター・カルチャーの旗手でもあった晶文社のスタイルをつくり上げ、出版界に旋風を巻き起こした。装丁の仕事は他社にも広がり、独特の「描き文字」、躍動するデザインの装丁は現在に至るまで7000冊におよぶ。
また、60年代半ばから、晶文社の編集者でもあった畏友津野海太郎とともに演劇活動に参加。六月劇場、劇団黒テントを中心に演劇ポスターやちらしをつくり、舞台装置も手がけた。
本展では、平野が半世紀をかけて制作した膨大な装丁作品のなかから晶文社の装丁本を中心におよそ600冊展示するほか、今春好評を博した台湾台中市での展覧作品の描き文字と、もうひとつの活動である舞台やコンサートのちらしやポスターを手直しし、作品上のメモまで書きつけ和紙に刷り出した作品およそ80点も紹介。ギャラリーが古書店であるかのように、装丁本を手にとって触れることができる。
平野は1957年、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)在学時に『見るまえに跳べ』(著=大江健三郎)で当時グラフィックデザイナーにとっての登竜門的存在であった日本宣伝美術会(1960)特選を受賞。卒業後高島屋宣伝部に入社、その後フリーのグラフィックデザイナーとして活動を開始し、64年〜92年の30年弱にわたり晶文社の装丁を一手に担う。ひとりのデザイナーが一社の装丁をすべて手がけるのは稀なことで、当時のカウンター・カルチャーの旗手でもあった晶文社のスタイルをつくり上げ、出版界に旋風を巻き起こした。装丁の仕事は他社にも広がり、独特の「描き文字」、躍動するデザインの装丁は現在に至るまで7000冊におよぶ。
また、60年代半ばから、晶文社の編集者でもあった畏友津野海太郎とともに演劇活動に参加。六月劇場、劇団黒テントを中心に演劇ポスターやちらしをつくり、舞台装置も手がけた。
本展では、平野が半世紀をかけて制作した膨大な装丁作品のなかから晶文社の装丁本を中心におよそ600冊展示するほか、今春好評を博した台湾台中市での展覧作品の描き文字と、もうひとつの活動である舞台やコンサートのちらしやポスターを手直しし、作品上のメモまで書きつけ和紙に刷り出した作品およそ80点も紹介。ギャラリーが古書店であるかのように、装丁本を手にとって触れることができる。