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桑久保徹連載8:A Calendar for Painters Without Time Sense

アーティスト・桑久保徹による連載の最終回。2018年1月、小山登美夫ギャラリー(東京)での個展で発表された「カレンダーシリーズ」は、桑久保が尊敬する画家の生涯をひとつのキャンバスに込めて描いたシリーズ。美術史の中にいる多くの作家から、桑久保の選んだピカソ、フェルメール、アンソール、セザンヌ、スーラ、ゴッホの6人を表現した。この連載では、その制作にいたった経緯や葛藤、各作家との対話で見えてきた感情、制作中のエピソードが織り込まれた個展のためのステートメントを、全8回にわたってお届けする。最後となる今回は、スーラとの対話から絵の完成まで、そして個展の搬入からスタートまで。

文=桑久保徹
桑久保徹 ジョルジュ・スーラのスタジオ 2018 181.8×227.3cm © Toru Kuwakubo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

Permanence 9/
 影の部分。木立が作る影を描く。点をいくつも打つ。ただひたすら打つ。背景部分、夏の湿度、空気の厚みを思う。22.4lの中に、無数の分子が揺れている。ここから向こうまで、私が触れる部分までには、さらに様々な分子が、無数に存在する。あるものは形となり、あるものは空気中に漂っている。アボガドロ定数にまったく満たないものが、エネルギーあるいは粒状となって漂っている。こちらから向こう側まで、私の筆はそれらの分子の中を通り過ぎる。時計を見る、違う、時計は狂っている。電池が切れてきている。どれくらいの時間が経つのかわからないが、まだ20センチ四方程度しか進んでいない。解像度が高い自分の目を恨む。イーゼルや小道具、箪笥や椅子を描く。夏の毎日同じ時間にアトリエに通い、同じ時間に帰る。朝カフェ・ゲルボアに座るドガの目の前を、君は横切る。君はドガの存在に気づかない振りをして通り過ぎる。見ろ、スーラだ、公証人のお出ましだ! 皮肉屋のドガが店主に叫ぶ。うるさい。
 マスキングテープをすべて剥がす。絵画部分の模写に取り掛かる。春のグランド・ジャッドのセーヌ川、クールブヴォワの橋、オンフルールの埠頭、グランカンのオック岬を描く。ザーと波の音がする。良い兆候だ。勢いで、画面上部、絵画部分で二番目に大きなアニエールの水浴を描く。点描作品には絵の縁に補色の枠が描かれるが、初期のこれにはまだ見られない。右を向く赤い帽子の男が、遠くを見つめている。周囲に溶け込むように、空間が歪にならないよう配慮して描く。
 君は当時、最先端の色彩論である、色彩の同時対照の法則、と、近代色彩論、を読んだ。そして光の減法混色とか色の加法混色、それに視覚混合と補色対比について学んだんだ。感覚によらない、光学的な理論を用いた絵画。つまりは、色の実証実験の産物として絵を描くというわけだ。でも、これらがただの色の実験なわけがないだろう? 色の実験をするために絵を描くなんて嘘だ。だって君は、絵を描くのがこんなに大好きじゃないか。でなければこんな異常な仕事、出来ると思うかい? ポール・アン・ベッサンの外港 満潮を描く。
 サロンに通ったり、新しい画家の仕事もよく見ているね。出来れば仲間に入りたいとも思ってる。でも君が、君の憧れてた印象派展を終わらせてしまうんだ。寡黙で礼儀正しい君が最も破壊的だったのは面白いね。モネとルノワールが君の絵は絵じゃないと怒ってボイコットしたのは、君には悪いけど、なんか面白いよ。ピサロがいてくれて良かったね。
 グランカンの舟を描く。良い絵だ、心が休まるよ。描く前は、こんな気持ちになるなんて思わなかったのにな。水平方向に広がる海と、その上部にはグラデーションの空。程よい位置にある樹木、あるいはヨットの帆。均衡のとれた静かな絵。鎮静剤と言ったマティスの言葉を思う。
 

