櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:両親に捧げる絵画

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第33回は、目から涙を流す女性像を描き続ける百合百合を紹介する。

文=櫛野展正

私たちは生きている 2020 水彩紙にアクリル、水彩、顔彩、墨 51.5×36.4cm
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 宇宙空間のような場所で、裸の女性たちが絡まりあっている幻想的な絵画。少女漫画で描かれるような「まつげ」が特徴的だが、ひとりの女性の目からは洪水のように多量の涙があふれている。人物の周囲は炎で囲まれており、作品からどこか情念のようなものさえ感じてしまう。

 作者は「乙女画家」を自称する百合百合(ゆりゆり)と名乗る女性だ。31歳の百合百合さんは、1989年に秋田県で3人きょうだいの長女として生まれた。

 「隣にお寺があって、小さい頃はお墓でかくれんぼをして兄たちと遊んでいました。もともと絵を描くことは好きで、漫画家になることを夢見ていたんです。『ONE PIECE』のような王道の少年漫画などを真似してよく描いていましたね」。

 10代の頃、家にインターネットが開通したことで、彼女はそれまで知ることのなかった奥深い世界を目にするようになった。とくによく眺めていたのが、世界中のサブカルチャーを紹介するインターネットサイト「屋根裏」だ。このWebサイトを通じて漫画雑誌『ガロ』や、犯罪者が描いた絵など、いわゆるアウトサイダー・アートの存在を初めて認識するようになった。

ハーテイク 2017 ケント紙にアクリル、水彩、墨 51.5×36.4cm

 「幼い頃、母の実家へ遊びに行ったときに、つげ義春さんの漫画を見つけたんです。ウェブサイトの『屋根裏』で、つげ義春さんのことも紹介されていて、子供の頃と記憶と一致しました。少女漫画も好きだったので、大衆受けするような絵をそれまで描いていたんですが、例えば男の子の絵を描いても自分で全然しっくりこなかったんです。それが、ガロ系の作家たちの画風に触れて、こういう描き方でも良いんだと思えるようになりました」

 とくに惹かれたのは、1980年代後半から独自の路線で絵を描き続ける市場大介と98年から青林工藝舎が刊行する漫画雑誌『アックス』で連載していた清水おさむで、2人ともグロテスクで官能的な題材を描く作家として知られている。それまでは、林静一のような美人画を描いていたが、17歳になったある日、仏間で同人誌の表紙の絵を描いていたら、目から涙があふれるビジョンが突然降りてきたのだと言う。

海の心 2015 水彩紙に水彩、墨 38×27cm
永遠の続き 2018 水彩紙にアクリル、水彩、顔彩、墨 72.7×273cm

 「翌年、母が50代の若さで他界してしまいました。私が14歳のときに、母の卵巣に癌が見つかって、絵を描き始めたときには、既に末期癌が判明して何度か入退院を繰り返していたんです。母が亡くなった直後は、突然過ぎて現実味がなかったというかそれほど悲しみを感じなかったんです。でも、もういちど母に会いたいと思って絵を描き始めました」

  題材にしたのは、死んであの世に還った魂が、この世に何度も生まれ変わってくるという「輪廻転生」の考えだ。母親は、夏にクロアゲハを目にするたびに「私のお母さんが来たよ」とよく口にしていたようで、幼少期から手塚治虫の漫画『火の鳥』を読み漁ってきた彼女にとっては、そうした思想は心の底に深く根付いていた。

 独学で絵を描きながら、高校卒業後は名古屋に本社があるアパレル会社に勤務した。本社で研修を受けたあと、群馬の支店に3年ほど勤めたが、人間関係を巡るトラブルに巻き込まれ、20歳で退職。群馬から東京に遊びに行った際に、知り合った男性と24歳のときに結婚し、東京に転居した。都内で夫の仕事の手伝いながら、現在も制作を続けている。そして結婚する2年前、つまり彼女が22歳のとき、母に続き父も他界してしまう。

 「父は悪性リンパ腫で気づいたときには、全身に転移していました。糖尿病だったから抗癌剤も効き目がなくって。ちょうど東日本大震災があった年で、震災後3ヶ月ほどして、父は亡くなりました」。

 彼女は絵を描き続けて、今年で14年になる。描き始めた当初は、頭の中に降りてきたビジョンを頼りに描いていただけだったが、次第に女性の目は大きくなり涙の量も増えていった。近年では、目や身体から炎が出たような描写まで加わっている。そして、身体から流れる血のような表現は、彼女に言わせれば「精液をぶちまけたようなもの」で、自分の本能を絵に叩き付けているイメージのようだ。

命の炎 2020 水彩紙にアクリル、水彩、顔彩、墨 51.5×36.4cm

 描き始めたときは自覚がなかったが、彼女が絵を描き続けていたのは亡き両親の悲しみを払拭するためだった。それが、遺品を整理していたときに見つけた母の日記を目にしたことで、彼女は大きな心境の変化を迎えることになる。

 「これは誰にも言っていないんですが、母の日記を読んだとき、父のイメージが変わってしまったんです。私にとって父は、すごく寛大で優しい人だと思っていたけれど、実は金銭的に問題のある人だということがわかりました。そのことだけでもショックだったんですが、母の日記には、私を連れて父と離婚することまで考えていたようです。結局、母自身が末期癌になってしまって、あんなことを考えていたから天罰が下ったんだと記されていました」。

 彼女にとって、父は理想の人ではなかったし、幸せそうに見えた母は離婚を抱えていた。日記に書かれていた2つの秘密が、不幸にも、両親不在の悲しみから彼女を立ち直らせたようだ。

 2018年夏には、都内のギャラリーで初の個展を開催した。そのときに発表した大作『永遠の続き』が、彼女にとって転機となる作品になった。「描き終えて『永遠の続き』という言葉が浮かんだときに、『もう両親のことに固執しなくて良いんじゃないか、私はもう両親がいなくても自立してやっていける』と考えるようになったんです」と語る。苦しみ、そして悲しみの象徴だったはずの百合百合さんの表現は、このときから両親の安らかな眠りのための祈りの表現へと変化していった。宇宙空間を漂うあの絵は、今後どう変容していくのだろうか。それをいちばん楽しみにしているのは、きっと彼女自身のはずだ。​

永遠の続き 2018 水彩紙にアクリル、水彩、顔彩、墨 72.7×273cm