EXHIBITIONS
没後40年 山中信夫☆回顧展
―A Retrospective | Nobuo Yamanaka 1948 tokyo-1982 new york | Remastered
栃木県立美術館では「没後40年 山中信夫☆回顧展」が開催される。
山中信夫は1948年大阪生まれ、東京出身。1971年に《川を写したフィルムを川に映す》という衝撃的な35ミリフィルム映像作品で鮮烈なデビューを飾りながらも、1982年に滞在先のニューヨークにて34歳の若さで急逝した伝説のアーティストだ。美術評論家の東野芳明、針生一郎、早見堯それぞれのコミッションによって、第11回東京国際版画ビエンナーレ(1979)、第15回サンパウロ・ビエンナーレ(1979)、第12回パリ・ビエンナーレ(1982)に現地制作のサイト・スペシフィックな大作で参加するなど国際的にも高い評価を得ながらも、その活動期間は12年に満たないものだった。
ピンホールの魔術師ともいうべき足跡を残した山中。デビュー作を経て写真装置の原点であるピンホール(針穴)に、撮影しながら同時に映写する映像装置という革命的な解釈を施し、一連の作品群を展開した。
本展は、作家の没後40年からその実践を検証するもの。約150点の現存する代表作のみならず、貴重なアーカイブ資料を援用しながら、コンセプチュアルな映像とまばゆいピンホール写真による光の遊戯性を再確認するとともに、戦後の視覚芸術における重要作家の一貫した活動をたどる。
山中信夫は1948年大阪生まれ、東京出身。1971年に《川を写したフィルムを川に映す》という衝撃的な35ミリフィルム映像作品で鮮烈なデビューを飾りながらも、1982年に滞在先のニューヨークにて34歳の若さで急逝した伝説のアーティストだ。美術評論家の東野芳明、針生一郎、早見堯それぞれのコミッションによって、第11回東京国際版画ビエンナーレ(1979)、第15回サンパウロ・ビエンナーレ(1979)、第12回パリ・ビエンナーレ(1982)に現地制作のサイト・スペシフィックな大作で参加するなど国際的にも高い評価を得ながらも、その活動期間は12年に満たないものだった。
ピンホールの魔術師ともいうべき足跡を残した山中。デビュー作を経て写真装置の原点であるピンホール(針穴)に、撮影しながら同時に映写する映像装置という革命的な解釈を施し、一連の作品群を展開した。
本展は、作家の没後40年からその実践を検証するもの。約150点の現存する代表作のみならず、貴重なアーカイブ資料を援用しながら、コンセプチュアルな映像とまばゆいピンホール写真による光の遊戯性を再確認するとともに、戦後の視覚芸術における重要作家の一貫した活動をたどる。