EXHIBITIONS
赤木楠平×タカヤマユタカ「BOb」
CALM & PUNK GALLERYでは、赤木楠平とタカヤマユタカによる2人展「BOb」が開催されている。
赤木楠平は1977年東京都生まれ。幼少期をサウジアラビアやシンガポールで過ごす。日本大学芸術学部写真学科を卒業したのち渡英。2008年に帰国し、13年からはポーランド・ワルシャワに拠点を置く写真家集団「Czulosc(感度)」に初の外国人メンバーとして参加している。また近年は、絵画の制作も行っている。
特異な経歴を持ち、アイデンティティや人格が形成されていく時期の多くを海外で過ごしたことは、赤木の感覚、美意識、思想に大きな影響を与えている。つねにストレンジャーとして過ごし、身体的なルーツである祖国とその文化もまた、自身にとっては遠くにあったという。
赤木の写真作品は、スナップ写真とは異なる形式で偶然性を内包しているものが多く、また同じイメージが繰り返し使われ、複数の作品を跨いで変化していく様子がある。いっぽう絵画作品は写真作品よりもストレートで、強烈に赤木の思想を表現しているように見えるものがある。
他方、タカヤマユタカは1980年京都府生まれ。パンクに傾倒していた少年だったが、18歳での上京後、世界的に隆盛を極めるスケートブランドのショップや、いまでも語り継がれるカフェやクラブのスタッフとして働いた。2000年代の東京のサブカルチャーシーンを1プレイヤーとして過ごしながら並行して音楽活動を行い、自己表現を行っていた。
幼い頃から、何かを描くことで自身の内面を表現することに喜びを感じていたタカヤマは高校時代に美術を専攻したが、教室で学ぶという行為に馴染めなかった。公に発表することはなく、途切れつつも自分だけの創作を続けるなか、タカヤマは赤木と出会う。
写真家である赤木にとって、タカヤマは異様な雰囲気を持つ被写体でもあり、自身と同様に混沌のなかの美を視る目を持つ人物だと感じている。対してタカヤマは赤木との創作を通じ、かつてとは違った方法で自己表現を模索するようになった。
赤木とタカヤマは、シンプルに互いに支持体に要素を足していく方法で共作を行っている。赤木の抽象的な色彩や記号に、タカヤマのテキストやドローイングが混じり合った画面は、眩暈のするような興奮と混乱や、煌めきと俗悪さは紙一重であることを表している。2人の作品は、生きている限りその眩暈のなかで自分にとっての美を見つけ出しつくり出そうとする、人間の終わらない創作の記録である。
赤木楠平は1977年東京都生まれ。幼少期をサウジアラビアやシンガポールで過ごす。日本大学芸術学部写真学科を卒業したのち渡英。2008年に帰国し、13年からはポーランド・ワルシャワに拠点を置く写真家集団「Czulosc(感度)」に初の外国人メンバーとして参加している。また近年は、絵画の制作も行っている。
特異な経歴を持ち、アイデンティティや人格が形成されていく時期の多くを海外で過ごしたことは、赤木の感覚、美意識、思想に大きな影響を与えている。つねにストレンジャーとして過ごし、身体的なルーツである祖国とその文化もまた、自身にとっては遠くにあったという。
赤木の写真作品は、スナップ写真とは異なる形式で偶然性を内包しているものが多く、また同じイメージが繰り返し使われ、複数の作品を跨いで変化していく様子がある。いっぽう絵画作品は写真作品よりもストレートで、強烈に赤木の思想を表現しているように見えるものがある。
他方、タカヤマユタカは1980年京都府生まれ。パンクに傾倒していた少年だったが、18歳での上京後、世界的に隆盛を極めるスケートブランドのショップや、いまでも語り継がれるカフェやクラブのスタッフとして働いた。2000年代の東京のサブカルチャーシーンを1プレイヤーとして過ごしながら並行して音楽活動を行い、自己表現を行っていた。
幼い頃から、何かを描くことで自身の内面を表現することに喜びを感じていたタカヤマは高校時代に美術を専攻したが、教室で学ぶという行為に馴染めなかった。公に発表することはなく、途切れつつも自分だけの創作を続けるなか、タカヤマは赤木と出会う。
写真家である赤木にとって、タカヤマは異様な雰囲気を持つ被写体でもあり、自身と同様に混沌のなかの美を視る目を持つ人物だと感じている。対してタカヤマは赤木との創作を通じ、かつてとは違った方法で自己表現を模索するようになった。
赤木とタカヤマは、シンプルに互いに支持体に要素を足していく方法で共作を行っている。赤木の抽象的な色彩や記号に、タカヤマのテキストやドローイングが混じり合った画面は、眩暈のするような興奮と混乱や、煌めきと俗悪さは紙一重であることを表している。2人の作品は、生きている限りその眩暈のなかで自分にとっての美を見つけ出しつくり出そうとする、人間の終わらない創作の記録である。