 これは平和な海の景色で、船が通りすぎてゆく。灌木の生えた三角形の部分と海の壁とが画面を二分し、画面の右では海が海岸に接し、夏空の明るい光のなかで暗い船体の水平線が目立って見える。
 これはよく晴れた1日に対する一種の挨拶であり、海の明快さに対する頌詩、青色と陽光のなかへの旅でもある。〈中略〉
 これはスーラの描いた最も休息感あふれる作品で、マチスの述べた絵画のあり方を思い出させる。「私は均斉や純粋さや静けさを有する芸術を夢見ている、何ら人を混乱させたりする要素がなく、ビジネスマンだろうと文筆家だろうと頭を働かせるあらゆる人々にとって一種の鎮静剤、頭脳のトランキライザーとなり、一日の辛い労働の後で頭をリラックスさせる何か楽な肘掛け椅子のようなものである芸術を」。

 価値基準が揺らぐ。このような静かな絵を、私はここのところ見たことがあっただろうか。こんな風に調和の取れたものを、見ることがあっただろうか。現代を生きる私には、そんなものを作り出すことは不可能だし、無意味なのだろうか。
 オンフルールの灯台、夕暮れのオンフルールを描く。そんなことはないよな、だって君の絵を描くのはとても気持ちがいいんだ。
 グランカンの干潮を描く。額縁まで点描する君、頭がおかしいね。そういうとこいいよね。わかるよ。
 セーヌ川クールブヴォワにて、を描く。
 私はずっと、興奮剤のようなものを作り出したいと思っていたような気がするんだ。少なくとも、何かインパクトがあったり、知的興奮をもたらすことが出来ないだろうか、と考えていたのかもしれない。けど、間違えてたかもな。私の個性も、それには向いていなかったんだね。君を描くことが出来て、良かった。そのことに気付けて、良かったよ。
 
 興奮剤:コカイン、カフェイン、ニコチン、覚醒剤、デザイナードラッグ(含幻覚)、MDMA(含幻覚)
 鎮静剤:アヘン、アルコール、モルヒネ、コデイン、ヒヨスチン、スポコラミン
 
 下方右に、化粧する若い女を描く。なんかブスだよね。マデリン。悪いけど。この娘、君の奥さんでしょ? 面白いわぁ、あの話。君の死ぬときの話。なんで死ぬ2日前まで両親に言わなかったの? 君の葬式で、画家仲間も超びびったらしいじゃない。君の奥さんと子供見て。結婚しとるんかい! しかも子供いるんかい! だわな。君は棺桶の中で安らかに眠っている。だはは! 棺桶の脇で、ご両親が泣いている。画家仲間も神妙な面持ちでいる。そこにマデリン。2人目妊娠中。ふざけ!
 たまにいるよね、君みたいな人。秘密主義者とかではないんだよね。別に。ただ言いそびれただけというか、言うタイミングなかったというか必要なかったというか。変人とか言われても困る。でしょ? でもまあ、なんていうか、変わってるよ、君は。
 絵画部分の模写も終わり、全体が埋まった。ここからが本当の地獄。全体を見ながら、一点一点打っては進み、一点一点打っては戻る。無限地獄。ここを打つと、ここも打たないと、あ、ここも打たないと、あ、ここは消さないと。自分でも凄いなと思うのは、だんだん画面全体のうちの1点の色の打ち間違いに気づくようになること。画面全体をジッと見る。あの、真ん中右の方、黄色い1つの点、色、違くない? 近づく。ほら、クロームイエローの点じゃなくて、パーマネントイエローの点。それは以前に、私が試し打ちした点。絵画面積が41,314㎠で、そのうちの1つの点の面積は0.04㎠。凄くない? 私の目。
 凄くない。いかれる。すぐに。私の目は。霞む。チカチカチカチカ、チラチラチラチラ、ぐわあチカチカチカチカ、チラチラチラチラもうやってらんねぇよ! 変態! 無理だよもう! 色見えないよ! ムカつく! チカチカチカチカ、チラチラチラチラ。黄色と黄緑と濃緑が揺れている。見上げても、見下げても、どこにも焦点は合わない。もうどこにも、焦点は合わない。
 二重スリット実験の観測問題。
 壁に、縦にスリットを2つ開ける。そこへ素粒子の粒を発射する。2つのスリットをすり抜けた素粒子が、なぜかその先の壁に複数の縞模様を作り出す、というもの。
 素粒子は粒(物質)だから、予想ではそのまま壁に2つの縞模様が現れるはずである。だが、結果は複数の縞模様。複数の縞模様が現れるのは波(エネルギー)の現象であるから、何かがおかしい。
 そこで、なぜそうなるのかを確認しようとすると、縞模様は2本になる。つまり、意識して見ると、波だったエネルギーが、もう一度素粒子(物質)に戻る。さらに何かがおかしい。
 要するにこの実験は、素粒子が意識していないときは波(エネルギー)の状態なのに、観測しようとして意識すると粒(物質)になってしまうというもの。
 ただ、この実験のこの現象が、なぜそうなるのかという理由については未だにわかっていない。これを観測問題と言う。

