出逢いは突然にやってくる。アーツ千代田3331(東京・末広町)で美術家・中津川浩章がファシリテートするアートスクール「エイブルアート芸術大学」を見学した際、心惹かれる絵と出逢った──。
そんな書き出しで始まる原稿が、本連載2回目にあたる「怪獣ガラパゴス天国」だった。紙面いっぱいに大好きな怪獣たちを描き続ける小さな表現者・八木志基(やぎ・もとき)くんを取材し記事を書いた。2016年のことだ。そこから7年ぶりに僕は再び志基くん宅を訪れた。
神奈川県川崎市のとある高層マンションの一室のインターフォンを鳴らすと、出迎えてくれたのは、20歳になっていた志基くんの姿だった。現在は、東京都杉並区にある3年制の阿佐ヶ谷美術専門学校へ通っているという。
「学校はここから1時間以上かかるんですよ。通勤ラッシュに巻き込まれないように、なるべく空いているルートを選んでるんですけど、結構人が多いんですよ。ちょっと時間が違うだけで人の混み具合が違って、嫌なんですよ」。
志基くんは眉間に皺を寄せて、そう教えてくれた。小学校を卒業したあとは、普通中学の特別支援学級に在籍し、美術部にも所属した。2年生になって次の部長を決める際に、先生から「一番絵の上手い人が部長をやるべきだ」と指名され、2年生の途中から部長を務めることになったという。コミュニケーションの面で困難さを抱え、スムーズに自分の考えを言葉で述べることが苦手な志基くんにとって突然に降りかかった大役に母親も当初は困惑した。「部長になると文化祭のときに人前で喋らなきゃいけないから、ちゃんと務まるか心配だったんです。でも立派に喋ることができて、それが自信につながったのかな」と母は推測する。
ちょうどその頃、僕が広島で運営していたアートスペース「クシノテラス」で初めてとなる個展も開催した。そのときに展示したのは、「テクノメカシリーズ」「ガイコツシリーズ」「魔神獣シリーズ」などの自ら考案したオリジナル怪獣シリーズのほか、その表現に至るまでの幼少期から描いていたウルトラ怪獣の模写などだ。現在も志基くんが描いた作品はすべて自宅で保管しているというから、家族の深い愛情を感じざるにはいられない。
何より特徴的なのは黒ボールペン1本で、父親が仕事で使った書類の裏面に描いているということだった。幼少期には自分の欲しいものを絵に描いて母親に訴えるなど、家で過ごす時間の大半が絵を描くことに費やしてきた志基くんにとって、1冊の落書き帳などでは到底描き足りることはなかったようだ。カレンダーや新聞など家の中のあらゆる紙媒体が創作の舞台となり、父親が仕事から持ち帰った書類の裏面が、いつしか彼にとって最も使いやすい素材となった。「いまでも仕事から持ち帰った紙をこの箱に入れるようにしてるんですけど、減ってくると『もう無くなっちゃうよ』と指摘されます」と父は笑みを浮かべる。
今年5月にはNHK番組『no art,no life』で創作の様子が紹介されたが、カメラを向けられると、ペンが止まり、頭を抱える場面も映し出されていた。いまでも人から注目されることは苦手なようだ。
「高校は普通校に行くのは難しいと思って、14校ぐらい見学に行って、最終的に横浜にある通信制高校の技能連携校に通いました。初めは緊張していた様子でしたけど、2年生になってからは自分で寄り道もできるようになったみたいで」と母は当時を振り返る。
高校生になると、彼の創作にも変化が訪れた。教師の勧めで「ねり消し」の存在を知り、鉛筆で薄く当たりを付けてから絵を描くなど下書きを施すようになった。これまでも間違えた際には紙を貼って描き直していたが修正液を使うようなったり、専門学校入学を機に黒一色だった画面に色が入るようになったりと、成長していくにつれて多彩な画材を使いこなすようになっていく様は、まるでロールプレイングゲームのようだ。高校時代に描いた怪獣画を見せてみらうと、その見事な造形美や構図はもとより、色々なパーツが合体していくようなアイデアなど、作品の持つ力に僕はどんどん惹き込まれていく。
そんな志基くんは、現在は怪獣画を描く機会は少なくなっているようだ。「ずっと(怪獣を)描いてきたんですけど、構図が似たようなものか多くて困惑しちゃって。似たような感じで飽きてきちゃって。もっとシンプルで可愛い方が良いかなと思って、いまは学校でも癒し系の方にいっちゃってますね」と可愛らしいイラストをたくさん描くようになっている。
じつは志基くんは、これまでも人気キャラクターの「なめこ栽培キット」「すみっコぐらし」「ポケットモンスター」などをモチーフにした絵を描いてきた。見せてもらったスケッチブックには高校生の頃から描いてきたという可愛いイラストがあふれていたが、なめこの世界の中にマリオを登場させたり、なめこたちが海水浴をしていたりとどこか独創的だ。怪獣画がA面だとすれば、こちらはB面とでもいうべき表現なのだろう。そのどちらにも共通するのは、多様な種族が存在しているという点だ。
「最近イヤホンをつけていると『耳にカビが生える』というショックなニュースを聞いてしまって、本当にショックなんですよ。そう言われると、自由度がなくなるし結構つまんないんですよ」。
「自由度がなくなる」というのは志基くんがよく使う言葉のひとつだ。「コロナ禍になってから、人に警戒するようになっちゃって。人との関わりで感染しちゃう可能性が大きいから、人間が怖くなっちゃって」と語るように志基くんは、つねに人ではない生き物を描き続けてきた。彼にとって、何を考えているか分からない人間という存在は、もっとも理解し難い生物なのだろう。そう考えると、彼が仮面ライダーに登場する怪人ではなく、ウルトラ怪獣という、人から遠く離れた存在に魅了されるのもなんだか腑に落ちる。そして、一方的に提示される社会の決まりごとやメディアから流布される多くの情報は、そんな彼にますます息苦しさを与えてしまう。そんなときに、自らが創作した怪獣や可愛いキャラクターたちは画面の中で自由に動き回ってくれるのだろう。彼は、そうしたトリックスターとしての境界を超えていく存在に自己を投影しているように思えてくる。
僕たちは、ありのままに自由に生きたいという欲求を本質的に持っているが、同時に多くの決まりごとに囲まれながら、様々な行動基準に従って生きている。そのため、多くの人たちはこうした制約のなかで自分の本能や欲求などを押し殺して生きていかなければならない。そうしたときに、世界を破壊する存在としての「怪獣」とファンタジーの世界を創造する存在としての「可愛いキャラクター」という相反する造形をつくり出すことできる志基くんを何だか羨ましくも感じてしまう。描くことの少なくなった怪獣たちを、再び蘇らせるようなときは訪れるのだろうか。そんな期待を胸に、彼が再びペンを走らせる日を僕は静かに待ちたいと思う。