EXHIBITIONS
戦後ドイツの映画ポスター
第二次世界大戦の終結後、政治的対立により東西二つに分断されたドイツは、1990年に統一されるまでの間、冷戦の最前線にあって映画界も別々の道を歩むことになった。西ドイツでは映画製作が息を吹き返すとともにアメリカや西欧の他の国々の映画が盛んに輸入され、東ドイツでは国営会社DEFAによって独自の社会主義的な映画文化が誕生。
そうした映画文化の分断は、映画のポスターにも影響を与えた。西ドイツでは、アート・フィルムを配給するノイエ・フィルムクンストのような会社がハンス・ヒルマン、フィッシャー=ノスビッシュ夫妻ら新世代のグラフィック・デザイナーを積極的に起用し、ときに大胆なタイポグラフィに訴えた鮮烈なポスターを制作。一方で東ドイツでは、DEFAの采配のもと、エアハルト・グリュットナーやオットー・クンメルトらが内省的な、しかし宣伝美術の枠にとらわれない自在な表現を生み出した。
本展では、50年代後半から90年までに制作された85点(西ドイツ45点+東ドイツ40点)の映画ポスターを通じて、「鉄のカーテン」の両側で花開いた2つのグラフィズムを紹介する。
そうした映画文化の分断は、映画のポスターにも影響を与えた。西ドイツでは、アート・フィルムを配給するノイエ・フィルムクンストのような会社がハンス・ヒルマン、フィッシャー=ノスビッシュ夫妻ら新世代のグラフィック・デザイナーを積極的に起用し、ときに大胆なタイポグラフィに訴えた鮮烈なポスターを制作。一方で東ドイツでは、DEFAの采配のもと、エアハルト・グリュットナーやオットー・クンメルトらが内省的な、しかし宣伝美術の枠にとらわれない自在な表現を生み出した。
本展では、50年代後半から90年までに制作された85点(西ドイツ45点+東ドイツ40点)の映画ポスターを通じて、「鉄のカーテン」の両側で花開いた2つのグラフィズムを紹介する。