 レイディン博士の応用。
 素粒子を二重スリットに発射している際、片方だけを多く通過するよう念ずる。
 すると、少しずつ、だが明らかに縞模様に偏りが見始められる。念ずる(意識する)のを止めると、再び複数の縞模様が浮かびあがる。これを一般人250人で繰り返し実験するが、どれも同じ結果が出てしまう。これが偶然である確率は、50万分の3。原因不明だが、とにかく、人の意識によって、素粒子が変化してしまうという現実。
 意識はバイオフォトンという素粒子の一種なので、エネルギーでもあり物質でもあるという二重性を持っている。
 その素粒子である意識が、また別の素粒子の位置と時間を決めている。
 私が意識することで、波(エネルギー)だった素粒子を、粒(物質)にしてしまう。粒(物質)になると、自動的に位置と時間は決定される。 私の肉体という粒(物質)の集積は、今、ここにいる。
 この世に存在する空間と物質は全て、この量子(素粒子などの最小単位)で出来ているから、私が常に何を意識するかによって、量子は偏在化する。つまり、現実化する。意識が現象化を促してしまう。
 本当にすまない。気がつけばまたムー。ごめんよスーラ君。あ、また黙ってるね。しってる。
私はとにかく、君のこの絵を終わらせる。私の意識で、現実化させてみせる。絵の四辺の縁に残る枠部分。これを、色相環を参考に補色で描く。君のやり方を見習って、だ。海の横を黄色とピンクで、空は黄色と緑、青と赤で、樹木や芝生の横を青とピンクで打つ。カラーチャートを使い、さらにヴァライダグリーン、モーブ、ジョーンブリアンNo.4を足す。私は知っている。この絵は本当には終わりがない。だが私は、終わらせなければならない。私はそれを念じて点を打つ。

 君の木炭、僕はいつか買いたいと思っているのだけど、いいかな。素晴らしいよね。私は、君の感受性が好きだったんだ。色なんてなくても、本当に素晴らしい。

 泣く女が点を打っている。女は、集中力を欠いているために、画面上で粒が混ざり合い、濁り始めている。私と女は、違う理由で、目が霞んでいる。
 もう、終わりにしよう。
 女が忘れていった腕時計を見る。いつも9時45分にアラームが鳴る。

