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ミヤギフトシ連載09:根付が見届けた欧州一家の歴史と運命

アーティストのミヤギフトシによるブックレビュー連載。第9回は、エドマンド・ドゥ・ヴァール著『琥珀の眼の兎』で描かれる、欧州の激動に翻弄された一族に受け継がれた根付コレクションの旅路から、芸術品に宿るかもしれない想像力の萌芽を思います。

エドマンド・ドゥ・ヴァール『琥珀の眼の兎』
歴史を繋ぎ、引き寄せる ミヤギフトシ

人がもはやものごとに執着しなくなっても、かつて執着したものには何らかの感情が残ります。なぜなら、そこには常に、他人には理解できない理由があったからです……エドマンド・ドゥ・ヴァール『琥珀の眼の兎』(佐々田雅子訳、早川書房、2011年)より

エドマンド・ドゥ・ヴァールによるノンフィクション『琥珀の眼の兎』は、上記のようなマルセル・プルースト『失われた時を求めて』の登場人物シャルル・スワンの語りの引用から始まる。ドゥ・ヴァールはロンドンを拠点に活動する陶芸家で、テート・ブリテンやヴィクトリア&アルバート美術館に作品が収蔵されているほか、歴史家・批評家としても高い評価を得ている。その彼が、東京に住んでいた大叔父イギーから引き継いだ264点にも及ぶ根付のコレクションの来歴を調べ、その旅路を追ったのがこの本だ。

19世紀後半、パリ。銀行業で財をなしたユダヤ人のエフルッシ一族のひとりである若きシャルル・エフルッシは、月刊美術誌『ガゼット』の編集長として、前衛美術の理解者、パトロン、コレクターとして華やかな暮らしを送っている。彼の家には、ルノワール、ドガ、マネ、モネらの画家たち、そしてプルーストらの小説家が出入りしていた。そこには、古物商から購入した根付コレクションがあった。ジャポニズムの時代に、根付は作家たちの目を強く惹きつけた。

シャルル・エフルッシは、プルーストのシャルル・スワンのモデルのひとり。『失われた時をもとめて』でも描かれているように、パリの世論は当時ドレフュス事件で二分されていた。ユダヤ人だった大尉ドレフュスがスパイ容疑で逮捕され、証拠が捏造されたものだったにもかかわらず有罪判決が繰り返し出された事件。これによってくすぶっていたユダヤ嫌悪が高まってゆき、ドガやセザンヌがドレフュス有罪を確信し、ルノワールらはユダヤ人シャルルへの憎悪をあらわにする。エミール=ゾラはドレフュスを擁護した。ここで僕は、これまで印象派と反ユダヤ主義をそれほど繋げることなく捉えていた自分に気づく。ホロコーストが、長い時間をかけてヨーロッパで着々と「準備」されていたのだということを思い知らされる。歴史の点と点を繋ぐことを、改めて考える。

ジャポニズムのブームも次第に収まり、シャルルはウィーンに住む従兄弟(でありドゥ・ヴァールにとっての曽祖父でもある)ヴィクトルの結婚祝いに根付コレクションを贈る。こうして根付は世紀の変わり目、1899年にウィーンへとたどり着く。フランツ・ヨーゼフ1世によって大規模な都市計画が行われ誕生した荘厳な近代都市ウィーン。リングシュトラーセとショッテンガッセに面するパレ・エフルッシは、大理石の宮殿。そのパレは現在カジノ・オーストリア本部となっているそうだ。グーグルマップで見てみると、マクドナルドやスターバックスがテナントとして入っている。根付はこのきらびやかなパレにはとても不釣り合いで、ヴィクトルと妻エミーはその置き場所─ガラス棚ごと贈られた根付─に思い悩み、最終的にエミーの化粧室に置かれることになる。そこは、夫妻の3人の子供たちの格好の遊び場、母親との交流の場となる。メイドのアナがエミーの着替えを手伝うあいだ、子供たちは根付を手に取り、それで遊ぶ。想像力を膨らませて、動物や人間をかたどった根付は、きっと小さな手にすっぽり収まる、触り心地の良いものだったのだろう。

しかし、ウィーンでも反ユダヤ主義が急激に強まってゆく。ユダヤ嫌悪をあらわにした小説が出版され、学生たちが反ユダヤのデモを展開する。ウィーンで2番目に大きかった銀行を経営するエフルッシ家への風当たりも強くなる。ユダヤ人が金融界を牛耳っている。ユダヤ人が我々の仕事を奪った。人々はすっかり信じ込んでいる。そして、ドイツや併合されたオーストリアで起こった「水晶の夜」。パレ・エフルッシにも怒りにかまけた若者たちがなだれ込む。ものが破壊される。パレの美術品や蔵書が押収される。水晶の夜、クリスタル・ナハト。その名前は知っていた。破壊されたガラスが月明かりに光る様子を言い表しているということも。改めて調べてみて、ゲッペルスに名付けられたのだと知った。彼は、その光景を美しいものとしてみていた。にわかに想像力が働かなくなり、混乱する。そのような精神状態をとても想像できない。歴史が、僕の想像力からこぼれ落ちそうになる。反ユダヤ主義やホロコーストについて考えるとき、ときどきこのような想像力の欠落が起きてしまう。

こうしてヴィクトルとエミーは、パレを追われ、国外に亡命する。土地を奪われ、無一文になった二人は異国の田舎で死ぬ。この本はページの大半を割いて、パリそしてウィーンでユダヤ人が晒されてきた暴力を執拗とも言えるほどに調査し、冷静な視線で描いていく。パリで人々の眼を惹いた根付も、ウィーンでは子供以外誰も眼を止めようとしない。ナチス親衛隊さえも。そうして根付は不可視化され、凄惨な歴史の一幕を「目の当たり」にしながら、表舞台からフェードアウトする。

