【今月の1冊】キュレーター・東谷隆司の遺稿集『NAKED』

『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から注目したい作品をピックアップ。毎月、図録やエッセイ、写真集など、さまざまな書籍を紹介。2016年1月号では、2012年に44歳で他界したインディペンデント・キュレーター東谷隆司の遺稿集『NAKED』を取り上げた。

中島水緒

東谷隆司『NAKED』表紙

東谷が遺したアートの未来

活躍が期待されていた人物の早過ぎる訃報は様々な思いを去来させる。過激なエピソードに事欠かない人物ならなおのこと、その人の遺した仕事について冷静に語り出すにはどうしてもそれなりの時間を必要とする。2012年に急逝したインディペンデント・キュレーター、東谷隆司の遺稿集が刊行された。3年という月日を長いとみるか短いとみるか。どちらにせよ私たちは、東谷が発した魂の声に虚心に向き合う時機にいる。

世田谷美術館、森美術館で勤務したのちに独立、数々の先鋭的な展覧会を手がけたほか、トーク、DJイベント、アーティストとしての作品発表やSNSでの発信など、東谷の活動は多岐にわたった。その多面性はテキストのみでは補足しきれないが、冷静な評価のためには、やはりテキストという原点にこそ立ち返るべきだろう。

Ⅰ章には1999年の伝説的展覧会「時代の体温」、2005年の「GUNDAM」展などの展覧会テキストを収録する。世紀をまたぐ節目の時代から東谷のビジョンは明確だった。欧米の最新動向に追従して国際化を目指すのでなく、徹頭徹尾ドメスティックであることにこだわり、肉体から溢れる欲求に忠実な「日本の」現代美術を志向した。また、「GUNDAM」展では従来のアニメ・マンガ展にない切り口を提示し、サブカルチャーとハイアート、大衆性と専門性の垣根を取り払う道を模索した。

Ⅱ章は奈良美智、徳富満、天明屋尚らの作家論。いずれもアーティストへの深い共感とリスペクトをベースとしつつも、冷静な分析者としての視点も持ち合わせていたことが伝わるテキスト群である。最後のⅢ章は書き手としての幅を感じさせる各種雑誌記事を集める。極めつけは巻末収録の『美術手帖』主催「芸術評論」の落選論文「概論・変態とは何か」。下ネタの連続に嫌悪感を抱く読者もいるだろうが、美術史への歪んだ愛が炸裂した、見過ごせない怪作である。

思うに東谷ほど、閉塞した現代美術を公に開くという理想を本気で追い求めたキュレーターはいなかったのではないか。おのれの存在を賭けた「本気」はときに歪んだ形式をとったが、危ういバランスの天秤の一方には、理論化の作業を怠らない勤勉さと時代を読む鋭敏な感性があったように思える。

いくら人物にまつわるエピソードが伝説として語り継がれても、遺した仕事が正しく評価されないのなら、それは不幸なことだ。故人にとって、という以上に、アートの未来にとって。東谷が個人の生と人類の進化の歴史が交差するポイントに美術作品を捉えていたことを思い起こし、私たちもときには長大な時間軸のなかでアートを考えるべきなのかもしれない。

『美術手帖』2016年1月号「BOOK」より)