Transition 10/
 1月18日。REXITEの振り子時計に電池を入れ、携帯電話で確認した時間に合わせる。9:45。作品を全てトラックに積み込み、私もトラックに乗り込み、六本木のギャラリーへ向かう。
 展示作業、6枚の150号の絵と、6枚の額装されたレコード付きドローイングが並ぶ。展示作業は夕方までにあらかた終わる。
 セザンヌの絵の前、日高君とレコードの音源をイヤホンで確認していると、小山さん。
 このセザンヌの絵の前に、本物あったら、面白くない? 面白いよねえ! はあ……まあ……。 よし! ヨシイさんとこ、借りに行こう! ……マジですか。
 徒歩3分。ヒロミヨシイギャラリー六本木に着く。江戸っ子ふたりの、雑なやりとりを見つめる私。
 ヨシイさんこんばんは、コレかあ。うん、今うちにあるのはこの水彩、オルセーにも貸した事あるやつ。うわ凄い、借りるのになんかいらないの? いいよいいよ、小山さんだもん、名刺かなんかないの? ごめんなさい、今ない! じゃあなんか後でスタッフに持ってこさせるなりなんなりすればいいって。ほんと? ありがとありがと。
 粋。そんなんでセザンヌ借りれんの? すごいなあ、なんか、かっこいいなあ。
 桑久保君なんか転びそうだから、僕持つから。小山さんが、タトウを抱えて、車道を歩いている。新しく出来たステーキハウスの値段を確認している。ペロタンのオープニングパーティーに入ろうとして、混んでるからやめたりしている。
 3分後、再びギャラリーに戻る。小林君、落下防止付き三点フックってついでに買ってこれる? 携帯で話す。
 額、大丈夫すか? レコードんとこ、なんでなんだろう。いや、今ドイトいて、聞いたんすけど、なんか無いって、うちでは落下防止付きは無いって言ってんすよね。でも、普通のはあって、これでもたぶん大丈夫、落ちないって言ってんすよ。ちなみに何掛けるのって聞かれたから、言ったんすよ、セザンヌ。今からそっち行きます。
 私のセザンヌの絵の横に、本物のセザンヌの絵が掛けられる。もうなにがなんだか、わけがわからない。

 1月20日、18時。「A Calendar for Painters Without Time Sense 1,3,4,5,7,8」オープニング。
 展覧会が始まる。来た人たちが、私の絵を見ている。私は話しかけたり、話しかけられたりしている。ギャラリーのスタッフさんが、ボトルコンテナを運んでいる。音楽が鳴る。スーラの曲が始まる。気が付くとたくさんの人がいる。曲が終わると、人々はまた、絵を見たり、話したりしている。少しだけ、幸せそうに見える。勘違いかもしれないが、もしそうなら、私は嬉しい。日高くんの曲が再び始まる。フェルメール。一瞬、ほんの束の間だが、この場所が今、世界で一番良い場所だと思う。

 2月2日、雪が降っている。台湾の展示準備のため、ミケランジェロの下絵をカーボン紙でキャンバスに移している。
この絵が終われば、私は再び、カレンダーシリーズを描くことが出来る。

profile

くわくぼ・とおる

アーティスト。1978年神奈川県生まれ。“絵を描く”という方法で、現代美術に立ち向かうためのやり方として、自分の中に架空の画家を見いだすという演劇的アプローチで制作活動を開始。あえていまや古典的とも言えるゴッホのような油絵具の厚塗り技法を用い、現代的心象風景を物語性豊かに描く独自の世界は、国内外で高い評価を受けている。本連載は、2018年1月20日〜2月17日にかけて、小山登美夫ギャラリー(東京)で開催された個展「A Calendar for Painters Without Time Sense 1. 3. 4. 5. 7. 8」のための、作家によるステートメントとして書かれた。

information

桑久保徹「A Calendar for Painters Without Time Sense 1. 3. 4. 5. 7. 8」展

会期:1月20日〜2月17日(終了)
会場:小山登美夫ギャラリー
本展は、これまで桑久保が取り組んできた「自分の中に架空の画家を見出す」というアプローチから派生した、「カレンダーシリーズ」を発表。ひとつのキャンバスのなかに画家の生涯を描くもので、2014年から約3年の歳月をかけて6ヶ月分を制作した。また、音楽家の日高理樹がそれぞれの画家をテーマとした音楽を制作。同ギャラリーのウェブサイトで試聴することができる。

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