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ジョルジュ・スーラ

Georges Seurat

 ジョルジュ・スーラは点描画法を創始した新印象派の画家。1859年フランス・パリ生まれ。裕福な家庭で育ち、15歳のときに市立の絵画学校でデッサンの基礎を学んで、78年に国立美術学校に入学。ドミニク・アングルの弟子アンリ・レーマンの教室に入り、アカデミックな教育を受ける。79年には退学し、美術批評家シャルル・ブランの著書『デッサンの基礎法則』を読んでオールド・マスターを独自に研究。なかでもウジェーヌ・ドラクロワの作品に見られる色彩調和に注目し、絵具は混ざると明度を落としてしまうことを発見すると、化学者のミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールの色彩理論から多くの着想を得ながら「点描法」を生み出す。

「点描法」は、パレットで絵具を混色することなく、原色でキャンバス上に小さな点を併置して描くというもの。遠目では、点が集まって色とかたちに見え(視覚混合)、輝度を損なうことなく明るい画面を実現できる。こうして、感覚的に視覚混合を取り入れたクロード・モネに代表される印象派の「筆触分割」を、科学の実証のもとで発展させた。また習作を丹念に重ね、戸外ではなくアトリエで描いた点でも印象派と一線を画す。

 84年のアンデパンダン展に最初の点描画《アニエールの水浴》(1883〜84)を出品。86年の第8回印象派展で、構想と制作に2年を費やした大作《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1884〜86)を発表し、美術評論家のフェリックス・フェネオンが命名者となって「新印象派」が誕生する。なお、印象派展は次世代の台頭をもって第8回で幕引きとなる。点描法は制作に膨大な時間と労力を要するも、ポール・シニャックをはじめ、カミーユ・ピサロなど多くの画家が制作に取り入れた。91年より、点描によって躍動感を表現することを試みた《サーカス》の制作に着手するも、完成半ばで病死。91年没。シニャックが点描法の研究を継続し、著書『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象派主義まで』(1899)において体系的にまとめ上げて、後のフォーヴィスムの画家たちへとつながる。