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【今月の1冊】ツェランの詩がうつし出す、新しいキーファー論

『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から、エッセイや写真集、図録など、注目したい作品を紹介。2016年2月号では、ユダヤ人詩人パウル・ツェランの詩を手がかりに、アンゼルム・キーファーの作品を再考する関口裕昭著『翼ある夜 ツェランとキーファー』を取り上げた。

近藤亮介

関口裕昭『翼ある夜 ツェランとキーファー』表紙

関口裕昭 著『翼ある夜 ツェランとキーファー』 ユダヤ人の詩からキーファーを読み解く

世界的に著名なドイツ人美術家アンゼルム・キーファー(1945~)と戦後ヨーロッパ最大のユダヤ人詩人パウル・ツェラン(1920~70)。本書は、長年ツェランを研究してきたドイツ・ユダヤ文学者の視点から、重厚で難解なキーファーの作品を精査し、両者の深い関係に光を当てる野心作である。

著者によれば、キーファーの作風は1980年前後を境に大きく変化した。それまでのドイツ史やゲルマン神話に代わってツェランの詩が主題として扱われるようになり、鉛・砂・藁など描画素材は多様化した。したがって、本書は80年代以降のキーファー作品の変遷を丁寧に跡付けながら、「子ども服」「書物」「飛行機」といった象徴的モチーフや、インゲボルク・バッハマン、アーダルベルト・シュティフターらを媒介にして、キーファーとツェランの親近性と差異を明らかにしていく。

また後半では、ジャック・タチの映画『プレイタイム』(1967年)に着想を得たツェランの詩や、小説家ポール・オースターのツェラン論「亡命としての詩」(1975年)および詩・小説のように、一見無関係と思われる人物・作品とツェランとの関係を指摘し、最後にキーファーへと接続を試みる。対象の国・地域を広げて展開されるその分析は、ホロコーストを経験したユダヤ人(とその末裔)が背負い続ける過去の重さを痛感させると同時に、作品の再解釈や新たな創作を喚起する可能性を示唆している。

このように、本書はドイツ/ユダヤ、美術/詩の連関に焦点を当てつつ、今も精力的に制作を続けるキーファーを中心に据えることで、現代に繋がるアクチュアルな問題を提起しているように思われる。それはつまり「戦争の記憶」である。第2次世界大戦後70年を迎えた2015年、終戦を記念する式典が世界各地で開催され、日本国内でも戦争に取材したマスメディアの特集、映画、展覧会などが多く見られた。しかし、北方領土や従軍慰安婦など先の大戦から生じた問題は未だにくすぶり続けている。

当事国が建設的な議論を重ね、和解への道を開くためにも、戦争を体験したことのない世代が、戦争を記憶し、次世代へ伝え、他者と共有していく術を徹底的に考える必要がある。ドイツとユダヤとの確執を真正面から受け止め、両者のあいだを往還しながら粘り強く思考する1945年生まれのドイツ人美術家から、日本人が学べることは少なくないと気づかせてくれる一冊。

『美術手帖』2016年2月号「BOOK」より

編集部

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