第二次世界大戦後、長女のエリザベトがウィーンのパレに戻る。案内した男性が、彼女に言う。昔からここに住み続けている老女がいる、と。それは、メイドのアナだった。まるで映画のような展開。それはさらにドラマチックな「奇跡」を呼び起こす。お見せしたいものがある、とアナが持ってきたものは、彼女やきょうだいが幼い頃に慣れ親しんだ根付だった。しかしこの事実を知った際のドゥ・ヴァールの言葉は、安易な感動を否定するようにこう綴られる。

根付がアナのポケット、アナのマットレスで生き延びたのは、人を侮辱するものではないか。わたしはそれが象徴へ転化するのに耐えられない。なぜ、根付が隠れ場所でこの戦争をやり過ごせたのか? 隠れていた人々の非常に多くが、やり過ごせなかったというのに? エドマンド・ドゥ・ヴァール『琥珀の眼の兎』(佐々田雅子訳、早川書房、2011年)より

ドゥ・ヴァールのこの言葉に、僕はどう反応してよいのかわからない。何度も読み返し、そしてその思いを想像しようと試みるー「わたしはそれが象徴へ転化するのに耐えられない」。エリザベトの手元に戻った根付は、日本に赴任することになった末っ子のイギー(エリザベトの孫ドゥ・ヴァールの大叔父)に託され、イギーと彼が終生をともにしたジローの住む家に置かれた。1947年だった。それから1990年代まで、凄惨な歴史の渦にふたたび飲み込まれることはなかった。そこにあったのは、二人の男性の穏やかな日々だった。

彼は”資生堂レストランで落ちあって、ビーフカレーか蟹コロッケを食べよう”とよくいっていた。帝国ホテルのバーで会うことも多かった。家でもしょっちゅうパーティーをやっていたが。みんなが帰ったあと、僕たちは夜遅くまで蓄音機でオペラをかけながら、ウイスキーを飲んだものだ。 エドマンド・ドゥ・ヴァール『琥珀の眼の兎』(佐々田雅子訳、早川書房、2011年)より

ジローの言葉だ。ふたりはイギーの「黄色いデソトのコンヴァーティブル」で、いろんなところに旅をした。上野の美術館に行った。「戦時中に非常に普及していた」というベートーヴェンを聴いた。僕は、その様子を読んでとても嬉しくなる。壮絶な反ユダヤ主義に晒され、第二次世界大戦で離散してしまった一家のひとりが、東京でささやかに、幸せそうに暮らしていたというその事実に。

最近の制作で、僕はキリシタン弾圧時代の日本についてリサーチを重ね、そして日本のキリシタンがたどった旅路を追うように、いくつかの場所を訪ねた。400年以上、途方もなく遠い過去の話だと思っていた。しかし、調べ、彼らが聴いたかもしれない音楽、見たかもしれない海について想像しているうちに、僕は彼らに寄り添っているような気分になっていた。棄教した元キリシタンが昔学んだ西洋音楽を思い出して、懐かしさとともに穏やかな気分になったことは、果たしてなかったのだろうか。そんなふうに想像していた。400年など、大した時間ではないのかもしれない。歴史の点と点を繋ぎ、自分のもとに手繰り寄せることは、困難であっても不可能ではない。それが自分の中で、繋がったとき、400年前の出来事が、急に現代性を帯びてくる。

ドゥ・ヴァールの本を読んで、ヨーロッパ史の点と点が繋がり、そしてイギーとジローの存在によって(根付がヨーロッパから日本へと旅してきたように)、ヨーロッパの歴史を自分のとてもパーソナルな領域まで手繰り寄せることができたように思えた。僕は、ドゥ・ヴァールが書いた「象徴へ転化するのに耐えられない」という言葉を思い出す。象徴への転化を防ぎ、点と点を繋ぐことを考える。そしてフェリックス・ゴンザレス=トレスが「1990: L.A.」で書いたことを、反芻する。

私たちは、憎しみや無知の流布や恐怖と戦わなければならない。歴史と事実を有効に使いながら。私たちが点と点を結ぶことを、体制側は何よりも嫌がる。 フェリックス・ゴンザレス=トレス「1990: L.A.」(ジュリー・オルト編『Felix Gonzalez-Torres』steidldangin, 2006より)

『琥珀の眼の兎』を読み終えて、都内の骨董品店で実際に根付をいくつか借りて手に取ってみた。時間の経過で表面がなめらかになり、穏やかに輝いている。このような根付を手に想像力を膨らませたイギーのことを考えた。そして、100年以上前ヨーロッパに渡り、第二次世界大戦を経て日本へと戻り、そしてイギリスへと旅立った根付のこと、それらが「目撃」した歴史と事実のことを。

PROFILE
みやぎ・ふとし 1981年沖縄県生まれ。XYZ collectiveディレクター。生まれ故郷である沖縄の政治的・社会的問題と、自身のセクシャリティーを交錯させながら、映像、写真などを組み合わせたインスタレーションによって詩的な物語を立ち上げるアート プロジェクト「American Boyfriend」を展開。近年の展覧会に、「他人の時間」(2015年、東京都現代美術館ほか)「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの 声」(2016年、森美術館)など。「あいちトリエンナーレ2016」(2016年8月11日~10月23日)のコラムプロジェクトに参加。 「蜘蛛の糸」(10月15日〜12月25日、豊田市美術館)に参加予定。
http://fmiyagi.com

information

著者:エドマンド・ドゥ・ヴァール(佐々田雅子訳)
出版社:早川書房
刊行:2011年11月10日
価格:2484円(税込)

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